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映画『すべてうまくいきますように』のアンドレは「死・人権・尊厳」を教えてくれる

ごきげんよう。雨宮はなです。
上映開始から3日が経過しました。
TwitterやFilmarksなど、さまざまな場所で映画に対する感想や個人の見解が見受けられます。

ですが、アンドレの立場で観た人や「死」「人権」「尊厳」をちゃんと理解していない人が多いように感じました。
この映画は「死」「人権」「尊厳」に気づくためのガイドブックのような作品のひとつです。

「死」は「人権」である

生きることが人権だというのは周知の事実です。
ですが、死ぬことも人権だというのは知らないよりも受け入れない人が多いです。
「どう生きるか」は「どんな人間として死ぬか」だということをわかっていない人が多すぎます。

「どんな人間として死ぬか」考えたり決めたりする権利を持っていることを、私たちは理解する必要があります。
それは決して重くも危険でもなく、進学や結婚と同じように人生設計の一部に過ぎません。

この作品において、父アンドレはその主張をしているだけなのです。
「アートや食べることが好きな自分のまま死にたい」だけ。
それが彼の人権です。

なぜアンドレは安楽死を望むのか

■コントロールできるかどうかはその人らしさに直結する

思い通りに体を動かせなくなったこと、自分の望む姿でいられないことがアンドレの安楽死を望む理由です。
「動かなくなった」ではなく「動かせなくなった」というのが重要
コントロールと自由はほぼ同じです。
できるかどうかで受けるストレスや、人物を構成する要件が変わります。

例えばダンサー。
体をコントロールし表現することが仕事です。
ケガなどで自分のコントロールにより体を動かせなくなるとストレスを感じますし、ダンサーという要件を失う可能性があります。

アンドレは倒れて入院したことで、自分の体をコントロールできないことが理想の自分を失うことだとはっきり認識しました。
体はもう自分でコントロールできない、けれど、脳はコントロールできる。
せめて自分の意思をはっきり示せるうちに、すこしでも自分が残った状態で死にたいと考えたからこそ、娘エマニュエルに「終わりにしたい」と打ち明けたのでしょう。

コントロールについて素晴らしい表現をしていたのが、アンドレがトイレに行けず大便を漏らしてしまった後のシーン。
「入浴」ではなく、「処理として椅子に座った状態で洗体」されているときの表情に彼の絶望がはっきりと写っていました。
人間らしくあるためのコントロールを完全に失ったことで、アンドレはこれ以上尊厳を失って心(自分らしさ)が死んでいくのを防ぎたかったのでしょう。

■アンドレが周囲に殺されたシーン

そんなアンドレですが、家族・親族・病院関係者などに幾度となく尊厳を傷つけられ、心を殺されます。
すでに鑑賞された方はそれに気づきましたか?
例えば、最初の病院で医師がエマニュエルに向かってこんなセリフを言います。

「現状に気持ちが沈んで希望を見失っているだけです。抗うつ剤で様子をみましょう」

ぞっとしました。
勉強だの研究だのしてきて、そういったケースが多いのかもしれない。
医師は生かすのが仕事だから仕方ないのかもしれない。
けれど、「本当は死にたくないはずだ」という思い込みを前提に本人不在でその後を決めるのは生きることを強制する暴力だし、個人の意思を無視した生存計画はむしろその人の尊厳や心を殺すことと同じです。

また、アンドレの希望に対してエマニュエルが聞こえないふりをしたり、話題をすり替えたりしてどうにかなあなあに済ませようとするシーンが多く出てきます。
また、「一時的な気の迷いだから、撤回するはず」という前提でいるのがよくわかるシーンもあります。

死にたいと主張する人に「そんなこと言わないで、死なないで」と言うのは簡単だし、一見、愛のように見えます。
そこに美しさを感じるタイプの人は日本人ならことさら多いでしょう。
ですが、非常に身勝手だし暴力的だと私は思います。

人権を「許可してあげている」娘たちと同じになってはいけない

「父は頑固だから、言っても聞かない」と娘たちは頭を悩ませます。
老人の我がままといえばそれでおしまいです。
ですが、彼にとっての人権はそこにあります。

「大切な孫の演奏会に出席する」
「お気に入りのレストランとウェイターで好きな酒と食事を楽しむ」
「自分の終りを自分で決める」
全て彼の権利です。

それを「つきあってあげている」「許可してあげている」と見たり、娘たちを労わるのは彼女たちと同じで傲慢であり、管理/支配者であると勘違いしているのと同じです。
それは将来、自分がアンドレになったときに自分を苦しめるだけです。
個人の意思と尊厳を尊重することで、他人と自分を守ることにつながります。

さいごに

自分が老いている自覚があれば、老人は自分をアンドレに重ねるでしょう。
「死」「人権」「尊厳」に関心があれば、若者でも自分をアンドレに重ねるでしょう。

自分を大切にするために、「どんな人間として死ぬか」を考え「どう生きるか」を決め、残りの時間を過ごす人が増えますように。

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