死ぬときに思いたいこと

中学生の時、運動部だった私は引退時に後輩たちから寄せ書き色紙を貰った。
が、読んでみたら、

宛名部分が「○○先輩へ♡」と別の同級生への宛名が書かれていたものを修正液で塗りつぶし、上から私の名前に直されたものだったという事があった。

つまり色紙を書く時に私の存在は後輩たちから忘れられて(もしくは後回しにされて)いて、後輩たちは○○先輩への色紙を間違えて2つ作ってしまったため、
慌てて修正液で宛名だけ私に変えて、○○先輩に向けて書いたメッセージを私に渡してきたのだ。
※メッセージの内容も明らかに私へのものではなかった。

という出来事を今だに思い出してアイツら…!!みたいな、ムカつきやら虚しさやらなんとも言えない気持ちに襲われることがある。

そんな昔の事を、とか、当時みんな中学生だったんだからしょうがないとか思う人もいるだろうが、この時感じた気持ちはいまだに私の自己評価の低さの根底にある気がする。

当時の私は虚弱体質でヘロヘロしてる自分も、場面緘黙でハキハキ話せない自分も嫌で厳しめの運動部に入ったものの、
ポンコツ体ゆえにちょっと無茶をするとすぐに閃輝暗点からの吐く程の片頭痛に襲われた。

そして場面緘黙も一番酷い時期だったため、声の小ささ・消極的(に見える)さに目を付けられる事が多くて、
時々起こる緘動により挙動もなかなかに不審だったため、先生から呼び出されて怒られたり、先輩から注意されたり、後輩からも目が合うと意味もなく爆笑されたりして
ああ、下に見られてるな~馬鹿にされてるな~というのは日頃から感じ、でも自分がこんなだからしょうがないんだと思っていた。

でも本当はそんな自分が悔しくて負けたくなくて、部活後に家や公園で自主練したり時には早起きして走ったりして、
定期的に襲われる激しい片頭痛に耐えながらも体づくりをしたり技術向上のために努力はしていたと思う。

相変わらず学校では話せない日々であったが、家で一人の時に発声練習をしたりして、先生の満足いく大きさではないにしてもなんとか試合中の掛け声は出せるようになったし、先輩にも挨拶できるようになった。
家が貧乏すぎてお小遣いも貰っていなかったが、お年玉をつぎ込んで自分で部活の道具を新調したりもした。

おかげでギリギリではあったがレギュラー入りし大会などにも出場する事が出来た。

私のハマるととことんやりきらないと気が済まない熱が、この時は部活とヲタク活動(まったくの余談だがこの時は犬夜叉にどハマりしていた。)に注ぎ込まれていたのだ。

が、最後の試合が終わって(試合は負けました;)ついに引退という時に後輩たちから貰った色紙が上記のようなものだったのである。

そのたった1枚の色紙に私は色々感じ取ってしまったのだ。

―ああ、明らかに他の人に当てたメッセージを渡すという失礼な事をされても、モリナガは気付かない・怒らないだろうと思われているんだな。
(場面緘黙を誤魔化すために何があってもニコニコしていたために周りから頭の弱い子だと思われていた。)

―ああ、どんなに必死に努力をしたとて、私はまわりからしたら「そういう扱いをされる程度の存在でしかない」んだな。

その色紙はそれまで薄々感じてきた周りの人達の私に対する扱いが集約され、そして最もわかりやすく形として現れたものだった。

きっとその時にちょっとナニコレw酷い!なんて友達だったり親だったりに愚痴ったりできれば今も思い出してこんな気持ちになる事はなかったのかもしれない。
でも当時の私は誰かに話すのも虚しくて恥ずかしくて、20年近く一人で心の中にしまってきた。

っていうか思い出したのだが、卒業アルバムにも似たようなことがあったな。
色々行き違いがあって私の卒アルに別の人宛のメッセージを書かれたことが。

でも間違えた人たちには間違えたぎゃはは!!って爆笑されて終わった。(せめてあやまってくれよォ!)
そして帰宅後卒アルを見てそのメッセージに気が付いた母になぜか私がめっちゃ怒られた。
(なんか母もそういうトラウマがあったんだと思う。そして相手ではなく私に当たってきた。いつもそうである。)

卒業アルバムはどの時代も見たくなさ過ぎて全部実家に置いてきてしまった。

私の本来感慨深いであろう区切りのイベントってそういう事ばっかりで。

小学校の転校時も名前間違えられたりなぜか私だけお別れ会なかったしね。
そのあともあきらめずに高校デビューを目指したりする訳ではあるが、結局高校生活もラストの方は場面緘黙がぶり返し今思えば鬱状態で、
入学時にできた友達とも距離ができてしまい、しかも卒業後はっちゃける時間もなくすぐに就職先の研修が始まるので、え…私の学生生活こんなんで終わっちゃうの…?
ってむなしい気持ちしかなかった。
(このあたりは漫画に書いたね。)

ドラマとか他人事だと号泣できたりするが、自分がそういうシーンに巻き込まれるとなんか白けてしまうというか、ハハっwって嘲笑したくなってしまう。
私が個人事業主になる前の最後の職場(3年責任者をやりました)でも、最後一緒に働いていた子達が別れを惜しんでくれたりなんか色々くれたりしたんだけど、
それに上手く応えられないというか、心のどこかで いやwそんな皆さん無理してくれなくていいですからwみたいな素直に受け取れない自分が虚しかった。

でも人生の一番最後だけは嘲笑して終わりたくはないなあ。
「ああ沢山絵を描いてきたな」と思って死ぬという子供の頃からの夢は実現したいなあ。

その思いだけで生きてる所ある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

常にこういう事を考えている訳ではないんですが、この数日の大荒れ天気のせいで過去を思い出すサイクルに入っているようで…
ふと、今まで誰にも言ったことがなかったなとメモ帳に打ち込んでみたのでした。
気圧の影響か意識の取っ散らかりが激しすぎて、仕事の請求書作ろうとしてたらこの文章書いてたんだが!?

あと、昔から感じてきた「私って人以下の存在なんだな」みたいな思いも今は突き抜けて「ああそうですか、ならばあなた達とは別の所で勝手に全力でやらせて貰いますから!!!!!」
みたいな生きる為の原動力になっている所もある。


サポートいただけた場合、ありがたく場面緘黙についての資料の購入費・漫画を描くにあたっての画材費等に使わせていただきます。個人で制作している為、少しでもサポートいただけたら幸いです。