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気軽に言葉を紡ぐという実験

感情はナマモノ

人間の感情は、ナマモノみたいなもんだと思う。

感動したこと、嬉しかったこと、嫌だったこと、気づいたこと…

その時は全身で感じていたはずなのに、
しばらく経てば忘れてしまう。
なんなら、そう感じていたことも
考えていたことすらも忘れていく。

死ぬほど辛いはずなのに感覚がマヒして、
気づいたら部屋の隅っこで感情が腐ってることだってある。

慣れというのは時に恐ろしい。


風の時代。
「これがやりたい」「これが最適解」と思っていても、
1年や半年、場合によっては数ヶ月や数日で価値観ごと変わっていく。
時代も世の中も目まぐるしく変わっているのだから、当然のことだと思う。

だからこそ、「今感じていること」「今考えていること」を
どんどんアウトプットして、大切なことは保管して、
たまに振り返って、成長を実感して自信にしたり、
ちょっと落ち着いて自分にフィードバックを与えてみる。

そんな時間も大切だと思う。


感情の熱もナマモノ

私はもともと思考を言語化するのが好きで、
携帯メモにたくさんの思考の記録があった。
モヤモヤした思考が整理されていくのが気持ちいいからだ。

たまに読み返して、「うわ、この頃めっちゃ病んでるなあ」とか
「今はそう思ってないな」と、更に現状を分析したりする。

このnoteを始めたのも、その延長線的な意味もある。
せっかくなら携帯メモじゃなく公開してみるか、という考えだ。

しかし、私は考えすぎる性質がある。

長すぎないかな、言い回しが変じゃないかな、
誤解を生む文章になってないかな、
改行をどんなペースで入れると視覚的に読みやすいかな、
画像や挿絵を入れれば飽きないだろうか…などなど

もちろん別に悪いことではない。
この思考は創作物のクオリティを上昇させるきっかけになるだろう。

だが、下書きが溜まる一方で、一向に記事が完成しない。
公開した時が注目を浴びるタイミングだからと慎重になりすぎるのだ。
何度も何度も書き直して、それでもダメな気がしてくる。

アウトプットするつもりでnoteを始めたはずなのに、
携帯メモからnoteの下書きに媒体が移っただけだった。


そうこうしている間に、その時の熱量はさめていく。


これはテキストコミュニケーションをする時でも同じだった。

所属している団体ではSlack上でコミュニケーションをとることが多い。
はじめは「これはSlackに載せよう」と思って文章を作るのだが、
誤解が生まれる文じゃないか?変なこと言ってないか?
次のミーティングで直接言えば良くないか?
報告する程のことじゃないかも?とか色々考えすぎてる間に
熱量がさめて、伝えなくていい気がしてきて、
結局つくった文章を消してしまうことがよくあった。

感情の熱もナマモノだ。
熱量がさめて旬が過ぎれば、気づけば下書きボックスの中で腐っている。
腐ったナマモノは捨てるしかないのだ。


気軽に言葉を紡いだ等身大の自分

そんな時、友人がnoteを始めた。
始めた動機が似ていて、頭の中の独り言を発信するのだそうだ。

変に飾った感じがなく、
等身大の彼女を感じる内容と書き方。
とてもシンプルで素直にまとまっていて惹き込まれた。

もちろん彼女も読み手を考えた上で書いているだろうけど、
私の場合、考えすぎて手が止まって数ヶ月。
元も子もない状態だ。

そうか、もう少し気軽に言葉を紡いでアウトプットしていいのか。
読み手を考えて工夫や気遣いをするのももちろん大事だが、
考えすぎて言いたいことを載せないまま熱がさめて消すより、
飾らない言葉でもう少し気軽に呟いていくのも
良いかもしれない。

それが等身大の自分なのかもしれない。


マインドブロックを外す実験

そう思った この感情すらもナマモノだ。
この気づきを忘れないよう記して、実験することにした。

今までは何度も読み返して何度も書き直していたが、
今回は あえてほぼ添削しない。
頭に浮かんだ言葉をつらつら並べた、等身大の私だ。

前回の記事や下書きに残っている記事たちは
サムネイルも作り込んだが、
今回はあえて作らない。

そしてこの後、下書きに1度も入れず公開ボタンを押す。

極端かもしれないが、
この実験が自分のマインドブロックを外す経験になれば本望だ。

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