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「主婦」と「働く女性」について考えました。今日の言葉#55

何度かこのnoteで、
主婦について考えたり、
働きたいけど働けないもどかしさを
書いてきた。

ようやく最近私は、
自分のしている家事や子育ては立派な仕事だと
認識するようになり、
賃金をもらっていなくても、
私は「仕事」をしているんだと、
自覚するようになってきた。

ただ、賃金をもらえる仕事ができない
(もしくは低賃金の仕事しかできない)、
夫の扶養の中で被扶養者として生活する
ということは経済的な貧困と繋がる。
そのことは、
私の家事育児の認識が変わっても
残っている問題だ。

今夫に何か起き、働けなくなったり、
私と子どもだけで生きていかなくては
いけなくなったら、
今の私では、確実に路頭に迷うだろう。
とてもリスクのある生活なのだ。

そして、働けない、
賃金をもらった仕事ができない
(もしくは低賃金の仕事しかできない)
と言うことは、
やはり、とても精神的に辛いことなのだ。
自分に生きる力が無いように感じてしまう。
低賃金で働いていれば、
自分の価値はこれぐらいしかないのか、と
考えてしまう。
稼げない自分が惨めになる。

私は以前noteにこう書いた。
「アメリカに来たら何とかなると思っていました」

私は20代後半に、
結婚して、夫のいるアメリカに来ることを選んだ。
アメリカに来て大学院に入り、就職しようと思った。
アメリカで大学院を卒業すれば、
その先に道が繋がるだろうと思った。
でもそうではなかった。

私は配偶者ビザでアメリカに渡り、
途中で学生ビザに切り替えて学生になった。
学生ビザでは学業がメインだが、大学内で
アシスタントの仕事をさせてもらうことができ、
大変ではあったが、充実した時間が過ごせた。
しかし卒業後、
日本人も日経企業も少ない小さな大学街で、
言語のハンデを超えて、
ビザスポンサーもしてくれるという
就職先を探すのは、
とてつもなく難しく挫折した。
なす術もなく、一度獲得した学生ビザから
また配偶者ビザに戻し、主婦に戻った。

umiさんはこう言う。

なにしろ日本の女性は突然「主婦」になる。主婦に憧れていた人も、将来について考えていなかった人も、将来設計をしていた人も、事務職で働いていた人も、基幹職で働いていた人も、どこかのポイントで「主婦」になる。もちろん、そこを通過しない人もいる。  
だから、「主婦」はやっかいなのだ。つかみどころがない。

umiさんnote「私を主婦と呼ばないで」

主婦に戻って、いつもどこか
申し訳ない気持ちを感じていた。
どんなに家事をがんばってみたところで、
どんなに語学などの勉強をがんばってみたところで、
何も生み出せていないような、
何も学んだことを社会に返せていない、
と言う自責の念を抱えていた。

子どもを妊娠して、
布おむつの面白さに気がつき、
情報収集を始めて実践したが、
ある夫の知人男性に
「専業主婦だからできるんだよね」
と言われて、
悔しい気持ちになったりもした。

専業主婦の自分を
どこかで認められていなかった。
専業主婦という言葉に、
自分でモヤモヤしていた。

でも、umiさんの「私を主婦と呼ばないで」を読んで
気づかされた。

「専業主婦」のイメージを勝手に作り、
専業主婦は「気楽に過ごしている」かのように考え、
そこに当てはまる自分にモヤモヤする。
どんなに家事をがんばってみたり、
趣味を広げたり深めようとしたり、
今できることに目を向けて努力しようとしても、
どこかで、これは「ただの遊び?」と
疑問に思ってしまう、
そう思わされていたのは、
私自身が作る「主婦」のイメージや
固定観念だったと言うことに。

私は、自分の「主婦」のイメージで自分を縛り、
その中に分類される自分に
苦しんでいたのだ。

Yuki K Mapleさんがこちらに書かれていることにも共感する。

子育てをしながら仕事をすれば
「子どもと一緒に過ごす時間が少なくて、かわいそう」
仕事をやめて専業主婦になれば何をやっても
「どうせ主婦の道楽でしょ」
そんな言葉が頭に中に響いていました。結局、働いても働かなくても、何をしていても、誰かの声が聞こえる。
しかし、先日umiさんの音声を聞き、
「自分を苦しめていたのは、自分の中に染みついた文化」
という言葉でふと気がついたのです。
いつも聞こえてくるあの声の正体が私自身だったことに。

Yuki K Maple さんnote「だから私は応援したい」

umiさんは「専業主婦」と「働く女性」の線引きについてこんなこんな風に書いている。

人の生き方に線を引いて色分けする、私もまたそこに違和感を持たずにいられない。働いていたって、結婚しているなら時には主婦だ。専業主婦だって、働いていれば時には働く人になる。もちろん、結婚しないで働き続ける人もいるし、外で働かない専業主婦だっている。

 でも、私達は自分の人生を自分で選んでいい国に居るのだ。

 一日24時間の中で、特に女性は色々な役目を務める。それが現実だ。長い人生の中でだって、子育てをする間、母の色合いが濃くなる。それはごく自然なこと。変化して当たり前、それが生きて行くという事なのだから。

 それに、働く女性と専業主婦を線引きして語る時、よくよく目を凝らすと、どこかでしっぽの辺りが混ざりあっているはず。

umiさんnote「私を主婦と呼ばないで」

「主婦」は「働く女性」と線引きされるべきものではないんだ。
主婦でいながら何かしらの仕事で働いている人もいるし、
フルタイムで働きながら、時として主婦としての仕事をする人もいる。
そうやって、それぞれの女性たちが
それぞれの生き方・働き方をしているんだ。

私は今、家事育児も大切にしたいと思っているし、
将来のために勉強する時間も作りたいと思って、
日常の時間配分を考えいてる。

家事育児も立派な仕事で、
私にとって私の夢や目標を達成するための
大切な時間だと認識できたことはよかった。
そして、やはりその上で、
賃金を得られるような仕事ができるように
準備もしていきたい。

どちらも私の夢なのだ。

まずは独学になるが、
私も学び直しを続けていきたい。

今日の言葉#55

umiさんのように社会学的視点を持つと、自分の認識が、社会からどんな影響を受けて生まれてきたのかに気づけるのかもしれない

hana

これからも何度も読み返したいumiさんの記事。




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