ぐらしあすの「要介護者と、そのキーパーソンである精神障害者とのかけはしとなる(仮称 リンケージケースワーカー)がいることがとても望ましい。」

ぐらしあすの記事は、自身が双極性障害当事者であるので、障害者を精神障害者と限定する。

ぐらしあすの父は86歳独居要介護2の認知症高齢者である。
ぐらしあすは双極性障害の当事者である。
ぐらしあすの妹は健常者で実家のすぐ近くに住んでいる。

妹は仕事が終わって、夜毎日父の安否確認に行ってくれている。

因みにぐらしあすの住まいから実家まで高速道路を利用して約2時間半はかかる。

父は月曜日から土曜日までヘルパーさんによる支援を受けていて、土日月はショートステイでお世話になっている。
父には悪いが、ショートステイを入院ということで家族支援者一同通していて、父は入院だと信じている…おそらく。

最近父のわがままが強くなってきて、ヘルパーさんや、近隣に住むぐらしあすの妹を困らせている。
かくいうぐらしあすも大変困っている。

とても自己中心的な生活を送っている。
父がそれを望むのであれば、それはそれで尊重したいが、誰かの支援がなければ、到底一人で暮らしていくのは困難である。
父にとって1日24時間の時間の中で、朝、昼、晩という概念がなく、見当識障害ともいえよう。
したがって、外が明るくなれば明るいから朝か昼かな、或いは外が暗いので夜かなという感覚なのかもしれない。

実際にベッドから出て起きている時が一定していない。

ヘルパーさんは主に午前中来てくれるのだが、ヘルパーさんが来て、家のドアフォンを鳴らしても起きてこないことが最近はほとんど。
鍵使用を了承しているので、ヘルパーさんは鍵を使って家に入ってきてくれるのだが、それでも父は起きなくなって来て、「このまま寝ておく」と強く言うらしい。
ヘルパーさんの立場では関係性が悪くなれば支援がしにくいので、あまり強くは言えない。

実際ぐらしあすも妹も疲弊(介護疲れ)している。
先日も散髪に行こうというと、しんどいから明日にするという。
そして明日になれば同様にしんどいから行かないという。
髪は伸びてひげはぼうぼう状態。

しかし、どこかでスイッチが入るのか、散髪に行こうというと、しんどいけど行こうかということもある。
そのスイッチがいつ入るかわからないので、辛抱強く待つか、家族なので強引に言うかのどちらかになるが、出来るならば待ちたいと思う。

ことぐらしあすに関して言えば、障害福祉制度の相談支援専門員(介護保険制度で言うとケアマネさんに近い)がついてくれていて、いろいろと日常生活の相談に乗ってくれる。

当然のことながら父にはケアマネさんがついている。

相談支援専門員に、ぐらしあすの父のことについて相談すると、父のケアマネさんにぐらしあすの障害のことについて伝えておいた方が良いと言う。
正直ぐらしあすの体調が悪い時でさえ、2時間半かけて実家に行き、父を病院や散髪に連れて行っている。
実際、そのことを父のケアマネさんに伝えている。
しかし、仕方のないことだが、ぐらしあすの双極性障害の内容についてケアマネさんはピンと来ていない様子なのである。
このことはケアマネさんを否定しているわけではなく、制度の違いによって専門性の問題であろう。
しかしケアマネさんの中には障害福祉制度に精通している人もいるのも確か。

ヘルパーさんとの打ち合わせや相談は主として妹がしてくれている。
ケアマネさんとの対応、モニタリングの立ち合いや担当者会議への出席、介護保険制度のサービスの相談や調整云々はぐらしあすが行っている。

正直負担が大きい。
今いろんなことがぐらしあすにのしかかっている。

何が言いたいかというと、ぐらしあすのように、自身が障害を持ちながら、親の介護に携わっている人は少なからずいると思う。

介護保険制度と障害福祉制度の両方を利用している当事者もいるが、今回の記事とニュアンスが異なるので、ここでは別の問題とする。

精神保健福祉士や社会福祉士と、介護支援専門員の資格を併せもつ人もいるが、障害福祉制度と介護保険制度の内容を理解して、両方のサービス調整が出来て、精神障害者や相談支援専門員とケアマネの間をつないでくれる人がいれば、ぐらしあすにとって大変ありがたいと言える。

なかなかそういう人物がいないのが実際である。

障害福祉制度と介護保険制度とのすみわけがあるのは当然わかっているのだが、両者をリンクすることに専念できる人(仮称 リンケージケースワーカー)がいることが望ましいとつくづく感じている。

そういった人物がいればどれだけ安心できることか。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。