ぐらしあすの「亡き母の82歳のバースデイ」

もし生きていれば、今日は母の82歳の誕生日となる。
2000年7月に肝臓がんが見つかり、そのまま入院。
同年12月に病院で息を引き取った。
あっけない5か月間だった。
高度進行肝細胞癌とのこと。

母は時に優しく、時に厳しいハッキリとした人であった。
人望も厚くいつも周りに友人が集まってきてくれていた。

また、今でいうパニック障害であり、当時はパニック障害という概念がなく、よく救急搬送されては異常なしで帰ってきた。
一番症状がひどかったのは、30~40歳代だったと思う。

その後一人で電車に乗ることが出来るようになり、ぐらしあすの妹と飛行機に乗って香港まで行くことが出来るまで回復した。

母の入院中、ぐらしあすがとった行動で今でも後悔していることがある。
それは、母を車いすに乗せて正面からエレベーターに乗せたこと。

抗がん剤の影響で、食欲なく点滴だけで過ごし、やせ細ってしまった母を乗せたエレベータの奥には鏡があった。

母は自分の姿を鏡で見て、特に何も言わなかったけれど、その何も言わなかったということが、ぐらしあすには母の心境がすぐに読み取れた。

そして12月に病院の個室で、家族に見守られながら息を引き取った。
死の直前の母の表情や息づかいが脳裏に焼き付いている。
また、当時4歳だったぐらしあすの娘が、母の目から流れる一筋の涙を、わずか4歳にも関わらず自主的にハンカチで拭いてあげた姿も脳裏に焼き付いている。

母の母(ぐらしあすからみると祖母)はB型肝炎のキャリアだった。
そして母子感染で母もキャリアとなった。
そしてぐらしあすも母子感染でB型肝炎のキャリアである。
ぐらしあすは血液検査の結果や、定期的にエコーをしてもらい、経過観察している。
母と同じウイルスがぐらしあすの中に潜んでいるから。

ぐらしあすも、亡くなった当時の母の年齢に近づいてきた。
改めて考えると、生きている時間がいかに短いかということを痛感する。

もし生きていたら今日で82歳となる母のことを思い出した。


ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。