心地良いこと
―着飾ることではない、みせびらかすことではない、自分の心地良いことを、貫くということ、それがお洒落なのだと私たちだって実は、知っているのだ。
西加奈子 『ごはんぐるり』
最後にnoteを更新してから1年経っていたらしい。(元々そんなに投稿してないけど)
何か久々に文章を書いてみようと急に思ったので、これから少しずつ更新頻度を増やしていきたい。
最近小説やエッセイ、詩集、雑誌のコラム等を読んだ際に印象的に残ったフレーズや文章を書き溜めている。冒頭に載せた西加奈子の『ごはんぐるり』の文章もその中の一つであり、それについて感じたことを書いてみようと思う。
お洒落といっても、何に対しての形容詞なのかと考えると、それはあらゆる事象に対して言えるのではないだろうか。
人の外見に関するものでいうと、
ファッションアイテムそれ自体や、ファッションアイテムの組み合わせ方や使い方、メイク、ヘアスタイル、ネイル、その人自身の顔立ちや雰囲気。
あるいは、何かぱっと目を引くようなデザイン性のある事物や飲食物、こなれた都会的情緒を感じさせる雰囲気のある音楽 などなど。
お洒落の度合いやアプローチの仕方によっては、逆に「ダサい」「イタい」にもなりかねない。また何をもってお洒落なのかとみなすのかは人によって価値基準は様々。
見た目に関する「お洒落」でいうと
私にとって服やアクセサリー、メイク、ヘアセットを自分に施すことは
ある種の「防御」と「武装」である。
毎朝、自分自身が良しとする一定のラインにまで到達しようとするモーニングルーティンは
自分自身に自信がないからこそ弱さを隠し、強く生きる為に必要な工程であり、またそれを楽しみと捉えて糧として生きている。これは私の場合ですが。
強みにもっと磨きをかける為という価値観の人もいるのだろう。
人は同一性と卓越性を共に求めたがる。社会や周りの人間とのある程度の均質化をはかりたいという欲望が少なからずあって、同時にどこかで潜在的に、卓越性も欲していて、「何者」かになりたくて、それに憧れている部分があるのだと思う。
「卓越性」なんて大それたことを言うてますが、
必ずしも「派手、奇抜であれ」とか「オンリーワンであれ」とか「斬新、前衛的」とかそういうことではない。(そういうパターンもあるけど)
要するに、ある一定ラインにおいて逸脱し過ぎることなく、
あくまでそのライン内できらっと光るような「煌めき」のような「慎ましやかな卓越性」を、見つけ出し、自ずと心からそれを良いと感じて、それを上手く取り込み、自然と体現できてしまう人が、より多くの人から「お洒落」だと言われている人のようだと感じる。「慎ましやかな卓越性」なんて言葉ないし、どっちやねんって感じやけど。
「break the mold(殻を破れ)」
↑ ところでグラフィックデザイナーのVERDYがデザインしたUTコラボ商品で、赤文字で「break the mold」というロゴのTシャツが数年前に発売されていた。
「殻を破れ」という意味でありながらも
同じ商品を着ている人が本当に多く、意図せず皮肉のような意味合いを持ってしまった、と指摘していた人がいた。ある意味複製技術時代の産物に対し、一石を投じるような出来事だったように感じる。
流行に敏感で最先端になることは、均質化をはかることでもあり、それが自身にとって心地よいと考える人もいる。その後自分なりに「殻を破る」ことで、自分なりの卓越性を得ようとすることは自由選択肢であるのだ。
かなり論点がずれてしまった。
とにかく価値観が多様化している現代において自分自身が「心地よい」と感じる部分は本当に千差万別である。ただその自分が「心から良い」と感じるものを信じて極められることが「お洒落」なのだと思う。
他の人はどうかわからない。
私の場合は
何かしら世間一般が理想とする一定ラインに到達できるよう、弱みを隠すことで「防御」して、
その上で自分なりのオリジナリティ溢れる「武装」をして「何者」かを演じることで、大小関わらず自分なりの「卓越性」なるものを体現して
暮らしに興じていきたい。
それが私にとっては「心地良いことを、貫くということ」なのだと思う。そしてそれが誰かにとっての「心地良い」と一致して、共感してくれる人が誰か一人でもいたらいいなと感じるだけです。
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