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佐藤剛さんのこと

前回、YouTubeラジオで昔いた所属事務所Five-Dの社長で音楽プロデューサーだった佐藤剛氏がお亡くなりになったことについて話しました。
亡くなられる前日6月19日にお見舞いに行った時のことや
昔の剛さんの話など。

noteマガジンの音声配信『ウェブアミカ』ではその続きみたいな話をしています。
剛さん追悼の気持ちを込めて、期間限定で無料公開しています。
お見舞いに行く前に花を買ったこと、渡せなかったこと、
会う前に言われて薬になったお守りの言葉、助けられたこと、
剛さんとケンカしたこと、つれづれいろいろ話した気がします。

今回のnoteでは文字起こし機能を使って、これらのラジオで話したことを残してみようと思いました。
文字起こしをして、読みやすいようにだけちょっと整えて転載します。

これらは剛さんや当時のメンバーについて私が思っていたことの一部ですが、
25年前にみんなで制作していた頃の空気が伝わればと思います。

もっと言葉を連ねることもできますが、どう重ねても今はただ「もう剛さんに会えないのがさみしい」に尽きます。
だから、この文字起こしが今の私の気持ちの全てかなと。

ずっとお会いしていませんでしたが、どこかで生きててくれるだけで、元気でいてくれるだけで良いやって思う人っていませんか?
私にとって剛さんはそういう人の1人でした。
今はもう会えないけど、天国で(たぶん天国ですよね)元気にしててくれればいいなと思います。
死んだら今度は私が飲みに連れていってあげます。

YouTubeラジオ Amika.jp 第61回 前半

皆さんいかがお過ごしでしょうか?
Amikaです。
この番組はシンガーソンクライターであるAmikaのYouTubeラジオです。

配信はだいたい隔週、新月と満月の日に
お送りしています。
とはいえ時々他の日に配信することもあるかもしれないので、チャンネル登録をして、お知らせが届くようにしてもらえたら、、とても嬉しいです。

さて最近本当に夏らしく、暑くなってきましたよね。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?

私は前回のラジオのあとすぐ、お世話になった方のお見舞いに行きました。
私がいた所属事務所『ファイブD』の社長であり、
音楽プロデューサーだった佐藤剛さん。
その翌日の6月20日の朝、亡くなられました。
6月25日に家族葬が執り行われ、各方面にも発表されています

佐藤剛さんは甲斐バンドの伝説のマネージャー、
The BOOM、ハナレグミ、小野リサさん、高野寛さん、
などなど数多くのアーティストを育てた音楽プロデューサー。
作家でもあり、ミュージックソムリエ協会の理事でもあり。
私のアルバムを一緒に作り込んで下さったプロデューサーでもあります。

今回のラジオはちょっと、勝手に剛さん追悼の回みたいになりそうです。

そう、前回のYouTubeラジオのあと、お見舞いに伺ったんですよね。
お会いしたのは10年ぶりくらいでしたが、もっと早く会いに行けば良かったです。

病院に伺ったら、私と同じ時間に面会に来るはずだった方々が遅れていたようで、私だけ上に通されたんですね。
次の人が来ないと剛さん1人になっちゃうと思ったけど誰も来なくて、
結局20分くらい、剛さんと話をしていました。
剛さんご自身は話すのはできなさそうだったので。

お会いすること自体10年ぶりくらいだったから何か持っていきたかったんですけど、お花はダメだったし、私は歌う人間だから、歌しか思い浮かばなくて。
だから感謝とお詫びを伝えて、
剛さんと出会った時の歌を歌ったんです。

そのリズムで手が動いたから「剛さん、聴こえてるね。
じゃ剛さんが昔好きだった歌も聴きます?」ってまた歌って、
「またお話ができるようになってください。
明日には元ファイブDの方々や仲良しだったYさんもまた来るから。
私もまた来ます」って病室を後にしました。

その翌朝、私の友達で、剛さんとずっと昔から仕事していたYさんと、
剛さんの息子君から続けて訃報の電話があって。

で昼にはYさんと会って、女子2人でハンバーグと抹茶のデザート食べながらいろいろ話しつつ死を悼んで、夕方、斎場に行って剛さんと最後に対面しましたね。

昔みたいな良いお顔でした。
昔スタジオで長時間作業だった時にソファーで
こっそり居眠りしてた姿を思い出しました。
「寝てましたね」って言ったら「いやいや寝てない」って言いそうな感じ。

いつになくしんみりしたラジオAmika.jpの始まりなので、
普段Amikaってどんな歌を歌ってるの?という方にも、
もう知ってるよーという方にも
この歌を聴いて頂けたらと思います。

前回は剛さんと出会った時、
デビューのきっかけになった私の歌『ふたつのこころ』をかけたので、
今回は剛さんが「良い歌だなーこの歌好きだなー」って言ってた「世界」という歌をかけさせてください。

私のファーストアルバム「揺れる光ない海の底」からの歌で「世界」

YouTubeラジオ Amika.jp 第61回 後半

歌の世界からおかえりなさい。
Amikaによる作詞作曲歌で『世界』という歌でした。

この他に「Amikaってどんな歌を作って歌ってるの?」と思ってくださった方は、私のサイト、
ラジオ名と同じ『Amika.jp』にある「Music」という視聴ページか、
AmazonミュージックやAppleMusicで聴いてみてください。
Spotifyやレコチョクにもあります。

さて、歌の前にも話していましたが、私がいた所属事務所『ファイブD』の社長でもあり、音楽プロデューサーだった佐藤剛さんが、先日6月20日に亡くなられまして。

だから今回はもうちょっと、剛さんの話をしようかな、と思います。
アルバム制作時に話し合いを重ねてた時とか、アーティストを尊重してくださる方でした。

そう、私はもともと小さい頃から詩だけを書いていて、曲を書いたこともなければ音楽理論も全然わからない状態で、生まれて初めて作った11曲がそのままファーストアルバムになったんですね。
「一生懸命作ったけど、ボツにされる曲もあるのかな」って思ってたら、
「全部いいよ。全部入れよう。」って言ってくれたのが剛さんだったんです。

所属事務所の社長って聞くと、怖い人とかなかなか本音で話せない人ってイメージがあって。
最初身構えていたら、元々マネージャーさんだった方だからか、がんがん連絡してくるし、ちょっとおかんみたいなところもあって。

制作中はみんな一生懸命作ってたから「絶対こうして」「絶対嫌です」とか何度もケンカみたいになった時もあったんけど、すぐまた「やっぱりあの部分はこうしよう」って話し合ったり。

私は当時ただでさえ歌詞と曲作るのに睡眠時間が不規則にだったのに、思いつくとすぐ電話してくる人達の集まりだったから、その連絡網でまた時間がつぶれたりして。
10年20年聴いても古くならない作品にしたかったから、妥協したくなかったんですね。

でもいつも剛さんが行ってたお店でごはんを食べてたな、とか、とかセレクトや判断の仕方や考え方とか、音楽に関してその後に活かせるいろんなことを教わったな、とか良い思い出もたくさんあって。

だから病院で「あの頃、大変だったけど総合的に見て楽しかったですね」って話してきました。
剛さんはみんなを困らせたこともあったけどみんなにすごく愛されてる方で、「剛さんがそう言うなら」ってみんなが動いちゃうようなパワーがあったんです。

細いお身体で最後までパワフルにご活動されていたんですね。

「もっと前に会いに行けば良かった」とか「私が病室で歌ったから送り出しちゃったのかな」とかいろいろ悔やんだけど、
お元気な頃、最後に会った時、10年くらい前かな、「Amikaは幸せな歌を書くといい」と言ってくれたんです。

言われた時は全然自信なくて「書けるかな。。書けないかも」って答えたんですけど、いつか、できたら幸せな歌も作ってみようと思います。
そしたらまた難しい顔で聴いて、最後にパッとあの笑顔になってくれるかな、って思います。

今回のことで私のプロデューサーがもう2人とも天国に行ってしまったことになります。

お2人は仲が悪かったけど、もう私が真ん中で仲を取り持てないんだから、しばらくは他の人達と交流しててください。
私が行ったらまた仲を取り持ってあげますから、ブーブー言いながらまたみんなで何か作りましょう、って言いたいです。

ありがとうございました。
まだ四十九日まではいろんな現場に行ったりみんなの周りをフワフワしてるかもしれないけど、またいつかお会いできるならお会いしたいです。

今日話したことにプラスアルファを加えて、後ほど私の公式noteページの方に詳しく書いておきますね。
Noteドットコム、エヌオーティーイードットコムというサイトに『ウェブアミカ』という定期購読マガジンがあります。

このnoteマガジンではコーヒー1杯分の価格、500円で、ラジオで話せなかったことやもっと詳しく深い記事、使える時短レシピ記事や近況などもお届けしています。
YouTubeラジオと同時に裏チャンネルのような音声配信もお楽しみいただけます。今回もいろいろしゃべります。
ぜひこちらにも遊びにきてくださいね。

また、ラジオといえばおたより。
みなさんからのお便りもお待ちしています。
公式サイトAmika.jpのコンタクトページから、おたよりや小さな相談など、お寄せいただけましたらお答えしたり読むこともできるかもしれません。
TwitterやInstagram、Facebookからでもご感想やお便り、お待ちしております。

そうだ、このYouTubeのコメントを読ませてください。
私の歌『ナンを食べにいく』をかけた回のご感想ですね。
くまねこずーさんから。
カレーの店はいいの?って聞かれちゃうんですね。
この曲とっても好きです。カレーが食べたくなっちゃう。

ありがとうございます。
曲をとっても好きって言ってもらえるととてもうれしいです。
あと「この歌に出てくるカレーの店はどこ?」ともいろんな人に聞かれましたね。
絶対言わなかったけど。
わかります。カレー、ときどき食べたくなりますよね。

そして次は私の歌『How Can I Say』をかけた回のご感想です
藤原かずなりさんから。

「不思議ですね、最も多感な高校生の頃に1stアルバムに出会って24年。 年に数回、自然と口ずさんで、しばらく続いてるとアルバムを聞き返して、そしてまたYouTubeのチャンネルを覗いて…これからも時々聴いて、栄養を貰い続けると思います。 自分が死んだ時の答えが"How can I say"の一部に在ると思ってます。自分が死ぬまでにいつか生歌を聴きに行かねばと考えてます。」

24年!ああもうそんなに経つんだ。わかってたけど数え直すと「うわ」って感慨深いです。私と共に成長してくださっているんですね。かずなりさん。
本当にありがとうございます。
自分が死んだ時の答え…胸の中で大事にしてくださっていること、本当にうれしいです。死ぬまでと言わず、ライブ、もうすぐあるので、ぜひいらしてください。
ああでも事情があるなら、、しょうがないけど。
私ももっとライブできるように健康を保って待ってますね。
何度もいらしてください。ぜひお会いしましょう。

そして田中豊人さんからもコメントをいただきました。
その後、無事にチケット予約できました。ライブ楽しみにしています!

あーありがとうございます!チケット予約してくださったんですね。ありがとうございます!
そう、ライブをやるんです。
8月18日金曜日、東京渋谷に近い外苑前にある、
南青山マンダラというライブハウスで、
18時会場19時開演、チケット代は5000円プラスドリンク代です。
共演者は、キーボードもアコーディオンもギターもマンドリンも扱えるマルチプレーヤーのたつのすけさん、そして、元G-Clefでさまざまな映画や音楽界で活躍されているチェリスト、柏木広樹さんです。

昔いろんなところで3人でライブしていました。
このリユニオン、久しぶりにまた3人でできること、とても楽しみです。

皆さんもぜひ、聴きにいらしてくださいね。
私もみなさんにお会いしたいです。

というわけで、
それではお送りしてまいりましたAmika dot jpも
そろそろ次回までお別れの時間です。

今回はAmikaの楽曲『世界』をお送りしました。
みなさん聴いてくださってありがとうございました。

次回の配信予定は新月になる7月18日。
ライブのちょうど1ヶ月前です。
チケット予約はもうしてくださいましたか?
シフトを代わってもらったり、有給を申請したり、予定を空ける理由を考え始める時になってきましたよ。
ラジオとともに「そろそろだな」と思い出してもらえたらうれしいです。

日に日に暑くなってきましたよね。でも夏野菜美味しいし、
そうめんや暑い日のアイスも最高だし、そろそろスイカも?
美味しいものいっぱいな時期になってきました。
季節のものを食べて、よく眠って、
どうか健やかな毎日をお過ごしくださいね。
それではまた次回まで、バイバイキン。

noteマガジン『ウェブアミカ』音声配信 第61回

noteマガジンを読んでくださっている皆さん、こんにちは、Amikaです。
この音声配信は、noteの定期購読マガジン『ウェブアミカ』を
読んでくださっている皆さんだけのためにお送りしているラジオです。

私のYouTubeチャンネルで配信しているラジオ『Amika.jp』のスピンオフでもありますが、より深く、詳しく、そしてより近しい気持ちでつれづれと。
今日も楽しくお届けできたらなと考えています。

今回YouTubeラジオの方では私の楽曲『世界』をお送りしました。
この曲はファーストアルバムに入っている曲です。

YouTubeラジオでも話していましたが、
私がいた所属事務所『ファイブD』の社長であり、
音楽プロデューサーだった佐藤剛さんが、6月20日の朝、亡くなられました。

お亡くなりになる前日にお見舞いに伺ったんですけど、
私お見舞いに慣れてなくて
「剛さん、今は食べ物持って行っても困るだろうし、本も読めないだろうし、お花かな…」と思って、剛さんが入院されてた病院に電話してみたんですね。

そしたら「アレンジメントフラワーなら大丈夫です」って言われて。
お花屋さんに「元気が出そうな、明るい気持ちになれそうなお花をお願いします」って頼んで作ってもらって持って行ったんですね。

そしたら病院の受付で「お花は受け取れないんです」って言われて、ええええって固まりました。
すると看護師さんが来て「あーー私がオッケーって言っちゃったんでした!ごめんなさい!ご家族が来る時に渡しておきますね!」って受け取ってもらえて。
ご家族の皆様にもちょっと癒されてほしかったから、
渡してもらえて嬉しかったです。
でも、お花って手がかかるから大変な時にすみません、とも思いました。

お花を持って行ったけど結局病室には持って行けなくて、
「あー剛さんに何もあげられないんだな」って思ったんです。
私は歌う人間だからか、ほんと歌しか思い浮かばなくて
剛さんに最初出会った頃の「ふたつのこころ」を歌って、
それから剛さんが「良い歌だなーこの歌好きだなー」って何回も言ってた「世界」という歌を歌ったんです。

25年くらい前の剛さんしか知りませんが、所属事務所の社長として、
プロデューサーとして、素晴らしい人だったと思います。

鍛えられた気もするし、「言いたいこと全部言っていいから」って言葉をそのまま信じて、言いたいことたくさん言わせてもらったし言われたし。
きっと「この人達なら大丈夫」って甘えさせてもらってたんですね。

そういえばレコーディング中に「音程が外れたから歌い直したいです」って言った時に「いや、このままがいい」って言ったのも剛さんで。
「Amika、音程じゃないんだよ」って。

気持ちが昂るとわーってなっちゃう部分があって、「音程と気持ち、両方コントロールできれば良いのに」って悔やんでた時に「君は片方でいいんだ。いやほんとに。」って言い切って下さって。

レコーディングの時は語尾のニュアンスや息の逃し方とか、いろいろあるけど、
「この歌を作った時の気持ちが入ってるテイクはどっち?」って常に耳で感じ取って特定することを求められました。
だからか何度も歌って慣れてきたテイクより、結局スタジオに入ってすぐ歌った最初のテイクが採用されたことが多かったですね。

でも有り得ないこと言われて「剛さん、目上の方でも許せないです」ってケンカみたいになったり、「老人力ですか?」ってくらい意見を翻されて「は?!?!」となったりもしてたなぁ。
あ、でも当時剛さん50代…まだ40代だった?

なんか、剛さんの素晴らしさをもっと語ろうと思っていたのに
悪口みたいになってきてないかな。

いや、そんなことないです。
頭の回転が速く、言いたいことをとても上手に伝えられる方でしたし、
気分屋ではあったけどみんなに本当に愛され慕われていて、
知識も豊富で感覚も鋭く、素晴らしい方でした。
器の広さも懐の深さもあって、みんな剛さん剛さんっていつも頼りにしてたし、剛さんと仕事したいって思わせる何かがありました。

もっと早く会いに行って、いっぱいお礼を言って、数々のご無礼をお詫びして、
にっこり笑いながら「でも剛さんもひどいこと言ってましたよね、覚えてます?」っていろいろ話して笑いたかったです。

そういえば病院に行く前、
剛さんの病状を友達のYさんから伺っていて心配したんですけど
Yさんが「Amika、剛さんのところに行ったら絶対泣いちゃダメだよ」って言ってくれたんです。
「1番泣きたいのは剛さんやご家族なんだから、面会の時間は笑顔でね」って。

そのおかげで最後の面会で個室のドアを開けた時には昔と同じ笑顔で昔と同じ口調で、剛さんと話すことができたんだと思います。
ずっと言えなかったお礼も伝えられたし、歌を歌ったり、
剛さんに「もうすぐみんなが会いにきますよ」
「またお話しできるようにきっとなれるから、今もうちょっとがんばってください」ってみんなからの伝言を伝えられたと思います。

剛さんは最後まで戦っていました。
敬意を表して、表のラジオで『世界』をかけさせていただきました。
聴いてくださり、ありがとうございました。

もう1人のプロデューサーの鈴木さんは最後お会いできなかったけど、
四十九日過ぎた剛さんと再会して、私の悪口言うかもしれない。
あーそれはむっかつくかも。ま、好きにしててくださいって思います。

そんなわけで、今回のラジオはすっかり剛さんの話になってしまいましたね。

それではお送りしてまいりましたウェブアミカも
そろそろ次回までお別れの時間です。
次は7月18日ですね。夏のAmikaライブの1ヶ月前!わあ、うれしい!
落ち着こう、新月の日にお耳にかかれたらとおもいます。

お名残惜しいですが、
どうかみなさん温かく健やかな毎日をお過ごしくださいね。
それではまた、バイバイキン。

YouTubeラジオ Amika.jp 第60回

ちなみに、剛さんのお見舞いに行く直前のYouTubeラジオがこちらにあります。
面会できない状態だった時から、回復を祈って祈って、回復が可能になって。
「私よりもっと切実に剛さんに会いたい人はいっぱいいるだろうに、
本当に伺っても良いのだろうか」と悩んだりもしましたが、
お会いできて良かったです。最後になってしまったとしても。

最後に

悩んでお見舞いに行くことに決めて、ラジオを録音して、
第60回目のラジオのあとすぐにお見舞いに行って、
翌日剛さんが亡くなって、次の日友達と剛さんの話をしながら過ごして、
斎場で剛さんとまた会って。
その一連の流れがあったのに、まだ剛さんがどこかで生きているような気がしています。プロデューサーの鈴木さんの時もそうだったけど。

きっとおふたりはどこかで生きていて、元気に飲んだり本を読んだりサウナ行ったり美味しいごはんについて語ったりしているんじゃないかなと思うことにします。
全く思い出さなくなった時が、本当の死だと思うから、
心の中にちょっとだけスペースを空けてたまに思い出したり、
たまにみんなでも思い出せたらなと思います。

この間友達と「みんな、向こうに行ってしまうんだなー」って話していました。
どうせ向こうに行くことが決まってるなら、それまでは皆さん、好きなこといっぱいしましょうね。この世の中をたっぷり楽しみましょう。
読んでくださり、ありがとうございました。
それでは、また、次のラジオで!

これからいろいろな方に頼んで、良い音で録音していきたいと考えています。ライブ活動も行なっていきたいです。もしもサポートいただけましたらとても助かります。