Ami Shoji / 庄司彩未

2000年生まれ【 Emergence for Cultivation 】 農学部で微…

Ami Shoji / 庄司彩未

2000年生まれ【 Emergence for Cultivation 】 農学部で微生物同士の共生関係を培養する研究をしていました。地方地域がもつ、人の創造性の発現させる可能性を信じて観光・共創の場づくりをしています。飛島の民藝再興レーベル「島民芸術Re:creation」主宰

マガジン

  • 去った母・残された私たちのウェルビーイング

    死は終わりだが、新しい生の始まりである。これは、亡くなった母と喪に服する家族の物語。看取りが叶わない死の経験や、大切な人の死を共有する家族同士の関係性、ひいては死者と生者が新しい関係を結んで生き続けることについて書いています。暗闇から光を紡ぐエッセイ集。

最近の記事

生きていても他者の中で私(の好きな私)が死んでいくことの怖さ-夢をめぐる思考-

「常に見つめていないと、方向を見失ってしまう、あそこに行きたいっていう星のようなもの」 それが夢らしい。 最近再び住み始めた実家の居間で、父が観ているテレビからサッポロ黒ラベルのCMでハッピーエンドの松本隆さんの金言が耳に入った。 な、なるほど………!と心の中で感嘆する。 私は現在、大学4年生で卒業研究のための実験をしている。卒業研究は高校生の頃からやりたかった応用微生物学(微生物生態工学)の研究室に所属し、充実した研究室ライフを送っている。 生命としての大大大先輩、古細

    • 2023年4月28日(金)

      日記として書いたもので、たまに公開したいと思うものがある。たぶんそれは、個人の中に留めるのはどうももったいないような気がして、誰かにみてもらいたいときだと思う。 そもそも日記を書くために書いてるというよりは、家から最寄り駅は歩いて16分ほどかかるので、歩いてる時間に考えたことで、「きっとこの気づきはなんかの糧になるかも!」 か「何の変哲もないこの感じがいいなぁ」のどちらかを感じたら、「今」を残したくなって、日記に思索を書くようにしている。 そんなわけで、28日の日記。

      • 岩手の郷土芸能・鹿踊にさぐる、弔いの念を場に立ち上げ共有する祭りの可能性

        踊ることは、生きること。 これは昨年2022年に岩手を訪れ、鹿踊にある根源的な思想を学んで、感じたことです。 鹿踊に出会ったときの衝撃と、タイミングに運命を感じ、導かれるままに岩手県を4回ほど訪れました。 岩手県・一関を拠点する京屋染物店さんが開催する、ヘンバイバライという郷土芸能のフェスのようなイベントに参加したり、その後も遠野のしし躍りのモニターツアー(プロデュース:ITLF)に参加するなど、岩手の鹿踊や郷土芸能の虜になっていて、岩手という土地が育んだ文化や精神性に魅

        • ネイティヴの暮らしを想像する装置としての装い

          最近、私のワードローブの7割、いやそれ以上がヴィンテージやアンティークの服になってきた。 私がヴィンテージを好きな理由として、「あ、私この服が好き。」と直感的に感性に響くような審美性に心を奪われているからという理由が第一にあるが、より核心的な理由は、その衣服に"余白"が存在することだと解釈している。 100年前のヴィンテージやアンティークを纏っている時、その衣服に内包されるつくり手/前着用者の精神性や生み出された生活環境、時代の様相に想像を巡らすのが楽しい。 服飾史を調べ

        生きていても他者の中で私(の好きな私)が死んでいくことの怖さ-夢をめぐる思考-

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        • 去った母・残された私たちのウェルビーイング
          4本

        記事

          服を長く愛するために

          2022年4/18〜4/24の1週間は、「Fashion Revolution Week 」。 普段からお世話になっている(一社)unistepsの方々とご縁もあって、光栄なことにアルバイトに採用いただき、Fashion Revolution week 2022 日本支部( Fashion Revolution JAPAN)主催のイベントの会場案内スタッフをさせていただくことになりました。 *Fashion Revolution とは、2013年4月24日バングラデシュの

          服を長く愛するために

          失いたくないものを喪わないために生きる

          「これからどう生きていくか?」 「なんのために生きるのか?」 私たちは生きていれば、幾つになってもこの問いの答えを探す。 問いの答えの解像度が低くて日々もがいているけれど愛すべき身近な人達のおかげで少しずつ上がってきたと思う。 そして、母の死と向き合う中で「これだけは大切にしたい。」という、私の信念が形成されてきたように思う。 自分の生と向き合うことは、大切な誰か/何かの死と向き合うこと。 社会的意義は論理的に証明できないかもしれないけど、 好きなものは好き。守りた

          失いたくないものを喪わないために生きる

          去った者・残された者のウェルビーイング 《後編》

          2022年3月8日  3月8日は、ミモザの日。そして母の誕生日。 去年ミモザをプレゼントしたら喜んでいた母を見て 「また来年もプレゼントしよう!」 そう思ってたのに、去年が最後になってしまった。 今年の3月8日は、母が亡くなってから106日だった。 「お母さんあのね、今日はわざわざおばあちゃんが、お母さんの好きな芋の煮っころがしを作って家に持ってきてくれたよ。」 「こんなに悲しいのに、こんなに幸せな誕生日を 私は初めて知ったよ。」 おばあちゃんの行動に、 魂の叫びの

          去った者・残された者のウェルビーイング 《後編》

          去った者・残された者のウェルビーイング 《前編》‐‐「お母さんは、いつまでも私のお母さんだ」

          2022年3月23日、母の4回目の月命日。 昨年の11月23日、私の母は急性心不全で突然この世を去った。まだ60歳の若さだった。母が亡くなる前日は幸運にも、父母私の家族3人で久しぶりに外食をした。買い物もした。明日はおでんをつくるよと言っていた。私の将来の話を沢山した。実家に泊まった。母は普通通りだった。でも、その普通が高血圧で体調悪いのに頑張って耐えてやっとの状態だったのかもしれない。「先に寝るね」「うん」が最後の会話になった。母は朝アラームが鳴っても起きなかった。 そ

          去った者・残された者のウェルビーイング 《前編》‐‐「お母さんは、いつまでも私のお母さんだ」

          リスナーとして音楽を表現する。

          今日、ヨルシカの 「春泥棒 」が バ先のUSENで流れていて、久しぶりにヨルシカを聴いた。 高3の頃、友達にヨルシカをおすすめしたら、その子はいつの間にか自己紹介で好きなアーティストでヨルシカを1番に答えていた。(その子は私とたまたま同じ大学に進学し、軽音サークルでギターを弾いてる。その自己紹介に書いてたのを、学園祭のときのチラシかなんかで見た。) またある時は、バ先の社員さんに1年前にgo!go!vanillasのライブに行ったことを話したら、「バニラズ??」という反応

          リスナーとして音楽を表現する。