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去った者・残された者のウェルビーイング 《後編》

2022年3月8日 

3月8日は、ミモザの日。そして母の誕生日。
去年ミモザをプレゼントしたら喜んでいた母を見て
「また来年もプレゼントしよう!」
そう思ってたのに、去年が最後になってしまった。

今年の3月8日は、母が亡くなってから106日だった。


「お母さんあのね、今日はわざわざおばあちゃんが、お母さんの好きな芋の煮っころがしを作って家に持ってきてくれたよ。」

「こんなに悲しいのに、こんなに幸せな誕生日を
私は初めて知ったよ。」


おばあちゃんの行動に、
魂の叫びのような愛を感じた。
お母さんはそれを受け取って、微笑んでる気がした。
お母さんが幸せそうで、私も幸せだった。

きっと、この世界は「愛」に包まれれば
誰もが幸せになるんじゃないか。
本気でそう思った。

これは、親子だけの話じゃないと思う。
今世界で起こっている環境問題も労働問題も
武力戦争も、"人間"が引き起こしてる。
社会的問題の解決におけるジレンマを現場にいる人から聞くと、結局のところ問題の根本は"人間"という答えに辿り着く。たとえば、意思決定する大人の倫理観の不足とか、幸せの形の歪みとか…

人の心が、真の幸せや豊かさに満たされば、
生きる喜びを日々感じ取れる人が増えれば、
歪んでしまった世界を変えられるんじゃないか。
本気でそう思う。

未来、この世界が愛で溢れてほしい。
人と人、人と地球が調和するような世界であってほしい。

その世界を実現するために、
自分は具体的に何ができるだろう?
その答えをみつけて、それを成す人生にしたい。

【追記】
日々考えているが、まだその答えの解像度は低い。
解像度の上げ方に正解はないから、ただその時の自分が、必要・最善と感じることをひたむきに積み重ねていくことで、きっと解像度は高めていけるはず!


今仮にこれだ!と答えを絞って実行しても、今の私は視野が狭く、何かを排除してしまうような誤った選択をしてしまいかねない。
なぜそう思うのかというと、なぜ?を突き詰め、学べば学ぶほどに、この世界は複雑に成り立っていていることや、真理法則だけでは説明できない、複数の”ものの見方”で出来上がっているということに気づいたからだ。

もっと様々な世界に触れ、視野を拡げることのできる道に一旦進もうと思う。ニュートラルな立場でものごとの本質を見つめると同時に、自分の主張を根拠を持って論証できる力も身に付けたい。その過程で、解像度が高められたらんじゃないかと思う。
考え抜くことを諦めず続けていこう!



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