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父の死が遺してくれたもの

私の父が昨年12月10日に亡くなった。葬儀や49日にも出席することは叶わず、私の心にはなんともいえない悔いみたいなものが残った。49日法要の後、以前から夫が妹に頼んでくれていたもので、父が生前私と妹の名前をそれぞれに書いた、大事そうな写真やアルバムをまとめてくれていたダンボール箱が私に(妹からの発送で)届いた。
送ってくれた妹に感謝すると共に、かなこちゃんと書かれたそのダンボール箱を開けて中身を見るのが、少し怖かった私は、数日間そのまま置いておいた。数日後、夫の別の宅急便の配送トラブルでやっきになった私はその勢いで「えいっ」と送られてきた父のダンボールを開けた。そこから出てきたものは、予想していた卒業アルバムはもちろんのこと、卒業証書や、小学校の時担任の先生から卒業記念に頂いた写真付きの色紙や小学校の卒業文集さらには母の母子手帳も出てきた。その品々からは、父のタバコの匂いがして、胸がきゅうと熱くなり、奈良から父がやってきたような気がした。 母の死でバラバラになった私達家族が、また一つになって集まってきたような気がして、心が暖かくなるのを感じ、父は「死」を迎えたというのになぜだか嬉しかった。すぐに感謝の意を伝えるため、妹に電話すると、妹は電話に応じてくれ、長く絶縁状態にあった父や妹とも雪解けの気配を感じた。
人の死が、悲しみや喪失感、絶望感だけではなく、暖かいものを運んでくれることもあることを、生きてきて初めて知った。始めは入れてくれていないと思っていた簿記一級の賞状も入っていて取得当時喜んでそれを額縁にまで入れて飾っていた父を思い出した。卒業文集の私の字も今とは比べられないほどきれいな字だった。母の字が書かれた母子手帳の父の欄にももちろん名前が書いてあって、父について健康に◯がつけられているのもなんとも切なかった。
私は確かに愛されて産まれてきたこと、と感じ、今父に言いたいことは。

「お父さん育ててくれてありがとう」
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