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【連載小説】絵具の匂い 【第5話】インドの神様に御馳走になった昼ご飯

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絵具の匂い 【第5話】インドの神様に御馳走になった昼ご飯


その日曜日、やけに早い時間に目が覚めた。時計を見たらまだ5時である。
「まだこんな時間かあ」
もう一度寝ようと毛布をかぶったり、しばらく右に左に寝返りを打って姿勢を変えてみたが、なんだかもう眠れそうになかった。

しょうがないので、俺はバネがヘタってしまい寝てるとブーメランのように腰が曲がってしまうベッドから飛び降りると洗面所に向かった。昨晩シャワーを浴びてから寝たのだがもう一度シャワーを浴びてみた。そしてガラガラ・スカスカの冷蔵庫に唯一入っているデカいボトルに入った牛乳を出し、変な虎男のような絵が描かれた箱から出したシリアルにかけて、早い朝飯を食べてみた。しかし時計を見るとまだ目が覚めてから30分も経っていない。外からは山鳩のような鳥の鳴く声が聞こえていた。

俺は日が昇るまで、日本から持って来た文庫本を読んだ。ちなみにインターネットのない時代、日本語の本は貴重だった。日本語に触れられるのは本を読むときくらいだったのだ。そのせいもあるのか、この国に来てから毎日勉強している時以外は時間が過ぎるのがゆっくりだった。一日が長いのである。

***

この「外国では暇なときの時間の潰し方が限られている」という事が、外国で時間が遅く進むように感じる大きな理由のひとつではないかと思う。テレビも、見ていてフルに楽しめる番組は限られているし、日本語で読むものがなかったりすると暇なのである。英語の本も読んでは見るけど、結局辞書なんか引きながらになったりして、なんか勉強している感じになってしまうのでそれほど楽しめなかったりする。そこで、しかたなく楽器の練習なんかしていると異常に上手くなったりする。

そんな外国での不便な生活は、考えようによっては、何かに追い立てられることのない精神的に豊かな生活という感じもした。今で言うスローライフというやつかもしれない。

また、「子供の頃より大人になってからの方が一日が短く感じるのは、これまで生きてきた時間を一生ととらえ、それに時間を対比して感じるからで、生きてきた時間が長くなればなるほど一日を相対的に短く感じるようになって行く」なんて話もよく聞くが、俺は外国に住み始めるとこれがまた最初から始まるような気がする。

最初は知らないことだらけでとにかく一日が長い! 小学校の時のように一日が長く感じられるのだ。この国に来てから過ごした時間に対して時間を相対的に感じるからという事もあるのだろう。色んな事に慣れ、ここで過ごす時間が長くなっていくうちにだんだん一日が短くなって行く。

***

さて、もうする事もないので、ちょっと早いが出掛ける準備をしようかと思い、何を着て行こうかと考えたが迷う程の服も持ってない。結局先週と同じような格好になった。そして手ぶらで行くのもなんだな、と思い見渡したが部屋の中に手土産になりそうなものは何もない。はい、そんな訳で、朝飯まで食ってすっかり準備はできたのだが、まだ朝が来ないのである。

しょうがないので俺はまた靴を脱いでベッドの上に横になり腹の上で両手を組んで、ご臨終的ポーズをして天井のペンキのムラを眺めながら、山鳩の声を聞いていた。

気がつくと俺は出かける格好のまま眠ってしまっていたようだった。時計を見るとちょうど出かけようと思っていた時間だった。俺はトラムに乗ると彼女の住む街に向かった。日曜日のトラムは空いていた。

***

彼女の住む家につくとドアにまた張り紙が貼られていた。しかし今回はなぜかアルファベットと子供の書いたようなひらがなが混ざった文字で
『knock してください』
と書いてあった。

俺がまた大きな音でノックすると、今日は直ぐにドアが開いた。

俺は、顔を出した彼女に向かって「何が食べたい?」と聞いたのだった。まだ朝10時である。あせり過ぎである。

そうそう、俺は昼飯を一緒に食おうと思ったのだが、前日彼女が「もし早くこれるなら10時くらいに来てよ」と言ったのでこの時間に来たのを思い出した。

How have you been?(どうしてた?)
キッチンに通された俺は、コーヒーを飲みながら、先週もらった絵をさっそく壁にかけたことや、そのおかげで殺風景な部屋が少しかっこよくなったことを彼女に伝えた。

すると彼女は唐突に、 Do you know of Hare Krishna?(ハリ・クリシュナ知ってる?)と俺に聞いた。

俺が「何それ?」と聞くと彼女は一枚の葉書を出した。そこには青白い肌をしたインドかどこかの女性のような人が笛を吹いている絵がかかれていた。

Who's this?(誰これ?)と聞くと彼女は、
Our lunch, today.(私達のお昼ご飯よ)と答えた。

Our lunch?(昼ご飯?)
She's gonna treat us lunch.(彼女にごちそうになるのよ)

俺が「???」という顔をしていると、彼女は Anyway, you'll see later.(後でわかるわよ)と言って笑った。

俺が「あ、そう言えばドアに日本語が貼ってあったよ」というと、彼女は「ああ、ちょっと待ってて」と言って自分の部屋から一冊の本を持ってきた。それは『にほんご』という題名の書かれた白い大きな教科書だった。

「せっかく日本人の友達ができたので、字も覚えて見ようと思って買ってきた」というのである。その本は、教科書と書き取りドリルが一緒になったような初心者向けの本で、それを開くと彼女がなぞって練習したひらがなの文字があった。そしてその横には、丁寧にゆっくり書いたらしきヘタクソなひらがなで、彼女の名前が書かれていたのである。

せしりあ

俺はその一生懸命かかれたような下手くそな字を見た時に「おお、これはヤバい、ちょっとダメだ」と思ったのである。よくわからないがグッときたのである。心のやらかい場所を掴まれる、みたいな歌があったと思うが、そういうヤツかもしれない。

しかし、俺はそんな気持ちを顔に出さないように、「おお、すごいなあ」と言った。すると彼女は「日本語は中国語よりかっこいいよね」と言ったのだった。俺はそれを聞いて(なんだそりゃ)と思ったが、先週彼女に言われた You don't have to be nice.(無理しないでいいよ)と言うセリフを思い出し、それをそのまま言ってみると、彼女は笑っていた。

***

しばらくすると急に彼女は、「あ、そろそろ行かないと間に合わない」と言いだした。「どこに?」というと「ハリ・クリシュナ」と言った。

出掛けようとする俺達に、同じアパートの住人が「どこ行くの」というと彼女は「ハリ・クリシュナ」と言った。するとその住人は眉毛を上げて、「ああ」と言う顔をした。なんだか皆知ってる場所のようである。

俺はまた訳もわからず彼女について行った。トラムを降りてしばらく歩くとビルが見えてきた。建物の前には大きな木が立っていた。

俺が Is this it?(これ?)というと彼女は This is it.(これ)と言った。

その大きなビルのような建物に入ると床が石張りの大きな広間があってたくさんの若者が床に座っていた。そして壁にはさっき絵葉書で見た青い肌をしたインド人の女性の絵がかけられていた。ヒンドゥー教の神の一人クリシュナ神とのことだった(後で知ったがクリシュナ神は女性ではなく男性とのことなので、まあ美少年ということなのだろう)。その建物は一見ビルのような形をしていたがいわゆる寺院のようだった。

そしてその部屋では、たくさんの人が床に腰をおろして金属のおおきな皿に盛られた料理を食べていた。俺たちも列に並んでその皿に盛られた料理を受け取った。なんか豆をすり潰して揚げたコロッケのようなものやゆでた野菜やご飯とカレーみたいなものがものすごい量盛られているのだが、どれも本当に美味しかった。

いわば肉を使っていない精進料理の様な感じなのだが程よくスパイスも効いており、食べた事がないようなものも多くてとにかくイケる。どこからお金が出ているのか知らないが、この素敵な美味しい料理がタダなのだと言う。

ここはいわゆる宗教団体の寺院兼会合施設だった。Hare Krishna「ハレー・クリシュナ」いうのは「ハリ神であるクリシュナよ」と言う呼びかけの言葉で、この団体の通称にもなっていた。正式名を International Society for Krsna (Krishna) Consciousness(国際クリシュナ意識協会)と言うのだそうだ。

【ハレー・クリシュナ運動】
国際クリシュナ意識協会 International Society for Kṛṣṇa (Krishna) Consciousness の活動を一般にこう呼ぶ。1965年、インド人、バクティベーダーンタ・スワミ・プラブパーダ(Abhay Charanaravinda Bhaktivedanta Swami Prabhupada)が渡米して創始した。16世紀インドにおける宗教家チャイタニヤの熱情的なクリシュナ崇拝運動に影響を受け、ビシュヌ神への絶対帰依、すなわち信愛ヨーガbhakti‐yoga(バクティ)を説き、ドラム、シンバルを打ち鳴らしながら「ハレー・クリシュナ」を唱えるので有名。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

集まった人が食事を通して仲良くなるようにと食事が振舞われているらしかったが、誰でも歓迎のようでありがたい大盤振る舞いだった。

ハレー・クリシュナにはドール・ブラッジャー (*) も沢山来ているようだった。本当かどうかしらないがそんなやつらも受け入れる寛大な神様なんだと言う。入信の勧誘もなく、来るもの拒まずのようだった。

(*) 【参考解説】ドール・ブラッジャー (Dole bludger)
・ 働けるのに働かず失業保険で生活することを選択した人
・ いわゆる怠け者的ニュアンスあり
・ たぶんオーストラリアの俗語

俺が「いやあ、美味しかった」というと彼女は「じゃ毎週来る?」と言って笑った。俺も「ハハハハ」と鷹揚に笑って見せたが、実は心の中では(そうか毎週やってるのか、毎週来よう)と思っていたのである。

***

一通り食事が済むと、広間にいた一部の人々が外に向けて開かれた大きな窓から外に出始めた。これから街を練り歩くようだった。

料理をよそってくれていた若者が、太鼓をたたき歌いながら先頭を歩きだした。その後に何人もの人が踊りながらついて行った。このパレードはハレー・クリシュナの名物の様だった。ホールにいた、筋金入りの信者じゃない人達も誘い合って外にでていったので俺達もそれに続いた。パレードと言ってもきちんとしたものでなく、皆、歌に合わせて体を動かしながら適当に歩くという感じだった。

道を行くと子供たちも付いてきたりして、まるでハーメルンの笛吹き男のような光景である(あれはもうちょっと気味の悪い話だったが)。布教活動と呼ぶにはあまりに無邪気な感じだし、少しヒッピー風味の自由の匂いもあった。

俺はどう踊って良いのかわからず、適当に空中で手を回したりしてみたが俺だけ阿波踊り風だったような気がする。そんな調子で、皆ででたらめな感じで歌に合わせて街を一周するのだった。彼女は太鼓の音に合わせて後ろから俺の背中をパチパチと叩いた。楽しかった。

参考資料:どこかの国の Hare Krishna のパレード

このパレードの時に歌われる、
〽 ハリー・クリシュナー、ハリー・クリシュナー ♪ クリシュナ・クリシュナー、ハリーハーリー
と言う歌(いわばマントラ)を聞いたことのある人もいると思うが、一度聞いたら忘れないメロディーである。本当に歌っているとハッピーになるようなメロディーだった。

この曲、良い機会なので調べてみたところ、なんとビートルズのジョージ・ハリソンのプロデュースにより、アップル・レコード(ビートルズのレコード会社)からシングルで発売されていた。こんなに昔からあるのか!


一団と一緒にひとしきり歩くと、途中にトラムの停留所があったので、俺達はごちそうになった昼飯に感謝しつつそこでパレードから離れて、トラムに乗った。

***

そしてまた、彼女の家に戻り色々話をしたわけだが、俺が「いやあ、美味しかったね。俺二人前食べて腹いっぱい」と言ってお腹を叩いてからさする仕草をすると彼女はなんだかおかしそうに笑った。
俺は(あれ? この国では腹をさすると何か別の意味になるのかな?)と思った。

俺はもう一回お腹をさすって見た。なぜか彼女は笑っている。さすがにこれは万国共通で「お腹一杯」の意味なんじゃないかと思ったが、彼女は真似をして俺の顔をニヤニヤと見ながら自分のお腹をさすり始めた。

なんだか良くわからないが、結局、年下のくせに俺をからかっているようだった。俺も笑いながら彼女が俺の真似をする様子を見ていたが、彼女のシャツがめくれてヘソが見えていた。彼女は全く気に止めていない。天真爛漫なのか無頓着なのか、なんなんだという感じである。目のやり場に困る。

また俺だけドギマギしていた。そんな俺は、何もないように立ち上がって、何の脈絡もなく窓辺の絵を見て「うーん」なんて言ったりしていたのである。なんて不自然な俺。変な気持ちは全くないのだが、俺の頭の中ではヘソが回っていたのである。

俺はやや彼女の方を見て、視界の隅で彼女のヘソがもう出ていないの確認してからようやく彼女に視線を戻した。我ながら非常に不自然な動きだったかもしれないが、俺なりに精一杯である。結局、俺の腹さすりのどこがおかしかったのかはわからなかった。

そしてその後、色々あり、俺達は急速に仲良くなったのである。ヘソの取り持つ縁かもしれない。その辺の具体的な話はここでは書かないのである。

その日を境に彼女は俺の生活の中の大きな存在になった。


つづく

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