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今日ときめいた言葉21ー「フェミニズムは弱者が強者になりたいという思想ではありません。弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」

THE BIG ISSUE 2023.2.1 Vol.448 「弱者が弱者のままで尊重されるフェミニズム」上野千鶴子氏の記事から。

私よりちょっと年上の上野千鶴子氏。この記事に書かれていることが肌感覚でビンビン伝わってくる。当時の日常の男女間の不公平や不平等に文句だけ言ってやり過ごしてきた私と違い、「女の経験の言語化・理論化」まで高めた上野氏の功績は大きい。あの東大の入学式での彼女のスピーチには、その想いが詰まっていたと思う。

その後、私が実感として我が身に降りかかる問題として性差・性別役割を意識したのは、3人の娘を持った時である。「女の子は学校で作られる」ー外国人女性の書いたこの本の解説記事を読んだ時、自分の娘たちは私が育てられたのとは違う育て方をしたいと強く思った。

幸い娘たちが生まれ育ったところが日本ではなかったことで、日本の教育ではない教育が選択できた。男の子と女の子の間に見えない壁があり、同調圧力の強い日本の学校とは異なる教育環境で育つと、子供はどう変わるのだろうか。ある意味これは私にとっての実験でもあった。将来娘たちは日本の女の子たちとどれほど違って成長するのだろうかと。

娘たちは私が想像した通り、私が長年悩まされた性差や性別役割などという問題にわずらわされることなくたくましく成長した(でも、3人とも日本では暮らせないと口をそろえる)

閑話休題
上野氏のこの記事であらためてフェミニズムを学ばせてもらった。上野氏によるとフェミニズムには二つの条件があるという。

「一つは、女の自律的な運動であること」
「もう一つは女らしさ(女性の性別役割)からの解放を追求する運動であること」

だから男性が主導するこれらの運動をフェミニズムとは言わない。また、「母親」とか「主婦」の名を冠した運動も、「男が女に与えた指定席」=性別役割そのものなのでフェミニズムとは言わないそうだ。

フェミニズムには、二つの派があるという。社会には性別役割分担があるという構造的問題に気づいた女たち=構造派と、男たちからのセクハラや性暴力に直面した女たち=私怨派。上野氏の場合は私怨派だそうだ。学生運動で受けた性別役割分担。女はおにぎり作り、逮捕された同志への差し入れ、さらには性処理の道具などなど。

ここから女性解放=ウーマン・リブにつながっていったという(この運動は、「ヒューマン・リブ」へと展開していく)

このウーマン・リブの運動によって、女性の日常が問われるようになったという。例えば、熱を出した子供を夫婦のどちらが保育園に迎えに行くか、とかいう問題など。

「学生運動の目標は革命で、革命は非日常でしたが、ウーマン・リブが問うたのは日常」

であると言う。根底には家父長制という構造的要因があることを発見し、「個人的なことは政治的なこと」(The personal is political)であるとして、政治の概念を大きく変えた。

「フェミニズムを “男と同じようになりたい思想” だと誤解している人がいますが、DVを受けた女性に殴り返せと言っても無理な話で、フェミニズムは社会的弱者に “私にも言わせて” を可能にする社会的な装置を作る思想なんです」

そして、上野氏は以下のような言葉で記事を締めくくっている。

「差別をなくそうと思っても人間の差別感情はなくせない、という人もいます。誰もが聖人君子にはなれません。でも本音は変えられなくても、建前を変えるのが “社会変革” です」

(現政権の某秘書官、本音ではなく建前を語るべきだった、ね😂)



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