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シェアハウスってバンドみたいだ

バンドという集合体はとてつもなく不自由で思い通りにはいかない。

シェアハウスってバンドみたいだよなぁ。 GEZANのマヒトの新メンバー募集のステートメントを読んで、ふとそう思った。

他人だった別の人生同士が交差して、衝突し、それでも同じ夢をみる。わたしはバンドのこの一点に焦がれている。起こし続ける当たり前という名の奇跡。テクニックの寄せ集めじゃない。もう一度バンドという存在と必然を信じてみたい。

10年以上、共に最高の瞬間とグルーヴをつくりあげてきたバンドメンバーの喪失の痛みは計りしれない。BASSのカルロスがいないGEZANなんて考えられない。しかし、マヒトはすでに前を向いていた。

わたしは懸命に駆けた過去のことを嫌な思い出にしたくない。そのためには明日の自分達がプライドをもって輝いていないといけない。そうしないと紡いでいきた綺麗な思い出を恨むことでしか向き合えなくなる。それは健全じゃないよな。

バンド同様、シェアハウスのメンバーも流動的に入れ替わる。これまで私は4軒のシェハウスを渡り歩き、おそらく50人以上の他人と一緒に暮らしてきた。シェアハウスにはその時そのメンバーでしか作り得ない暮らしのグルーヴがあって、面倒くさいこともあったけど、それも含めていつだって楽しかった。けれども、その永遠とも思えるような日常はそう長くは続かない。シェアハウスという暮らしにはいつだって別れがつきものだ。

あの頃は楽しかったなんて懐古主義に浸ることは簡単だが、そんな退屈に耐えきれるほど年衰えてはいない。さらば、過去を越える思い出をつくるまで。今を生きてると思える瞬間を更新し続けよう、マヒトのステートメントを読んでそう思った。とはいえ、そんな毎日はまるでジェットコースターに乗っているみたいで、多幸感と喪失感の落差で宙の彼方へ吹っ飛ばされそうになるときもある。

だから、ものすごく幸せな瞬間には、ネイティブアメリカンの言葉にあるように、とてもポジティブな意味で"Today is a good day to die"という心持ちになる。その後にくる絶望き備えてつい身構えてしまう。

そんな話を打ち明けたとき、とある友人から「え、なんで?明日は今日よりもっと面白いかもしれないじゃん」と軽く返されてなんだか拍子抜けした。幸せのあとには絶望がやってくると思い込んでた私ってなんだったんだろう。正直、幸せが続いていく感覚はまだよく分かってない。けれども、もっと強気で未来を信じてみたいと思った。

変えられない昨日より未開の明日に全感覚をベットする。願わくばあなたもそうであってほしい。だって明日もわたしたちは生きていくんだから。
何度でもはじめられることを証明する。

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