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平凡礼賛

仕事の復帰を決めた。平凡な生活がいちばんなのかもしれないという思いが胸を過った時、自分でも思わず自分を疑った。ずっと自分にしか送れない人生を送りたいと思っていた。迷ったらやってみるが信条だったし、安定よりも面白くなる方に懸けて生きてきた。そのためには、文字通りどこにでも飛んで行き、無茶な仕事もたくさんしたし、泥沼みたいな恋愛にも足を踏み入れた。どれもこれも人生に必要な刺激を得るためだった。でも、この数か月、心身のバランスを崩し、休職を余儀なくされ、コロナでどこにも行けなくなってからというものの、私は自分の生活と改めて向き合わざるを得なくなった。

はじめは休み方がわからなくて往生した。仕事を休んではじめて私はこれまで仕事に仕事以上の意味を求めていたことに気がついた。ライフワークだと思って心身を削るようにして働いていたが、休職してお金に困ってはじめて、仕事はただ単に収入を得る手段であったことに気が付いた。それから、仕事は生活のリズムを規則正しく送るための要であるといいうことも。仕事のない生活は自由ではあったがどこか掴みどころがない。退屈でも仕事のある生活の方が断然ヘルシーだと思った。何をしなくとも生きてるだけで金はいる。仕事に行けば適度に疲れて夜ちゃんと眠れる。大義名分はさておいて、自分の経済と心身を健やかに保つためだけに働いてもいいのだとはじめて思えた。

休みを利用して久しぶりに実家に帰省したことも大きかった。模範的なサラリーマンと専業主婦、子育て命で生きてきた平凡な両親の人生を私はずっと退屈だと思ってきた。実家では毎日母の手の凝った美味しい料理が食卓に並んだ。今日の献立何にしようとぼやきながらも日々新しい料理にチャレンジする母はなんだかんだで楽しそうだった。父は日中よく働き、夕飯の時間には帰ってきて、相好を崩して私と会話した。よく食べてよく働きよく団欒しよく眠る。たったそれだけのことが何も考えずにはできなくなっていた私にとって、退屈で平凡な両親の人生が初めて尊いもののようにみえた。私がいて弟がいて、振り返ればいつだって両親は幸福そうだったのに不幸だと勝手に決めつけていたの私の方だった。

そんな今はもうちょっと人生の照準を「刺激」から「平凡」へと下げてもいいのかもしれないと思っている。そもそも、下げるという表現があっているのかも分からない。世間でよくいわれる「そろそろ落ち着きたい」とはこんな境地なのだろうか。いずれにせよ、三十路を過ぎてやっとそんな心持ちになれたのは、これまで散々身の丈以上のことをして、悩んだり傷ついたり失敗してきたりしたからだと思う。多分、結果がどうであれやりきることが私にとって大事だった。

だから今は大それたことなど考えず、普通に仕事にいって帰ってきて、シェアメイト達と和やかに過ごす平凡な日常を目指したい。まあ、気分屋の私のことだからこの平凡礼賛が続くのは分からない。「平凡」に飽きたらまた「刺激」が欲しくなる日も来るかもしれない。けれども、それはその時また考えればいい。別にどちらかの人生を選択しなければいけないわけでもなく、時と場合に応じて柔軟にスイッチしてみてもいいのだ。そこまで考えて、ようやく肩の力が少し抜けた。

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