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門司港ららばいは続く。

北九州から東京行きのスターフライヤーの機内で「門司港ららばい」を久しぶりに観た。関門海峡に面した古き良き港町、門司港を舞台にした短編映画だ。私はいまその街で暮らしている。

小さな画面の向こうにはコロナ前の私達の日常があった。休業補償なんかじゃ補いきれない門司港の日常。それが映画というかたちで残っていることを心強く思う。フィクションとは純度の高いノンフィクションだ。

いま正直、心が色々折れていて門司港での生活を続けていく自信を少しだけ失っている。そんなこともあって、今回は近い将来地元に戻ることも視野に入れつつ、今後のことをゆっくり考えるために久しぶりの帰省の予定を組んだ。

けれども、映画の中で門司港の顔馴染みの酒場のおかあさん達が

「どこをみてもこんないいとこないよ。」

「門司港に惚れて住んでる。船と海がみたいでね。」

と口々に揃えていうのをみて、私の弱気がすっと陰を潜めるのを感じた。門司港で何十年と暮らしてきたおかあさん達の実感に満ち溢れた言葉は私がいま大好きな街に暮らしていることを思い出させてくれるのには充分だった。

映画の端々からこれでもかと伝わってくる門司港の空気にも心を持っていかれる。門司港駅に降り立ったときの潮の匂い、船が通る度に揺れる水面、対岸に沈む夕日の美しさ、おせっかいなぐらいの人々の温かさ。私が門司港を好きになった理由のすべてがこの短い映画には詰まっていた。たったいま門司港を離れたばかりだというのに、気がつけば私はすでに門司港が恋しくなっていた。

きっと心から愛する人や矜持を持てる仕事に巡り合えるのと同じぐらい、暮らしたいと思える街に出会えることは奇跡的なことだ。門司港のことを人に話すとき私の温度はいつも少しだけ上がる。上手くいくことばかりではないけれども、心から好きになれる街に出会えて、その魅力を分かち合える可能性がある場所(シェアハウス)で暮らしを営んでいるのだから、もう少しこの街で生存し続ける努力をしてみても良いのかもしれないと映画を観ながら思った。


心に抱えていたもやもやは帰省するより前に有耶無耶になってしまった。けれども、1本の想いの詰った映画を観るとはそういうことである。今回の帰省ではどうやって撤退するかではなく、どうやったら今の暮らしを続けていけるかを考えてみようと思った。心から好きだと思える街に偶然出会えた奇跡について空の上で想いを馳せる。

▽門司港ららばい初見レビュー


▽私と私が暮らす街について


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