長いお別れの果ての安堵
ここに父のことを書いて3日後。
すったもんだの末に実母のスマホが治った翌日。母が色々な関係者に連絡できるようにスマホが復旧するのを待ってたかのように。
1月6日午前1時過ぎ。
父は息を引き取った。
最後の父との面会は1月3日。
亡くなる3日前。
暮れに、あと数日かもしれないと
緊急連絡をもらって、年を越せるかなと話していたけど、無事に年を越させてもらい、正月三ヶ日の間に最後の面会もできて、父は思い残すことのないタイミングを選んでくれたのだろう。
ゆったりと呼吸をして目を閉じていたあの時のまま、
6日、日付が変わってすぐだったとのこと。
直前のほんの30分前まで呼びかけに反応し、首を起こそうとしていたそう。
最後の面会の時に感じた通り。最後の最後まで苦しんだ様子はなかったという。
アルツハイマーと診断されてから
15年近く。
延命治療をしなかった父は
最近よく聞かれるように、確かに「自然死」という老衰で、苦しむことなく、眠るように亡くなり
生前と同じように静かに旅立った。
気づいてくださったのは、父も気に入っていた職員の女性で、
もう古株のベテランの方。とても明るくて私も好きな職員の方だった。
父はきっとそれも選んだのだと思う。
体温を測りにきて、反応があるのを確認してから離れたわずか30分の間に。
戻ってきたらもう息をしていなかったそう。
でも胸が温かかったので、息を引き取ったばかりという感じだったらしい。
ひと息分を持ち帰る
日本語の、「息を引き取る」という言葉が表しているのは、
おそらく私の過去の経験上も、最後の一息は、息を「吸う」からではないかと思う。
人は「おぎゃー」と泣きながら息を吐いて生まれ、
最後の一息は息を吸って終わる。
自分が持っているエネルギーを与えにきて(息を吐く)、最後はひと息分の地球の思い出を持ち帰る(息を吸う)んだな、と感じる。そして、最後の瞬間は、誰もいなくなった隙を狙って、という感じが多いらしい。
もう30年近く前、私の義父、夫の父の死の瞬間に立ち会った時も、義父は直前まで意識があり
私以外の家族全員に、「家に帰って休みなさい、ここは映子ちゃんがいてくれるから大丈夫」、と言って、みんな家に帰ったりソファに横になったりしていた時だった。
なぜ私だけ立ち会わせてもらうことになったかは不明だけど、その頃から何か、私には見えない世界との間にミッションが一つあるように感じている。
その後、結婚して間もないその頃の私が知る由もないような、義父にしかわからない内容が「家族に伝えなくちゃ」という感じで「降りて」きて、そのまま伝えて夫や夫のご家族にビックリされた。(大事なものがしまってある場所とか、放置しないで食べてほしいという床下の醤油漬けの黒ニンニクの瓶のこととか)
今でこそ、セッションではその能力?を使うことはあるが、その頃は自覚なく「お義父さんが言ってる気がする」と口にしてたらしい。
人は亡くなる最後の瞬間は一人でいる時が多いのは、本人が色々気にせずに逝けるかららしい。
今生ではほとんど交流がなかった人でも最後を看取ったり最初に気づいたりする人とは、実は魂の縁や約束があるのかもしれない。
義父の場合も、それまで苦しそうにうめき声を出しながら寝ていた義父の呼吸が
急にスースー楽になったように聞こえてきて、「あーお義父さん、呼吸が楽になったんだね」と思っていたら、看護師さんが「どうしましたか?!」と飛んできたのだった。
そして、義父の最後の一息も、大きく深く息を吸って、そのまま吐くことは
なかった。「お義父さん、吐いて!吐いて!」と叫んだのを覚えている。
長いお別れ
コロナで極端な面会禁止の状況で、今回実の父親のそばにいることは
なかったけれど、後悔はしていない。
施設の方が明け方に連絡をくださって、その日の朝には駆けつけた。
そこには、もぬけの殻の父の姿があった。
前回も書いたように、父は立派だったと思うし、父のエネルギーを感じてみると、とても軽やかなのは、ようやく自由になったからだと思う。
「長いお別れ」という表現もある通り、アルツハイマーや認知症は
少しずつ少しずつ、相手が遠くなっていく。
残っていた記憶が少しずつ薄れ、自分を認識してもらえなくなり、
少しずつ悲しみが増え、少しずつあきらめ、手放していく。
何度もというより、少しずつそのたびにお別れをしてきたのだと思う。
この3次元での存在の仕方としては。
私と父の場合は、逆にエネルギーや魂の繋がりをはっきり感じるようになって、物理的にもようやく父娘のような距離感になれたと思う。
火葬場がとても混んでいるということで、6日後の今日、荼毘に付された。
綺麗に丁寧に死化粧を施され、今にも起き出しそうな表情になっていた。
父の好きだった甘栗とピーナッツを入れて、勉強が大好きで、
Googleなどない時代、いつも辞書を持ち歩いていたから、英英辞書を棺に入れた。
お骨になった父は、今、久しぶりの実家で休んでいる。
骨を拾うということもしたせいか、
今日はずっと「肉体」というものについて考えていた。
初めての経験ではないけれど、今日は特に、意識の探究が進んだからか
目に見えない世界を感じ取るようになったからか、
「肉体」が「生気」がなくなった様子が、改めて
「不思議」であり、存在について思いを馳せていた。
この次元の現実には、もう「父」という個人の存在はなく
ついこの前まで動いていた肉体としてのそれは、まるで脱ぎ捨てられた衣服か、乗り捨てられた乗り物であるかのように、明らかに別の空っぽのものになっていた。
主のいない器に話しかけたりはしてみたけれど、どこか不自然に感じてしまった。
確かに「乗り物」のようなものなのだと思う。
そして、持ち主がそれを離れた今は、確かに父の「気配」をそこここに感じる。
なんなら会話ができている気すらする。
生前には、特にアルツハイマー発症前には
会話がほとんどなかっただけに、不思議な感じだ。
父という一人の人間が、たくさんの感情や体感や感覚と共に
確かに生きてきた89年間。
それが戸籍も抹消され、「社会的に」生きていた証がなくなる。
人ひとりの一生は、そんなにもはかないものといえばそうだろう。
でも、こうして私の内側で確かに感じる。
父の存在。父のエネルギー、スピリット。
それは実際に知っていた人間としての父よりも
はるかに大きくて、はるかに自由だ。
そんなことを感じていたら、今日、どこからか
繰り返しきたメッセージ。
現実では、「絶賛日替わりメニュー」は相変わらず続いている。
それに加えて、ここからしばらく実父関連の様々な後処理を
しなくてはならない。あーー私の一番苦手なやつ!
実母の認知もかなり怪しくなっており、今はほとんど何もできない。
しばらくは、階下の義母だけでなく、実家にも通い続けることになるだろう。
明日は義母のデイサービス。
そして夫の脳腫瘍手術まで2週間。
あ。そうそう。
たくさんのメッセージをありがとうございました
父の逝去についても、義母の認知症についても、実母の状況についても、夫の手術についても、全部が同時多発してることについても、色々な方からメッセージやコメントを頂く。
ありがたいことに「こうした方がいい」というような言葉はなく
ただ寄り添ってくださったり、「何かできることがあったらいつでも言ってください」というものばかりで、それが本当にありがたいです。
人生を生きるために生まれてきているのだから、みんな、一人一人それぞれ色々乗り越える設定になっていると思います。
私の発信を見て、「私もそれなら経験した」とか 「私の方が大変だった」などの思いが出てくるかもしれませんが、一人一人異なる完璧な道を通っているということと、
何が起きたか何をしたか、よりも
自分は何を感じたか、どういう状態になったか、をちゃんと感じることが大切な気がします。
その時は辛い、しんどいも多いけれど
やっぱり「感じる」ということ、どんな感情であってもそこから目を逸らさず、感じないようにするのではなく、《大切に感じる》、ということが、感じ方の深みを増し、この世に存在することの奇跡や真の喜びに到達しやすくなる、と今回も実感しました。
オンラインでの個人レッスンは受け付けています
また、私の状況を察してか、あえてこのタイミングだからこそ、と
個人セッションや英会話レッスンを申し込んでくださる方達がいらっしゃる。
本当に嬉しいです。年初だしね。
特に日常での意識を扱うオンライントレーニングである、ウィットネスクラブへの
このタイミングでの入会は大変に嬉しくありがたいです。
こんな状況なので仕事が入れづらいのですが、ウィットネスクラブだけは
私自身のためにも死守していきたいと思っています!
それ以外、当面、イベントや対面のグループワークなどの再開は
かなり先になると思います。
オンラインのみにはなりますが、特に英会話レッスンは、私自身の気分転換にもなるのでぜひ。今は先の予定が立てられないので、希望される方はとりあえずDMください。
The Journey Continues…
心に響いたなと思ったらサポートして頂けたらとても嬉しいです。受け取らせて頂くことで循環を起こして行きたい!