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ごめんね、ありがとう、よろしくね

亡くなった父が入居していた施設に行って、もろもろの手続きをしてきた。
そこで、後日改めて来ようと思っていた、遺品の引き取りもすることになり、父の数年間に渡る主に衣類や日用品、ダンボール4箱を整理し、1箱分はじっくり向き合うために引き取って、あとは処分してもらうことに。

この遺品整理のため個室を用意してくださっていて、そこで私一人、作業をさせてもらった。靴下ひとつひとつ、ボロボロのシャツ1枚1枚、セーターやTシャツなど、まだ母が歩けた頃に施設に届けていた衣服類や、施設で用意してくださった備品や衣類の数々を手にとって抱きしめながら、声を上げて泣いた。

泣きながら「ごめんね、ごめんね」と言っていた。この「ごめんね」の意味は、なんだろう。一緒にいてあげられなかったことなのかもしれない。ごめんね、がたくさん私の中から出てきたけれど、自分を責めるような罪悪感とは違った。

父の過ぎ去った日々を思った。毎日の変わらない景色を思った。
父が待っていた日々の気持ちを思った。父の人生を思った。精一杯の敬意を込めて、ごめんね、とありがとうを込めて、処分するものを選んだ。

また、施設の方達が、父の思い出のアルバムを作って渡して下さった。そこには笑っている父、おどけている父、私の見たことのない表情の父、また、足が悪くなる前の母も一緒に写っていた。それを見てまた泣いた。

そして、アルバムは可愛らしいリボンで閉じて下さっていて、写真もそうだけれど、そんなふうに丁寧に心をこめて接して下さっていたことを思うと、今もまた泣けてくる。

人が生まれる日時が完璧なのであれば、死ぬ日時もまたそうだと思う。
父が選んで亡くなったタイミングは、私にとっては、夫の手術と重ならなかったことが意味あることに感じられてならない。

亡き父は、医者だった。それも外科医。人生の後半は町医者として小さな診療所を営み、外科医としての活躍はそうなかったけれど。
その小さな診療所で、まだ今のように「漢方」などが取り入れられる前から漢方を積極的に取り入れ、その頃最先端とされていたレーザー治療を始め、今思うと、様々な新しい治療法の探究にも熱心だった。

その反面、生育環境では様々なトラウマ的な出来事があり、コミュニケーションがまったく取れていなかったので、ヒーリングやセラピーの勉強をしながら、父とのことに触れるのはいつもとても辛かった。
が、ある日、医者になりたてという青年が参加していたグループで、私が、父が早くから漢方を取り入れていたことに何の気なしにさらっと触れると、彼は休憩時間に私に話に来てくれた。そして涙を浮かべながら、「お父さん、すごいですね。お父さんのお年で漢方を取り入れてたなんて、その頃の時代背景を思うとものすごく勇気がいることだと思います。今、独立するか迷っていたので力をもらいました。ありがとうございます」と言ってくれた。

私の方こそ、この若き医師の言葉は、医者としての父への認識の決定的な変化につながった。そんなふうに父を見たことはなかったし、私の方こそ涙が出た。
こんなふうにたった一人の、多くの人には知られてないような生き様が、誰かに力をもたらすことがあるのだ、と、人の存在感と影響力について、今の私の感じ方につながった出来事だった。

そういえばアメリカで私が勉強していたヒーリングについても父は興味津々で、目に見えない世界のことを決して否定はしなかった。

育った家庭では「仲がいい」とは間違っても言えない状況だったけれど、今思い返すと私にとって意味のある姿(背中)をたくさん見せてくれていたのだ。

きっと、父は今は霊界入りたてだけど、外科医として夫の大手術をサポートしてくれるのだと思う。そのためのタイミングだったのだと思う。西洋医学の外科というのは、ヒーリングの世界などでは「悪」のように言う人たちがいるけれど、なんでもかんでも切って取り除けばいいというのとは違い、いわゆる「霊界」では霊的手術を行なうスピリットたちがいるし、それを行なうヒーラーもいる。また、人類の医学の歴史の初期においては、外科というのは神のなせる技と見られたものだ。純粋な「手術」は人間に選択できる「手技」のひとつとも言えるし、目に見えない世界とのコラボレーションで行われると最高だと私は思っている。

夫が父の亡くなる3日前に少しだけ会わせてもらうことができたのも、きっと父から、「娘をよろしくお願いします。手術は任せておきなさい」ということだったのだと思う。きっとそうだ。

33年前に結婚する時、夫が家に挨拶にきてくれた時、ほとんどいつも人と会話らしい会話をしたことのなかった父が、「映子が選んだ人なら」という言葉を口にした衝撃が蘇る。

うん。きっと、父が、夫の手術室にずっといてくれている。守ってくれる。
だから大丈夫。
そう思うと、不思議な安心感に包まれる。

ということは、私、やっぱり不安があるんだな。当たり前だよね。
でもそれ以上に本人の不安や恐怖を思うと、それが私にとって一番今つらい。
脳と鼻と目の裏に渡る大手術。
ICUに5日間。入院は約1ヶ月。
退院後も少なくとも3ヶ月は療養だそうだ。

もちろん、大丈夫なんだと頭では、というより魂では知っている。
でも、この気持ちは、人間として感じないようにするには無理がある。
夫の入院まで1週間。手術まであと10日。

神様。父様。どうか、どうか、よろしくお願いします。

そして今日も明日も、父の死亡に伴う諸々の手続きに追われる。
これもまた淡々と、そして随所で助けを求めながら進めていこう。

すべてのタイミングを信頼しながら、もがく自分も信頼しながら。



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