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手術直後のICUで見た世にも不思議な光景

9日朝。夫、退院。もう退院してから3日たったのか…(ホラまた3)

ICUから一般病棟に移ってすぐにLINEが来て、それから今まで人生でどれだけ交わしたよりもたくさんの言葉を交わし、ほとんどが文字だけれど「会話」をした。

それは私が人生でもっとも望んでいた状態の一つだ。
家族、配偶者との「会話」。
会話とは、一方通行ではなく、自分の話を聞いてもらうためだけでもなく、かといって、ちゃんと自分の話を聞いてもらってるという実感もありの。

幼い頃から、そんな日常会話に憧れていたかもしれない。
「調子はどう?」「なかなかいいよ。あなたは?」というような。
なんでもない会話。お互いの話をする時間。

それと同時に、今日は天気がいいというだけで、ありがたい、嬉しい、が湧き上がってくるような会話。

そう。夫の入院生活の間は、最後までそんな感じのやりとりをLINEでしていたし、彼がこんなにも何気ない奇跡に気づき、あらゆることに感謝をする人だとは、新たな発見だった。夫によると、今回の病気発覚から手術、入院、退院に至るまで出会ったすべての人、そして誰よりも、この私に感謝してくれているらしい。
それを書くのは少しだけ小っ恥ずかしいけれど、それもそのまま受け取れるようになったなあと思う。

そうはいいつつ、やっと退院。でも、合計で約3週間ぶり(あら!また3だ!)に家に帰った夫は、小一時間電車に乗って帰ってきたことでぐったりしてしまい、すぐに寝込んだ。起きたり寝たりを繰り返しながら、それでも状態は良好だそうで、日毎に色々な痛みや痺れ、麻痺といったものが少しずつ感覚を取り戻しているようだ。

私は今、ウィットネスクラブと個人セッション以外はほとんど仕事をセーブして義母と夫に1日3回のご飯を作るのが主な仕事になっているが、毎回ご飯をゆっくり食べるので、なんというか新鮮でつつましい、大切な時間を過ごしているように感じている。これもまた過ぎゆく日々と思うと切なくすらなる。こうして感謝しながら、ご飯を味わいながら食べるなんて、人生のうちそんなに多くない気がする。

そうそう。そして家でも会話が尽きない。病院でのあれこれ、お世話になったヒーラーさんたちとのやりとりの振り返りなどなど。素晴らしく夫と相性のいい(という言い方では失礼かもしれないけど)ドクターと、全力で応援の姿勢で遠隔ヒーリング、施術をしてくださる方達の両方に夫は終始、オープンで受け取る姿勢で、感謝していた。施して頂いた技術、手術、施術の素晴らしさはもちろんだけど、その彼の姿勢が、今回の奇跡的なプロセスに繋がったことは間違いないと思っている。

そうした会話の中で、手術が終わってICUに運ばれた直後のとてもとても不思議な経験を夫は話してくれた。このことは記録しておかないと、多分ぼんやりしたものになってしまうと思ったので、彼の見たままの絵を描いてもらった。
不思議というだけでなく、今回の一連のプロセスや彼の姿勢、そしてこの時彼が見た光景が、もしもこれから手術を受けたりする人たちの参考や心のお守りになったりしたら本望だと思うから、夫が話してくれたことをここにも記しておこうと思う。


手術直後のICUで夫が見た光景

1月26日の手術当日、12時間かかると言われてた手術がほぼ半分の5時間半で終わり、予想外に早く終わったという連絡を受けて、私は病棟に呼ばれた。そして担当主治医から、手術が大成功に終わったこと、腫瘍は思ったよりも浅いところにあり、眼球や視神経への癒着もなく脳に直接触れなくてよかったこと、嗅覚の神経にも触れなくて済んだことなどから懸念されていた材料はすべてクリアーになったことなどを告げられた。自信に満ちた、笑顔の主治医がまぶしかった。

その後、誓約書にサインをして、万一容体急変の場合の連絡先などを書いて(その夜は山場と思ったのでホテルを取っていた)、「短い時間ですが会って頂けますよ」と、手術を終えてICUに運ばれてまもない夫のベッドに案内された。
私自身の子宮筋腫の手術時の経験では、家族がいても麻酔が完全に覚めていない状態でロクに会話はできなかったので、顔を見るくらいだろうと思って行った。

中央に作業するスペース(って言い方でいいのか)があって、せわしなく医療スタッフが動いているその正面の広いスペースにあるベッドの上にチューブだらけの夫が寝ていた。

面会はもちろん私だけで、しかもベッドに近づいてはいけなかったので、「ここまで」というラインが引いてあるところから見守る形。声はかけていいというので、「お疲れ様!よく頑張ったね!目も鼻も大丈夫だったって!手術は半分の時間で終わって輸血もしなくてよかったんだって!」と、ちょっと距離があるので声を張って呼びかけた。

夫はもぞもぞ動いていて、目もちゃんと開いていて意識もしっかりあったのでびっくりした。うなずくような動きをしたり、手をあげようとしたり、「腕が痛い」と看護師さんに訴えたりしながら、私に聞こえる声で「ありがとうね」「ちゃんと見えてるよ」と言った。
この「見えてるよ」というのがちょっと意味がよくわからず、看護師さんも聞き返してくれていたけど、なんというか、夫の満足気な、そして堂々とした威厳あふれる感じは、変な例えだけど父の死に際にも似ていて、荘厳な感じがした。

そしてこの時、夫が見えていたという光景が、これだ。

ピンクの人はもちろん私😀

絵、見えるかな。ベッドに寝ている状態から夫が見ていたのは、夫曰く「ピンクの人」=私、とその他に大勢の顔がよく見えない人達が一緒に見守っていた、というのだ。

夫は、てっきり自分はまだ手術室にいて、そこにドラマのように手術に立ち会った関係者の一団が「終わりました」という感じで見守っていて、そこに私も入るのを許されていたのだと思ったそう。
「見えているよ」というのは、その人達が誰なのか顔が見えなかったので、「いるのは見えている」というのと、「目が大丈夫だったから見えている」という意味で言ったそうだ。

なんだか舞台の上で自分が主役で、みんなにお礼を言っているような、お世話になりました、と言っている感じで、そのうちの一人が私で、私だけピンク色だったと。(実際上から下までピンクでした)

確かに私、ベッドの真正面に立つというより少し端っこに寄っていたなぁ、そういえば。でも私以外、誰も一緒にいなかった。いたのは、夫と夫に付き添っている看護師さんだけ。距離があったから、確かにステージ上の人に呼びかける感じに近かったかも。
  
きっと、先月亡くなった元外科医の実父もそこにいてくれてただろうと、今確信する。

そして興味深いのは、今、書いていて気づいたけど、この時の時間、午後3時半だったそうだ。確かにそのくらいの時間だったと思う。なぜか壁の時計が3時30分だったことが脳裏に焼き付いていると夫は言ってた。これまた「3」!!

この話をしながら夫は涙を溜めていた。

本当に大勢の人に助けられたんだって思って感謝でいっぱいだった。その人達が人間であっても神様であっても宇宙人であってもご先祖様であっても天使であっても、なんであっても、助けてもらったこと、応援してもらったことには変わりなく、みんなにありがとう、って伝える気持ちだった。その中にえこちゃん(私)がいた。今でもとてもリアルで、幻覚とは思えない。

夫が描いてくれた絵、この光景をICUで目が覚めた途端に見て感謝していたなんて、私も胸がいっぱいになる。幻覚っていう人はいるだろうけれど、この体験がもたらす感覚や感情が、感謝や感動や畏敬の念といった貴重なものなのだから、素晴らしい体験であるのは疑いようもない事実なのだ。

一人一人の体験も、その意味も皆、違うだろうけれど、夫のこの尊い体験が、ほんの少しでもそんな可能性があるのかもとか、目に見えない世界が見守ってくれている、力を貸してくれている可能性に希望や信頼を見出すことに繋がれば、不安な闇の中に差す一縷の光となることを心から願って。

The Journey Continues…

いつもの近所の公園まで散歩もできた!でも帰りはしんどそうだったから、ゆっくりいこうね

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