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病の崇高な目的

前回の記事の翌日、つまり1月30日の朝。今日から5日前。
病棟の看護師さんから電話があり、無事に夫はICUから一般病棟に移ったとのこと。ただ、移ったという連絡というよりは、夫の日用品や着替えの入ったスーツケースを入れたロッカーの鍵を私が預かっているため、なるべく早く病棟に届けてほしいという連絡だったみたい。

私は嬉しくて、「無事に病棟に移れたんですね!夫は元気なんですね?」と叫んでしまったけど、看護師さんは、「はい」というそっけない(と私には感じられてしまった)返事で、「鍵はいつでもいいのでお願いします」だけだった。

実はその日は、亡くなった実父の年金手続きの一環で、実母に遺族年金が支払われるための請求をする日で、横浜の年金事務所に16時の予約をしてあった。書類には実母にサインをしてもらう必要があり、その前に実家に寄らなくてはいけない。

数字と計算に弱い私の頭で間に合うか考えたけど、病院から連絡をもらったのはすでにお昼だったので、時間的に今日鍵を届けに築地まで行ってトンボ帰りしても間に合わなそうだと思っていた。どちらにしても面会禁止なので、病棟まで届けたとしても本人には会えない。それでも病棟に移れて本人も嬉しいだろうし、スマホもロッカーに入れっぱなしだから早く見たいだろうとは思いつつ、明日にしようと思い、本人にも明日まで待ってほしいと伝えてもらった。

それでもとにかく嬉しくて嬉しくて。様子はまったくわからないけど、ICUを予定通り出たということは、少なくとも快方に向かっているということと、ということは本人の苦痛は和らいでいるのだろうということが本当にホッとして、実家に行くのはいつもドヨンとするのに足取りも軽かった。天気も最高によくてポカポカ陽気だった。

実家では、実母と長く話していることが精神的に辛すぎるので、とにかく書類にサインをしてもらい、何度も話していることだけど、今、諸手続きを進めているので安心して欲しい、信頼してほしい、ということだけ伝えた。(それでもその後また、自宅電話には鬼のように100回近くの不在着信と何十件もの同じ内容の留守電が残っていたが)思いの外、早く済んで、実家を出て歩いていたら、ふと、
「今から行けば、鍵を渡して帰ってきてすぐ年金事務所に向かえば間に合うんじゃない?」という気がして、「そうかも!」と電車の時間を調べようとしたその時、後ろから「アムちゃん!」と声が。

空耳だろうと思ったけど、続けて「アムちゃん!アムちゃん!」と。

なんと、一昨年(だっけ?)新国立劇場で舞台女優デビューをさせてもらった時の演劇仲間であり、その翌年も東京ドームホールの舞台に一緒に立った、そして女性性意識のプログラムAFPのティーチャーになりつつある、ミュージカル女優を目指している(紹介が長すぎるw)、けーちゃんだった!!

これだけ書いてもまだ紹介が足りないと感じるw  けーちゃんは、実は、もう何年も前から知っていて、スピリチュアル英会話のグループレッスンや個人レッスンも受けてくれてて、とても私の感性を愛してくれていて私も大好きな、大事な存在なのだ。そのけーちゃんが、2月23日に逗子で行なわれる、これまた前述の新国立劇場からご縁が続いている、川島雅美さんの初演出ミュージカル作品「明日の扉」のお稽古で、紅葉坂近辺に来ていたのだ〜〜 

めっちゃ色々説明書いたけど、こういうことが、つまりこういうことに気づいていること、その共時性を喜べることが、高い意識の連続性と大いに関係していると私は思っているのだ。

めっちゃ応援し合っている仲間達。その仲間の一人と、ばったり会ったのだよ!

ICUを出たという嬉しいニュースに喜び、思いの外用事が早く済み、次の予定を変更して間に合わせられるかも?というワクワクの瞬間に。

すべてOK! という印と受け取ったし、けーちゃんも、けーちゃんの出演するミュージカルも大成功の兆しと、その瞬間受け取った!!

しかも、けーちゃんは、このバッタリの前に、ついこの間、私も夫の入院前にお守りを買うために寄った伊勢山皇大神宮に寄った後だった。

そして何より、けーちゃんはとっても輝いていて美しかった〜確実に女性性アップが目覚ましい!

もうなんとも縁起のいい素晴らしい日じゃないですか!

夫はまだまだこれからも治療はあるし、不自由さや痛みは続いているだろうけれど、それでもこれは幸先いい!と、私が心から感じることでいいエネルギーをいっぱい溢れてるはず!

けーちゃんと話しながら手元のスマホで調べたら、やっぱり間に合いそう!ってことでそこからダッシュで、あ、いや、急がなかったな。普通に淡々と電車に乗って、心は晴れやかに病院に向かったのだった。

とうとうLINEが来た!

病棟に鍵を届けて、本当にすぐにトンボ帰りでまた横浜に向かっていると
LINEが。

夫が鼻の両穴に綿を詰めたまま、顔や頭の生々しい傷跡や点滴などのチューブだらけの状態で、思い切り「ドヤ顔」の自撮りを送ってきたーーー!!

よかったーーーーーーー

鍵を看護師さんから受け取って、すぐスーツケースを開けてスマホを出しだのだろう。すぐ近くまで行ったのに、まったく会わずに帰されるという理不尽さも吹っ飛んで、とにかく早く届けられてよかったーーーーー!!

痛々しい姿だったから、嬉しいのと可哀想なのと、あっぱれ!頑張ったね!と讃える気持ちが入り混じった涙が出てきて、電車の中だったので、ちょっと困った。

なんというか、例えは良くないかもしれないけど、今回の状態は終始、戦場に夫を送り出したような、その過去生があったことを彷彿とさせるような感覚があって、義母と二人で留守を守っている、というような。前線に出かけて行った夫の無事を祈りながら様子がわからないでいたところに、生きていた!無事だった!と朗報がもたらされたような。

その間、読まれないとわかっている手紙を出し続けたかのように、おびただしい日記のようなLINEの数を見てびっくりしただろうなw
公園に行っただの、ご飯が美味しかっただの、リスがいた、だの、子供の日記か!

そこからは、夫の体調もあるから、ぽつぽつと、だけれど短いLINE電話をしたり。

コロナで面会禁止などの反面、技術の発達のおかげで、こんなLINEという手段があるなんてそれはそれは素晴らしい時代じゃないか。

少しずつかと思いきや、そこからの夫の回復が、ドクターも目を見張るほどということで、尿の管を外し、首の管を外し、鼻の綿をとって、抜糸(金属なのでホッチキスみたいだそう)もして、食事も出て、おかゆから普通食へと、1日ごとにどんどん回復していっている。

そもそも手術時間も半分だったし、ICUも本当はもう1日いる予定だったのを1日早めたそうだ。

そうこうしているうちに、あまりにも経過良好なので、退院を1週間早めるという話も出て。今、これを書いている今日の段階では、来週にはもう退院できることになった。

病気がもたらしてくれるギフトは、病気を悪しき現象としてだけ見ていてはわからない

LINEのやりとりの中で、夫から何度も「奇跡」という言葉を聞いた。「ありがたい」という言葉を聞いた。
同時に冗談で、「状態がよくなっていくと(病院の)みんなが冷たくなる」というボヤキもw
「シャワーも自分で浴びろってさ。急にみんな冷たくなった」って。
こういう冗談をいっぱいかましてくるところが夫が元気になってきた証拠。

それと同時に、このやりとりのすべてが深いなぁとも思う。病気になって何を受け取るのか。いつも人に言ったり書いたり伝えていることだけど(チャネリングで受け取ったメッセージ)改めてかみしめる。

「病気は原因だけを見ていては、人がなぜそのような経験をするのか理解できない」
「病気を現象として、それが持つ意味を分析しているだけでは、病気の崇高さを理解できない」

「病気には、何かに気付いたり受け取ったりするギフトがあるだけでなく、それによってどう次のフェーズに移っていくのかの目的がある。
その目的こそが病気の理由であり、その目的とは、往々にして自分のためだけではないことが多い。

病気によって人と人の絆が深まったり、家族が一つになったり、後世に伝えるようなデータを残したり、場合によっては運命の出会いに導かれたり。

病気イコール悪いもの、病気イコール悪しき習慣がもたらした、などという側面だけ見ていては、人間の崇高な生きる目的が見えない。

人間は死なないために生きているのではない。

限られた時間の中で過ごす人生の、あらゆる出来事、あらゆる経験、あらゆる瞬間がギフトなのだ。

その認識こそが真の生きる力と喜びをもたらすのだ」 

以下は、ICUから出て病棟に移った時の夫のLINEの中にあった言葉。

"この数ヶ月、たくさんの人に助けられてきた。思い出すと、どの局面も心地よく、キラキラ光って誇らしく尊く感じて涙が溢れてきます。すべてに感謝します。"

The Journey Continues…

地球のとある片隅の"遊び場"

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