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マトリックス1,2,3

マトリックス4が来年に公開されるみたいですね。
それはそうと、ここ一二年ずっと潜在的にマトリックスを観直したいという気持ちが潜在的にあって、ブルーレイのセットを買いました。どうせ何回も観る映画だしと思って。
結果、一気見でした。

実は第1作の公開はwikipediaによると本国で99年3月31日、日本では同年9月11日、20年も前の作品で、当時僕は23歳だったようです。
映画を語ったり理解するには、相当数の視聴と人生経験が不可欠で、現在もそこまでではないにしろ、なんともまぁ面白いこと。攻殻機動隊にAKIRAに燃えよドラゴンにブレードランナーにと、近年ではやはりジョン・ウィックとのつながりなど、間接的・直接的な関連作品は枚挙に問わず、当時拾い切れていなかったシネフィル的要素。
物語の中に何度もなんども出てくる、選択による結果、幻想の中の幸せと本当の自由との割り切れない人間の不確実性など、人と人類の幸せとは何なのか、みたいな哲学的テーマ。
そしてやはり映像革命を起こしたマトリックスの映像は今観ても凄まじかったのですが、当時特に印象深かったシーンが”マトリックス(仮想現実)”でカンフーやヘリコプターの扱いを一瞬でインストールすることができるという、デジタルならではのチート的シーン。
20年経った今、udemyやyoutube、moocと呼ばれるようなオンライン上でスキルを学べる機会が増えて、一昔前とは明らかにスキルの習得へのスピードや民主制が変わったなと思うのです。ホリエモンのいう情報の民主化、ですよね。
マトリックスのようにはいきませんが、誰に習えばいいのか、何を用意すればいいのか、実際の現場で必要とされている活かせるスキルとは何なのか、情報の格差による聖域は狭まっているなとデザイン業務の節々にも感じられます。

教科書は広く公開されつつあるので、
教科書に載ったところで簡単にできない領域をきちんと強みにしないといけないなと思う一方で、
教科書があるならば書く人がいるということでもあるので、そこの領域へも来年は手をのばせられたらなと思うのです。

まるっと一緒という訳ではないけれども、スキルを習得するまでの過程への美学なんてものはもはや無くなっていて、そのスキルをどう使うかが人間の人生だろ!って20年も前の映画のシーンが、現代にかなり通じていて驚きでした。

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