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創作童話『珈琲と』 #シロクマ文芸部



珈琲と、深緑色のマグカップ。
マイコのおじいちゃんのお気に入りの組み合わせです。


家におじいちゃんが遊びに来ると、お母さんは必ず淹れたての珈琲を二人分用意します。
小さなダイニングには、珈琲の香りが立ちこめます。
まだ珈琲の飲めないマイコは、温めた牛乳に珈琲を二匙と、砂糖を入れて甘くしたカフェオレを、決まって飲むのでした。



マイコはおじいちゃんと過ごすその時間が、とても好きでした。



おじいちゃんが口元に珈琲マグを近づけると、湯気でまぁるい眼鏡が曇ります。
マイコはそれを見て、キャッキャッと笑うのでした。



深緑色のマグカップは、少し分厚くて重みのあるおしゃれなカップで、「やちむん」というものだとおじいちゃんは教えてくれました。
「沖縄の言葉で、焼物という意味だよ。」
深緑色のやちむんは、おばあちゃんと沖縄旅行に行ったときに買ったものだと言います。
やちむんは、手に取るとぽってりとまぁるく、やさしいけれど力強さもあり、おじいちゃんに似ているなぁ、とマイコは思っていました。



やちむん通り、というものがあることも教えてくれました。
お店がいくつも並んでいて、おじいちゃんのマグカップのような素敵な食器がたくさん売られていると言います。


「マイコもいつか、行ってみたいな。」
いつだか、ポツリとそんなことを口にしたことがあります。
「それで、おじいちゃんとお揃いのやちむんを買うの。」
「そうか。そしたら、今度みんなで沖縄に行こうか。」
おじいちゃんはニコニコとしてそう言いました。
お母さんも微笑んで、けれども黙って、珈琲をすすりました。


マイコのお母さんは、やさしいけれど無口な人でした。
ほとんど毎日働いて、家のお掃除も毎日して、とても忙しそうに見えました。
おじいちゃんが遊びに来るときは、お母さんもゆっくりできるので、マイコはなんとなくホッとするのでした。


マイコはお母さんと二人で、団地に暮らしていました。
隣の棟に住むカナちゃんとは、大の仲良しでした。


「今度、沖縄に行くんだ。」
マイコはカナちゃんといつもの公園で遊んでいるときに、ウキウキしながら言いました。
「沖縄!いいなぁ、私、行ったことないよ。」
私もだよ、と応えて、マイコは続けます。
「お土産で、カナちゃんにもやちむんを買ってくるね。」
「やちむんて、なぁに?」
「沖縄の言葉で焼物のことだよ。」
「焼物って、どんなの?」
「うーんと…お皿とか、コップとか、かなぁ。」
「それならうちにもあるよ。」
「違うの。やちむんは違うの。」
やちむんの説明が上手くできなくて、マイコはヤキモキしました。
「ふぅん。じゃあ、楽しみにしてるね。」
ブランコに乗ろう、と言われ、その話はそれで終わりました。


しばらく経って、おじいちゃんの入院が決まり、珈琲の時間は訪れなくなりました。
お母さんは、一人だと家でもいつもせっせと動いていて、珈琲を飲む暇さえないようでした。
珈琲の香りのない北向きのダイニングは、冷え冷えとして見えました。


「マイコちゃん、沖縄にはいつ行くの?」
ある日、カナちゃんが尋ねました。
「…おじいちゃんが入院したから、行かないかも。」
マイコは下唇を軽く噛みながら言いました。
それからしゃがんで、側にあった尖った石で短い線を描きました。
いくつもいくつも、線を描きました。


「入院て、いつ終わるの?」
「わからない。」
「…どうして入院してるの?」
「わからない。」
マイコには本当にわからないことだらけでした。
お母さんはただ、入院する、とだけしか教えてくれませんでした。
マイコは泣きそうになっているのを気づかれないよう、ただひたすら、短い線を書いては消してを繰り返しました。



しばらく沈黙が続きました。


「じゃあ沖縄は、私と行こう。」
カナちゃんはしゃがんで、マイコの顔を覗き込むようにしてそう言いました。
「お金をいっぱい貯めてさ、二人で沖縄に行って、なんだっけ、やむちん?だっけ、それを買うの!」
いい考えでしょ、という風に、カナちゃんは得意気です。



「やむちん、じゃなくて、やちむん、だよ。」
マイコは俯いて、線を書く手を止めません。
けれども、固まっていた心がスーッと溶けていくのを感じました。
「そう、やちむん!お揃いがいいなぁ。」
「うん、いいよ。」
泣き声になりそうなのを抑えようとしましたが、次第にポロポロと、マイコの目から涙が溢れました。


「マイコちゃん、泣かないで。」
カナちゃんは、突然泣き出したマイコを見てオロオロしました。
グスグス鼻をすすりながら、マイコはこう言いました。
「やちむんで、一緒に珈琲を飲んでくれる?」
「飲むよ!飲むから、泣かないで、ね?」




家に帰ると、お母さんはまだ仕事から帰っておらず、マイコは一人でした。
牛乳を電子レンジで温めて、一人薄暗いダイニングで飲みました。



マイコは想像しました。
二つの、いえ、四つのやちむんのマグカップ。
マイコとカナちゃんと、おじいちゃんとお母さんで、ダイニングのテーブルを囲みます。
その頃にはマイコもカナちゃんも、珈琲を飲めるようになっているはずです。
そして、沖縄の思い出を代わる代わるに話すのです。



かすかな珈琲の香りが、マイコの鼻をかすめました。



おしまい


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小牧幸助さまの企画に参加させていただきました。

今回初挑戦です🔥

みなさまの作品も楽しみにしております🍀


あむの

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