見出し画像

創作童話『聖なる贈り物』


「兄さん、お願いだから食べてちょうだい。」
アルマはそう言うと、盗んできたパンを差し出しました。
ロベールは静かに首を横に振ります。
「ここに来てから、何も食べてないじゃない。」
「お前だって、パンを食べないじゃないか。」
「兄さんが食べないんだもの。」
屋根裏部屋の隅では、カラカラになったパンが転がっていました。
アルマは泣き出しました。
「このままじゃ、兄さんが死んでしまうわ。」



ロベールとアルマは、とても仲の良い兄妹でしたが親がなく、孤児院で暮らしていました。
孤児院での暮らしは辛いものでした。
大人たちはいつも不機嫌で、子どもたちは毎日怒鳴られたり、ひどいときには手を上げられることもありました。
そんな子どもたちの鬱憤の矛先は、足の悪いロベールに向きました。
ロベールが仕返しできないことをいいことに、子どもたちはしばしば陰湿な嫌がらせをするのでした。
見かねたアルマは、兄を連れて孤児院から逃げ出したのです。
そして辿り着いたのが、この空き家の屋根裏部屋でした。



屋根裏部屋は暗く湿っていて、建て付けの悪い窓からは12月の冷たい風が吹き込んできます。
アルマはロベールのために、毎日パンを盗んできましたが、ロベールは口にしようとしませんでした。
そんな日が、もう三日続きました。



「私たち、もうすぐ死ぬのね。」
アルマは昔孤児院で読んだ聖書のことを思い出しました。
「死んだらきっと、兄さんと離れ離れになる。私は盗みを働いたもの。地獄へ行くんだ。」
ロベールはそっと、アルマの肩を抱いてやりました。
「神様は、お前の心をご存知だよ。きっと許してくれるはずさ。」
凍えそうになりながら、二人は寄り添って眠ります。






アルマは、眠っているロベールの横で天井を見上げていました。
「神様、どうか兄さんを天国に連れてってあげてください。」
繰り返し、そんな風にお祈りしました。
突然、窓からキラキラと光が差し込んできたかと思うと、その光はあっという間に屋根裏部屋全体を包み込みました
星の瞬きとも、朝日とも違います。
あぁ、とうとう死ぬのかもしれない。
アルマはそっと起き上がると、窓を開けてみました。
するとそこには、三人の男性が立っているではありませんか。
悲鳴をあげたアルマは、急いでロベールを起こしました。
「兄さん、起きて!起きてったら!」
ロベールは何事かと飛び起きました。



男性の一人が口を開きました。
「私たちは使者です。美しい心を持った兄妹が困っていると、星に導かれてやってきました。」
アルマとロベールは唖然としました。
そんな、物語のようなことがあるなんて。
残り二人の使者が、こう続けました。
「私たちから一つずつ、贈り物を差し上げます。その代わり、大切にしているものをあなた方からいただきます。」
「何をお望みでしょうか。」
アルマはロベールの手を取って言いました。
「兄さん、死ぬかもしれない運命だったんだもの。何を失っても同じだわ。ここはひとつ、試しにこの使者さんたちを信じてみてもいいかもしれない。」
ロベールはそうだな、と頷くとこう言いました。
「僕は、歩ける足が欲しいです。こうも足が悪いと、働くこともできないのです。」
「私は安心して暮らせる場所が欲しいです。ここはあまりにも寒くって。」
アルマも続けました。




「ではお兄さんには、どこまでも行ける靴を。」
使者の一人が、ロベールに焦茶の立派なブーツを履かせました。
すると、ロベールはスイッと立ち上がり、屋根裏部屋の中を歩き回りました。
「すごい!僕、歩けるぞ!」
しかしどうしたことでしょう。
ロベールは部屋の隅まで歩いて行ったかと思うと、そのまま階段を降りてどこかへ行ってしましました。
一人目の使者は、そのまま姿を消しました。



「兄さん!待って!」
後を追おうとしたアルマの前に、二人目の使者が立ちはだかりました。
「妹さんには、世にも美しい歌声を。」
そう言って、アルマの喉元にちょいと触れました。
アルマは頭がぼーっとしました。
いつだか孤児院で教わった賛美歌が、不意に蘇ってきて、気づけばその歌を口ずさんでいました。
それはまるで、天から降り注ぐような美しい歌声でした。
「明朝に、聖堂へ行って司祭様に身寄りがないことを伝えるのです。あなたはシスターとして迎えられ、安心して暮らせるでしょう。その歌声で、人々に賛美歌を教えるのです。」
アルマは静かに頷きました。
そして、二人目の使者も姿を消しました。
使者がアルマから受け取ったのは、「ロベールに関する記憶」でした。



残された三人目の使者は、黙ってその様子を眺めていましたが、アルマが眠りについたのを見ると、そっと姿を消しました。



さて、一人目の使者がロベールから受け取ったのは「アルマと過ごす時間」でした。
ロベールにとって、何にも代え難い大切なものでした。
「どうしたっていうんだ!なんで勝手に動くんだ!」
ロベールの意に反して、足はずんずんと街から森の方へ進んでいきます。
その日朝日が昇るまで、ロベールは森の中を歩き続けました。




明朝になり、ロベールの足はようやく動きをやめました。
「随分遠くまで来てしまった。」
ロベールは急いで、空き家の屋根裏部屋へと向かいました。
しかし、そこにアルマの姿はなく、使者も見当たりませんでした。
ロベールは街中を探し回りましたが、アルマを見つけ出すことはできませんでした。
アルマは使者の言う通りにし、シスターとして受け入れられたため、聖堂に篭って修行することになったのです。
それから何年も、二人が出会うことはありませんでした。





6年が経ちました。
ロベールは、立派な青年となり、大工として働いていました。
街の人から頼りにされ、不自由なく暮らしていましたが、片時も、アルマのことを忘れたことはありません。
どこで何をしているのか、いつも考えていました。
ある日、ロベールは街中で、人々がとある修道女の話をしているのを耳にしました。
聞けば、アルマという名の修道女の歌う賛美歌が、この世のものとは思えないほど美しいというではありませんか。
ロベールは聖堂に向かって走り出しました。



アルマはというと、修道女として街に出て奉仕するようになっていました。
その日も聖堂の前で、他の修道女たちと一緒に手作りの焼き菓子を配っていました。
すると突然、遠くからアルマの名を呼ぶ声がしました。
「アルマ!」
声のした方を向くと、一人の青年がこちらに向かって走ってくるところでした。
アルマには、その青年が誰だかわかりませんでした。
それもそのはず、記憶を使者に差し出してしまったからです。
見知らぬ青年に怯えていると、司祭様が庇うように立ちはだかりました。
アルマは他のシスターたちに連れられ、聖堂の中へ避難しました。



司祭様はロベールを見下ろしてこう言いました。
「失礼ですが、どちら様ですか?」
司祭様は、恰幅の良い男性でした。
その声に迫力を感じながらも、ロベールは怖気付くことなく答えました。
「私はアルマの兄です。何年も会えずにいましたが、この聖堂にいることを知って、会いに来ました。」
「アルマには身寄りがいないはずです。それに、本当にお兄さんなのなら、どうしてここにいることを今までご存知なかったのですか?」
ロベールは言葉に詰まりました。
使者の現れたあの夜の話は、とても信じてもらえる話ではないと分かっていたからです。
「ここは聖域です。これ以上シスターに危害を加えるようなら、然るべき裁きを下します。」
司祭様はそう言うと、その場を去りました。
ロベールは途方に暮れました。



諦めきれなかったロベールは、夜になって、庭から聖堂に忍び込みました。
アルマを連れて、聖堂から逃げ出すつもりでした。
いつか、アルマがロベールを孤児院から連れ出してくれたように。



ドンッ。
そーっと歩いていたつもりが、前にいた庭師に気がつかずぶつかってしまいました。
しまった、とロベールは思いましたが、その見覚えのある顔に、一瞬時が止まりました。
庭師と思ったのは、なんとあの晩現れた三人目の使者でした。
ロベールはそのことに気がつくと、使者の足元にすがりつきました。
「使者様。お願いです。足でもなんでも差し上げます。妹と暮らさせてください。」
お願いします、とロベールは懇願しました。
使者は静かに言いました。
「一度与えたものを受け取ることはできません。それに、妹さんは安全な暮らしの代わりに、一番大切だったあなたとの記憶を失いました。」
そんな、とロベールは呆然としましたが、どうしても思いを断ち切ることはできませんでした。
「それならせめて、側で見守らせてください。大切な妹なのです。」
ロベールの黒い瞳から、ボタボタと涙が溢れました。



使者はロベールの顔をじっと見つめました。
やがて、沈黙を破ってこう言いました。
「それならあなたには、特別な刈り込みバサミを与えます。庭師として、この聖堂に置いてもらうのです。」
そしてずいと顔を近づけると、こう付け加えました。
「決して自分の正体を明かしたり、妹さんを連れて逃げようとしてはいけません。妹さんには、妹さんの人生があるのです。」
ロベールは、わかりました、と何度も頷きました。
使者は約束通り、立派な刈り込みバサミをくれました。
すると、みるみるうちにロベールの背が縮み、腰は曲がって、手は皺だらけになりました。
使者がロベールから受け取ったのは「若さ」でした。





老いた男性のことを、誰もロベールとは気が付きませんでした。
ロベールはその確かな腕前を買われ、聖堂の庭師として受け入れられました。
庭の手入れなどしたことはありませんでしたが、使者の刈り込みバサミのおかげで、見事な仕事をすることができました。



それからというもの、ロベールは聖堂で過ごし、遠くからアルマを見守りました。
使者との約束を守って静かに暮らし、アルマの歌声が聴こえた日には一人涙を流すのでした。



おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?