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クリスチャンの父のお葬式で感じたこと

私の父はクリスチャン(キリスト教信者)だった。
父はアフリカのケニアで数十年働いていた。
ケニア人の8割以上がクリスチャンで、多くのクリスチャンの考え方に触れ、洗礼を受け、改宗したのだ。

その父が数年前に亡くなったとき、日本の教会でお葬式をしたが、私や母はクリスチャンではないため、作法などが全く分からず色々と面食らった。
まず当日の式次第を見て、お葬式のことを「召天祭」ということを初めて知った。

キリスト教にとっての「死」は悲しむことではなく、神のもとに帰ることであり、喜ばしいこととして捉えるそうだ。

だからか、今まで参加してきた仏教系のお葬式とはかなり異なっていた。
神父さんのお話の後に賛美歌を歌ったかと思えば、棺の前で、ケニア人やブラジル人の仲間が肩を組んで、ケニアのマライカという歌(ケニアではとても有名な曲で、父の大好きな歌)を歌ってくれた。とにかく歌うことが多かった。

召天祭の後は、教会の食堂で参列者の方々と食事をしながら父の思い出話をした。
食堂でご飯を用意して下さったのは教会のボランティアの方々だった。父のことを知らない方もいらっしゃる中で、参列人数分のご飯を作ってくれ、大変有難かった。

式を進行して下さった神父さんとも生前の父について色々なお話が出来た。神父さんは父が癌で闘病中、毎日のようにホスピスへ来て父にひたすら寄り添い、お祈りを捧げて下さった。

私は父の死で悲しみのどん底に沈んでいて涙が枯れるほど泣いたが、この明るい式に随分救われた。
自分の知らないところで父が沢山の仲間に愛されていたことが嬉しかった。
生前、陽気で明るかった父にピッタリの式だった。



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