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留学の思わぬ効果

旅の途中の意外な出会いがその後の旅路を決めてしまうように、留学も目的とは違ったことが転機になってしまったりする。

私の留学もその例にもれず、思いもよらないところで変化があった。

留学開始ほどなくして、私には散歩友達ができた。彼のお陰で近所の小道を歩きまわり草木に目を向けるようになったのだから正確には散歩の先輩だろうか。

その友達は自然豊かで夏がとても短い土地の育ちで、日のよく出る日は寒くても散歩を趣味にしていた。彼によれば、何もない緑の中を歩くのは故郷ではよくある趣味の一つらしい。(そしてベリーは近くの森に入り自分で摘むもので、スーパーで買うのは怠け者か都会っ子だけらしい)

私も歩くのは好きだったのでよく一緒に散歩に出掛けた。日本の都会とアメリカの大自然の中で育った私にとって、イギリスの田舎の「人の手が入った緑」が延々と広がる光景はとても新鮮だった。まだ風が冷たい春先からTシャツを着るくらい暑い初夏まで、代わる代わる花が咲き続けるように誰かが手入れしているのだと気づいた。

ちょうど春の花が咲き乱れる頃、コロナウイルスの流行でキャンパスでも学生を見かけることはとても少なくなった。同居していない人と会うことは制限され、あまりに退屈だったので私は渡り鳥に話しかけたり、その後ろを追いかけて走ったりした。

窓からじっと、春を迎えた水辺を眺めるだけの日もあった。池では孤高の白鳥や群れで大騒ぎのカモがエサを探していた。そうして観察しているうちに、同じ種類の鳥でも一羽一羽に特徴があると気づく。体の大きさ、首の長さ、歩き方まで、まるで違う個性がある。そして天気によって行動も変わる。

ある春の日、私がごく自然に「渡り鳥がここを離れる前には帰国したい」と言うと、スマホの向こうで聞いていた友人に「野鳥の様子で季節を表現するのって素敵だね」と返された。確かに東京では使うことのなかった表現だろう。

日本への帰国が決まり、これでイギリスのきれいな草花ともお別れかと名残惜しかった。もう少し季節が移り行くのを眺めていたかった。この地の夏はどんな風なのか、どんな花が咲き、どんな生き物が動き出すのか気になった。日本の街で暮らしながら、草木や渡り鳥の様子から四季を感じるのは難しいと思っていたから。

帰国便を降りてすぐ、重みのある湿気で梅雨の東京に帰ってきたんだと実感した。見渡すとグレーの空の下にはグレーのビル群、足元にはグレーのアスファルト。

留学先は「何もかもグリーン」でこちらは「何もかもグレー」だなとぼんやり思う。

それでも慣れ親しんだ場所だからか不思議とほっとした。けれど人間以外の生き物の気配がしないのが少し物足りない。

帰国後の自宅待機期間が過ぎ、私はまた家の周りをぶらぶらと歩き始めた。コロナウイルスは依然流行し行動範囲は限られていたし、自宅でできる暇潰しにもあきていた。

散歩をするうち、見慣れた近所の景色の中にも、(あちらほどではないけれど) 意外とたくさんの緑があり、鳥のさえずりも聞こえることに気がついた。

住宅街の植木鉢、小さな庭、道端に咲く花。スーパーの駐車場の一角にある花壇スペース。小さな鳥の高い声。どこからか響く虫の声。

きっと前からそこにあっただろうに、見つけられていなかったものたち。目に映ってはいても、その面白さや美しさに私が気づけていなかったものたち。

留学先で散歩の先輩とあちこち歩いたお陰で、身の周りの草木や生き物に対する私の解像度が上がったらしかった。

それからはどこを歩いても今まで見落としていたことに目がいくようになってとても楽しい。

グレーで人工的な街にも、少ないながら鮮やかで変化にとんだ緑があった。

東京の大学に通っていたころ、昼間は冷暖房の効いたビルで講義を受け、運が良ければそんな校舎の窓からコンクリートジャンルに沈む夕焼けを見て、夜遅くにネオンに照らされたアスファルトの道を帰った。

緑と言えば、天気が良くて時間に余裕がある時だけ、木漏れ日の下で昼食を取るくらい。あとは駅に急ぐ道すがら、桜吹雪で春だなーと思うくらい。

草木への関心はほとんどなかったし、地下鉄に乗ってビルからビルに移動するような暮らしでは、季節の変化を日々じわじわと感じることはない。

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周りにある緑に目を向け、季節の移り変わりを感じることが留学の目的だったわけではない。けれどこれは物理的にイギリスまで移動して、暮らしてみなければわからなかったことの一つだ。それまでの都会暮らしを一旦リセットしなければ、生まれない余裕だった。

そして肉体的にも精神的にもしんどい時に、私を支えたことの一つが、「じっと待てば、耐えれば、春は来る」というイギリスの田舎町で身に着けた感覚だった。

寒くて暗い冬はいずれ終わる。何をしていなくても時は流れ、また春が来る。

今まで見ていた景色の中にももっと見るものがあると気がつけたこと、カレンダーの数字以外で時の流れや季節の移ろいを感じられたこと、どちらも予定していた留学の目的ではないけれど、私に起きた嬉しい変化だ。



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