見出し画像

どうせもがきつづけるなら楽にもがく

先月は仏教に関する本を何冊か読んだ。
「悩みはなくならない」
仏教は、悩みをなくすのではなく、悩みと向き合う思想なのだと。


悩みがなくならないということはつまり、悩みと、自分と、ずーっと向き合いつづけるということ。
それはさあ、一歩間違えたら疲れ果ててしまって、ちゃんと悩みつづけられないよね。
無理が効くのは短期間なのであって、長くは続けられない。
50mダッシュを5kmは続けられないのと一緒。
徹夜も2日ぐらいまでならなんとかできるけど、1週間続けられないのと一緒。
…無理なダイエットはリバウンドが待っているのと一緒。


では、どうするか。
どうせ365日もがきつづけるさだめなら、つづけられるもがき方を考えたい。

うちの母や、今までお会いしてきた主婦ベテラン勢の方が口を揃えていう「家事は手抜きよ」である。

手抜きしながら、もがく。
楽なもがき方をする。


この11月12月、わたしはちゃんと自分と葛藤し、打ちひしがれた。
自分の、自分への甘さがほとほと嫌になった。
子どものころから変わらない甘さ。
でも変わったほうが確実に良い甘さ。

やるべきとわかっているのに、なぜできない。
後悔するとわかっているのに、なぜやらない。
その甘さのせいで何度も失敗してきたのに、なぜ変わらない。

上司や親からこんなふうにネチネチ詰められたら、しばらく海の底で物言わぬ貝のように心を固く閉ざすだろう。

自分は自分と四六時中をともにする。
自分に甘い自分とも、ネチネチ詰め寄る上司のような自分とも。


もがくってそういうことではないだろうか。
キングダムの信と漂が互いに大将軍になることを夢見て毎日一騎打ち(武芸の稽古)をしていたように、自分と自分はライバルであり、友人だ。
「間違っている」自分も、「正しい」自分も。

間違っている自分をただただ叩きのめせばいいわけではない。
戦うこと、もがくことを、まず良しとしてあげないと。


ダメな自分がいるから成長できるし、ダメな自分がいるから人のつらさも(すこし)想像できる。
自分は自分にネチネチと詰められて、ボコボコに袋叩きにされてもまた立ち上がってくるんだから、ある意味スーパータフである。


ここで登場するのが3人目の自分だ。
24時間一騎打ちを繰り広げる小さな2人の自分を、掌の上で転がす仏のようなジャイアントな自分であり、今こうやって文章を書いている自分である。

「今日も元気にやってますねー」と穏やかに眺め、時としてダメな自分がへそを曲げないように励ましなだめ、ちゃんとした自分が匙を投げてしまわないように労い褒める。


スポーツにおいては勝ちつづけることも、負けつづけることもない。
けれどもダメな自分は常にやられて然るべきだと勘違いしている。
勝ったり負けたりしながら、ダメな自分もちゃんとした自分も、ちょっとずつレベルアップしていくのだ。


そう思うと、もがくのもすこし、楽になる。
楽にもがこう。
続けられるもがき方をしよう。
どうせ悩みは尽きないのなら。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたのなかにいる「だめな自分」はどんな人ですか?

この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?