寝る前のメモ。
わたしが地元に興味をもったのは、訪ねた国々から観光的視点を連れて帰ってきたからだと思う。それ以降、住民と、まちと、訪問者の関係を考えているような気がしていて。
そんな風にずっと考えていたようなことを、言語化されている記事に出会った。
住んでいるまちを楽しむ人たちがどれだけ暮らしているか、住んでいるまちのことを考えている人がどれだけいるか、それ自体が、地域の魅力を形成していくための大事なポイントになるのだと思う。
わたし自身も、ただの「観光客」という滞在の仕方ではなく、そのまちに溶け込むような関わりを求めている。
「観光の終焉」を宣言
2年前、大胆な言葉選びで新しい戦略を発表したデンマークのコペンハーゲン市のDMO(Destination Management Organization)。
英語で45ページにわたる宣言は、「"観光時代"に別れを告げて新たな時代を築きます。2020年、その先に向けて」の一文からはじまり、観光マーケティング担当であるはずの彼ら自己批判的な内容を交えてリズミカルに展開される。
・観光客として扱われたい観光客は激減した
・観光客は一時的な市民として接するべき、コミュニティに貢献できるはずであり、それがきっと魅力になる
・コペンハーゲン市民の生活こそが観光資源
・リトルマーメイドはなにも気持ち的なつながりを生まないが、市民は生んでいる
・マスメディアでキャッチコピーを届けることより、市民ひとりひとりからストーリーが伝わっていくことが大切
・ひとりひとりの体験が伝わっていくことがコペンハーゲンのブランディングの成功指標となる
(本文より抜粋)
最終的な旅先での思い出は、その土地の人たちとどんな話をしたかだと思っている。そこには必ず『温度』というものが存在するから。
もちろん、食べたものや見たものも、カメラロールにたくさん残っているだろうし、観光地を訪れることがつまらないとは思わない。ただ、そういう滞在では、まちの表面的な部分しか知ることができず、どこまでいっても「観光客」としての自分しか その場に存在することはできない。
この記事を読んでいると、「自転車生活」や「キャッシュレス社会」など、コペンハーゲン市民の『当たり前』レベルが高いことが見て取れる。
そういったインフラ整備の部分は、行政の力が試されるところだと思うけれど、「コミュニティディナー」や「平日のピクニック」は、私たちが「私たちの生活」を意識して考えたときの『余白』から生まれてくるような気がしていて。
なんというかこう、そのまちに「あたらしいスタンダード」をつくっていくようなイメージかな。
「コペンハーゲン運河での遊泳」と「大胆なリノベーションで花咲くスモールビジネス」あたりは、官民協働でやっていくとおもしろいと思うなぁ。
地元の観光がどこを向いていくのかわからないけれど、そこにわたしが関わる余地があるとすれば、こういう滞在を提案していけるといいんだろうな。
だからまずは、このまちの「当たり前」をたくさん見つける旅にでる。
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