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最近読んで面白かった本を軽くまとめる:6/16~/30

こんばんは。あんどーなつです。
気が付けば上半期が終わりましたね。読書管理アプリによると、私は1月1日から6月30日までで97冊の本を読んだみたいです。年200冊を目安にしているので、おおよそ半分の良いペースだったと思います。

時間を見つけて「上半期読んでよかった本5冊」と称したnoteを書く予定です。楽しみにしていてください!

さて、今回紹介するのは以下の3冊です。
1冊目はデータ分析に関わるアナリストと、マーケティングや経営に携わる社会人の方に、
2冊目は会社に慣れてきた中で高みを目指したいという社会人1年目~3年目までの方に、
3冊目は和菓子とミステリーが好きな女性におすすめです。

大本営参謀の情報戦記 堀栄三


この本は、太平洋戦争中、正確な情報の収集とその分析を軽視していた大本営の中で、的確な分析から米軍の侵攻パターンを的確に予測したために「マッカーサー参謀」とあだ名された、ある情報参謀の自叙伝です。

情報参謀は、大本営の情報部という組織に属し、各担当地域にごとに戦争に必要な情報を収集・分析し、各国の動向を推測するのを仕事にしていました。著者の堀氏は、ドイツ→ソ連→アメリカと3か国の情報参謀を担当しましたが、紙面の多くはアメリカの情報参謀(第六課)での体験にさかれています。

情報参謀は、具体的には以下のような情報をまず収集したそうです。

それでは、必要な軍事情報は、どのような手段によって収集されるのかである。まず、第一線部隊が直接敵と戦闘して得るもの、航空偵察、写真の撮影、通信の傍受などで、戦闘部隊で実施できる。このほかに、諜報、謀略、宣伝などの秘密戦があって、大本営では第二部の第八課(のちに第四班)がその大部を担当している。諜報には、文章を公然、非公然いずれにしても相手に知られないように調査するのと、通信諜報と称する空中に飛び交う電波をキャッチして分析統計して情報を得るものも他に、諜者(スパイ)を組織的に潜在させて、いわゆるスパイ網を作る、あるいは純然たるスパイではないが情報を提供してくれる協力者をつくるものがある。
こうして収集された情報が、第六課に集められて、われわれの机上に並ぶのである。

これらの情報を「分類し、統計を作って、分析し、一線だけでなく二線も三線も交叉する点を求めて審査の上、判断をして」いったそうです。

ここで、著者が「マッカーサー参謀」といわれる所以の1つとなった、米軍の日本本土への上陸地点・時期・兵力を分析した具体的な内容をみてみましょう。

マッカーサーが、当時所有していた兵力は、二十二個師団と空挺二個師団の計二十四個師団であった。そのうち、戦力回復はいままでは六カ月のローテーションであったは、比島、沖縄の損害はかなりの損害であるので、戦力回復を七、八カ月とすると、いまマッカーサーが九州上陸に使える師団は十一個師団、それに硫黄島で戦闘した海兵隊も三個師団は参加できるであろうから、合計十四個師団が、九州上陸に使用可能と計算された。(これは師団番号まで判明していたが、ここでは複雑になるので、師団の数に止める。)
マッカーサーが上陸の時期を焦るのは、兵力的なものだけではなかった。少なくとも他に二つの要素が噛み合っていた。
その一つが、七、八、九の三カ月の日本南部の気象であった。六月から七月中、下旬が雨期、八、九の二カ月が台風のシーズンで、万一これに遭遇したら大変な難事となる。従って上陸作戦実施時期は早くても十月中旬以後となる。
第二は、ソ連の参戦であった。(中略)しかし情報部ソ連課でも、スターリンの各種演説の分析、二十年四月五日の日ソ中立条約不延長の通告、クリエールにいった浅枝参謀の報告、浅井勇武官補佐官のシベリア鉄道視察報告などで、極東に輸送されるソ連の物資の中に防寒具の用意が少ないといった観察などから、ソ連は八、九月に参戦すると判断していたくらいであったから、当然米国でもソ連参戦のことを日本本土上陸時期の選定に噛み合わせて考えていたであろう。
こう見てくると、マッカーサーは「早くやりたいし、台風は困る」---そういったジレンマに陥っていたに違いなかった。
その上、南九州の日本軍は、たとえ急造の師団であっても、合計七個師団、当時の米軍の計算では強硬上陸は三倍の兵力を常套としていたから、十四個師団では少々少ない計算になった。そうなると米軍は、欧州戦場から近く太平洋に回想できる十個師団を加えて、昭和二十年末か二十一年に早々に九州、場合によっては関東地方に直接上陸するかであった。
ところが沖縄から南九州へは七百三十キロ、戦闘機の支援可能距離で、飛び石作戦の適当な距離であるが、沖縄から直接関東地方へは、大軍の上陸作戦の飛行機の支援に危険がある。南部九州は関東地方へ進攻するために準備段階としても必要だし、宮崎以南だけでも日本軍の作った飛行場が十二もあった。その上、志布志湾、鹿児島湾という海空のための絶好の基地がある。従って南九州上陸は、日本軍と一大決戦をするためではなく、飛行機と海軍根拠地の確保という作戦目標に限定すれば、十四個師団でも飛行場の七つや八つは確保出来て、しかも日本の本土に上陸したという政治的大効果をあげ、日本人に対しては徹底した敗北感を抱かせる意味をもつ。
そこへ、戦艦を参加させれば、米軍の戦力は圧倒的になる。米軍的な計算をすれば、戦艦三隻を参加させても、日本軍の四、五倍の戦力になる。志布志湾は地形的にも上陸が容易な上に、四個の飛行場が直ちに占領できる。米軍の上陸は、最重点が志布志湾、あとは宮崎と薩摩半島に重点の上陸作戦を支援する助攻的上陸をして、日本軍を分散させる。兵力が不足なら、もう一個師団ぐらいは沖縄からでも持ってこられないことはない、と判断した。
従って、
「米軍の九州上陸への使用可能兵力は十五個師団、上陸の最重点地点は志布志湾、時期は十月末から十一月初旬の頃」
これが当時第六課が判断した米軍の第一日本本土上陸(米軍はこの作戦をオリンピック作戦と名付けていた)の内容であった。
さらにわれわれは総力を挙げて、米軍の第二次日本本土上陸地点を関東地方と概定して、その判断も作りあげた。これが米軍のコルネット作戦と称するもので、昭和二十一年三月頃、九十九里浜と相模湾に総計十三個師団(実際に米国が戦後発表したのは十四個師団)、さらに欧州から転用可能と常々考えられていた十個師団が加わるだろうと判断していた。

これらの分析がありまりに正確であったので、戦後、著者は暗号の解読や重要書類の盗難の容疑で出廷を米軍から命じられたそうです。著者は、そんなことが可能であったら、戦争に負けなかっただろうし、われわれの判断ももっと容易であったと答えたそうです。

あくまで、マッカーサーの目的と目標を第一に考え、得られた情報と経験から導いた情報と推測を上手く組み合わせ「情報に表れた兆候の中から、残った数個のダイヤモンドの真偽の区別に迷いに迷った末、最後は原則の哲理に戻って考え」ることで、この結論を導くことができたそうです。

著者はこの他にも、ルソン島での米軍上陸時期と場所を予測したり、B-29のコールサインの解析を行い、それぞれでかなり正確な結果を導いたそうです。しかし、日本は戦争に負けてしましました。その理由を情報の観点から考え、「情報こそ最高の"戦力"」という章でまとめています。

米軍が昭和二十一年に発表した『日本陸海軍の情報部について』という調査報告書を引用しながら、著者は日本の情報部が不十分であった理由として以下の5つを挙げています。

1, 国力判断の誤り:軍部の指導者は、ドイツが勝つと断定し、連合国の生産力、士気、弱点に関する見積もりを不当に過小評価してしまった
2, 制空権の喪失:不運な戦況、特に航空偵察の失敗は、最も確度の高い大量の情報を逃す結果となった
3, 組織の不統一:陸海軍の円滑な連絡が欠けて、せっかく情報を入手しても、それを役立てることができなかった
4, 情報軽視:情報関係のポストに人材を得なかった。このことは情報に含まれている重大な背後事情を見抜く力の不足となって現われ、情報任務が日本軍では第二次的任務に過ぎない結果となって現われた
5, 精神主義の誇張:日本軍の精神主義が情報活動を阻害する作用をした。軍の立案者たちは、いずれも神がかり的な日本不滅論を繰り返し声明し、戦争を効果的に行うために最も必要な諸準備を蔑ろにして、ただ攻撃あるのみを過大に協調した。その結果彼らは敵に関する情報に盲目になってしまった。

この指摘のうち、「3, 組織の不統一」「4, 情報軽視」は、情報組織を運営するうえで指摘される問題点として現在でも挙げられているように思います。もちろん、現在はインターネットの登場とコンピューターの性能向上により情報の取得手段や、扱える情報量は太平洋戦争中とはまったく異なります。

それでも、この本からは、アナリストは情報の向き合い方と分析の根本的な考え方を、経営者やマネージャーは情報の重要性を再確認することができるのではないかと考えます。

情報軽視による情報の不足と情報の不正確さが、多くの犠牲を招いたことを知ることは、情報に携わる者には必須なのではないでしょうか?

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桁外れの結果を出す人は、人が見ていないところで何をしているのか 鳩山玲人


Twitterでお世話になっている方がおススメしていた本だったので読みました。この本は、凡人が秀才に近づくにはどんなことをすればいいのか?を端的にまとめた本です。

私がこの本で重要だなと思ったポイントは以下の2点です。

1:徹底的な準備をすること
2:少し厚かましくなること

「徹底的な準備をする」とは具体的には以下のような準備です。

・新しい会社や部署に入ったら、そこにある本と資料を全部読み込む
・人に会う前は、相手のことを徹底的に調べる
・「いつか絶対に実現したい」と思う仕事のために、先々のことまで考えて行動すること

これらの準備をさらにまとめると「今できる準備は今やりなさい!」という一言に尽きるように思います。

自分の仕事に必要な情報、結果を引き出す事前準備といて学んでおくべきことというのは、実は目の前にたくさんあるのだと思います。
ところが多くのひとは、情報が目の前にあって、いつでも目を通せる状況にあるのに「必要になったら調べよう」「そのうち時間をかけて勉強しよう」というように後回しにしてしまいがちです。
みなさんの目の前にも、実は貴重な情報が目を通されないまま、積み上げられていないでしょうか。「必要なときに見よう」「時間があるときに勉強しよう」と思って放置しているなら、今すぐにすべてを頭に入れたほうがいいと思います。

もう1つのポイントである「少し厚かましくなる」とは、以下のような行動を指します。

・会議では的外れでもいいから意見を言う
・会いたいと思った人には自分からアポイントをとる
・苦手な人にも意識的に話しかける

学生でも実践できそうだと思ったのは「会いたいと思った人いは自分からアポイントをとる」です。

先日、道端で知人と会ったときのことです。知人と一緒にいた若者とも、「実はうちの会社もサンリオさんと取引があるんですよ」「そうなんですね」などと会話を交わしていたところ、次の日その若者からメールが送られてきました。
「昨日は偶然お会いできてよかったです。ところで、いろいろお話を伺ってみたいので、明日、夕食をご一緒できませんか?」
(中略)
さすがに次の日にすぐ時間をとるのは難しく、夜にゆっくり食事に行ける日もあまりありませんでした。
そこで私は、「ご連絡ありがとうございます、お会いできてうれしかったです。残念ながらなかなか会食の時間はとれないのですが、キャリアのご相談があれば30分くらいでしたらいつでも時間はとれますのでご連絡ください」と返信しました。ところが、その若者からはその後、何の返信もありませんでした。
読者のみなさんのなかには、「そもそも偶然出会っただけの忙しい人に『お話を伺いたい』と頼んだり、一方的にビジネスプランを送りつけたりするのは図々しいのではないか」と思う方もいるかもしれません。
しかし、私は人にしがみついて何かを得る努力をする人のほうが成長すると思っています。遠慮したり怖気づいたりしない人のほうが、明らかに伸びるのです。
ですから、私が送った「30分くらいなら」というメールに返信しなかった若者に対しては「もったいないな」と感じました。

私も就活をしていた時、Twitterを通して知り合った方にOB訪問をお願いした経験があります。この経験があったために、「会いたいと思った人いは自分からアポイントをとる」という厚かましさを持つメリットには非常に納得できました。

この本で紹介されているのは、決して目から鱗が落ちるような、斬新な考え方ではありません。当たり前のことを組み合わせて、実践できるかどうか。これが秀才になれるかどうかの境なのだと私は思いました。

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私たちはどうかしている 安藤なつみ


イラストのタッチが好みだったので買った少女漫画です。
「殺人サスペンス×和菓子職人の愛憎劇」というコラボが題材として面白いと思います。

あらすじはこちらにまとめてあるので、気になった方は読んでみてください。

第1巻で、王子様ポジションのキャラクターが初対面の主人公に結婚を申し込むところから話が始まります。超ド級の展開の早さです。

和服のイケメン最高ー!!!!

サクサク話が進んでいくのが嫌いじゃなければ楽しめると思います。息抜きにおすすめです!

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~Fin~


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