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R18のゆくえ

「バグダット・カフェ」をいまさら観た。
映画館に行くことがめっきり減ってしまった今は、観終えた後で現実に戻る感触を確かめながらおずおずと感じたことを口に出す相手がいない。というより、誰かと一緒に観ていても自分がここに居るままで作品を観ているので、あの「酔ったような」感じにならないせいか出てくる言葉も今の自分からものを言っているような気がする。

前置きが長くなった。
たぶんその代償行為として、アマプラなどで映画を観た後は作品レビューを読んだりしている。予想外だったのは、バグダット・カフェの感想に「女主人ブレンダが新参者のヤスミンにきつく当たる」ことが不愉快というものが多かったことだ。

中年以上の人たちにとって、序盤の喧嘩腰は特別に違和感を持たずに受け入れられるのではないだろうか。むしろ、後半での和解を予感させる過剰な演出に鼻白む向きが多いくらいだろう。僕は黒人英語の怒りのグルーヴに感心しながらその場面を観ていた。

暴力的なものに対する閾値がとても低くなっている。それ自体は悪いことではないが、内心や事情のようなものはあまり考慮されない。見た感じの印象がとても大事になる。僕もあまりきつい言葉を遣うのは止そう、と思う。

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