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[映画]モガディシュについてのトリビア

本日、7/1に韓国映画「モガディシュ」が日本で上映されるとの事なので、映画のトリビアなどを興奮気味に紹介しようのコーナー。

ざっくりあらすじ&感想(ネタバレ無し)

ソマリア連邦共和国の首都、モガディシュで1991年にソマリア内戦が起こる。モガディシュに取り残された韓国大使館と北朝鮮大使館の外交官たちは、分断の壁を乗り越え力を合わせて脱出を試みる。

久々に映画を見た後「良いもの見たな」と思ったし、見る時はただ楽しいが見た後考えさせられるタイプの映画だった。
実話ベースの物語です。

人を殴ったり凄惨なシーンはあるけれど、グロくはないです
性的なシーンもない。家族で見ても大丈夫。

私はク・ギョファンという沼にズブズブに浸かっているので、俳優面でもめちゃめちゃ見ごたえがあった。
ク・ギョファンの魅力を知りたければ、映画「半島」とドラマ「D.P」を見るべし。どちらもNETFLIXにあるよ。

クギョファンの沼は浸からない人はいれど、1度浸かって抜け出す人はいない。そんな感じ。


ここから先ネタバレを豊富に含んでいるので注意



「モガディシュ」トリビア(ネタバレあり)


撮影秘話

・撮影はモロッコで行われた
ソマリアの首都、モガディシュは韓国人の立ち入りが禁止されている地域のため、モロッコ西部のエッサウィラで撮影は行われた。
撮影地候補の中で、海が隣接しているエッサウィラが一番モガディシュに似ていると判断しての事。

・当時のソマリアを忠実に再現したセット
美術チームと特殊効果チームは、内戦が起きた国家を詳細に扱った書籍や、1990年代の北と南の情勢を表した資料を参考にし、半径1㎞以内の建物を全て当時のソマリア建築様式に合わせセットを作成した。
実際にソマリアで生活した関係者から「実際のソマリアととてもよく似ている」と好評を博した。

・撮影時の気温は実際快適だった
撮影に臨んだ11月~2月のモロッコの平均気温は15度程度だった。
昼はまだ快適なものの、夜になると寒く電気毛布を使うほど。
暑さを演出するためにメイクの力を借りた。

・サーフィンを楽しむ役者たち
製作者によると海外での撮影という事もあり、役者たちは人目を気にする事なく自由な散策を楽しんだ。
撮影の合間に、サーフィンをしたりサハラ砂漠まで観光を楽しむ者もいた。
ただし演出と美術チームは撮影準備のため、そんな暇は全くなかった。

・サムギョプサルが食べたい役者陣
韓国大使役のキム・ユンソクによると、撮影機関全員サムギョプサルを恋しがったという。モロッコはイスラム教国家のため、豚肉が禁止されている。
しかしキム・ユンソク自身はローカルフードが好きで、鶏・牛・羊のような他の肉類は普通に売られているため問題なかったとのこと。
1日に一度はキムチと汁物が出たため、食に関する苦労はあまりなかったそうだ。製作者は以前に海外で撮影した時の経験から、韓国から多くの食材を持って行ったと明かした。
そんな中でも、スペインからどうにかして高値で豚肉を輸入し、제육볶음(豚肉炒め)パーティーを催したこともあるという。

・ソマリア人には見えないエキストラ
予告編をみたソマリア人からは、ソマリア人ではなく西アフリカ系の黒人をエキストラとして採用した点について批判があった。
ソマリア人たちはほとんどが東アフリカ系の黒人・白人のダブルであり、エチオピア人の様に長い手足と細身の体型をしている。西アフリカ出身の黒人とは外見がかなり異なる。
アジアで例えるなら、西洋で製作した映画にて日韓中のような東アジアを背景としながら、俳優は東南アジア出身の人たちを起用している様な違和感である。

・ソマリア人をエキストラ起用できなかった訳
実際の撮影はソマリアではなく、北アフリカ最西端にあるモロッコという点と、いまだに内戦が続いている点で、ソマリア人をキャスティングすることや現地で撮影することは不可能だった。

実際の歴史との比較

・南北の対立 - 実際は韓国の全面勝利
1990-91年当時、ソマリア外交戦において大韓民国の勝利がほぼ確定していた。
映画では北朝鮮が巧妙に韓国の外交を妨害しているかのようになっているが、実際には北朝鮮の立場は韓国よりもずっと弱かった。
1983年に起こった爆弾テロ事件及び、1988年のソウルオリンピック以降、1990年代の南北間の国際的立場はすでに取り返せないほどに大きくなり、アフリカ大陸での北朝鮮の影響力は急速にしぼんでいった。

・実際はお互い平和に過ごしていた
映画では参事官同士のケンカや、緊張した空気の中南と北の外交官たちが共に過ごしたが、実際は穏やかなく雰囲気の中12日間過ごしていたという。
子供たちはよく遊んでおり、クーラーをつけTVでアニメ映画を流すと喜んで見ていた。
北朝鮮側の女性たちは残っていた米を全て差し出し、北朝鮮大使館で育てた大根の葉を持ち寄り、キムチを漬けた。
自家発電機で必要な電気を作り出せたため、映画のようにろうそくを立てたりした訳ではなかった。

・映画よりも奇妙な現実
実際、車には外交官の車だと知らせるための韓国国旗のみつけていき、本や砂袋で車を武装はしなかった。
監督は、内戦の中大人数でイタリア大使館まで無防備な状態で行き、死亡者がたったの1名という現実があり得ないくらいの奇跡だと考え、現実をそのまま映画にしたところで観客は納得しないだろうと、本や砂袋での武装という設定を追加した。

・イタリア大使館の前で振ったのは白旗ではなく、韓国の国旗

・最後に亡くなったのは参事官ではなく、無線手

・北朝鮮に戻ったその後
死亡した北朝鮮の職員は無線手であり、死亡直後、極秘文献の暗号コードブックが入ったカバンを紛失したとのこと。
コードブックの入ったカバンは誰かが持ち去ったのか、単純に無くしてしまったかは分からない。
北朝鮮に帰国したキム・ヨンス大使は処罰を受ける覚悟をし、金正日に紛失報告をしたが、金正日は「生きて帰ってきてよかった」とだけ言い、大韓民国の外交官に助けてもらった事について処置をしたりはしなかった。

当時脱出した北朝鮮外交官のうちの一人は、イタリア大使まで勤め退任したという。
ただ、以降キム・ヨンスは退職したと言われているが、50代という年齢を考慮するとこれが自らの意志か強制退職かを判別することはできない。
金正日が大丈夫だと言っても、現地の責任者が人的被害を受け、機密書類まで紛失した問題は小さなことではなく、また他の関係者は特に処罰をうけていないことを鑑みると、これらをキム・ヨンスが1人で責任を取った可能性はある。

その他


・チョン・マンシク(韓国書記官役)とク・ギョファン(北朝鮮参事官約)はラストのカーチェイスシーンのため免許を取得した。
ク・ギョファンの運転する車両はMTだったため、暇さえあれば運転の練習をしていたとのこと。そのため、ク・ギョファンの車両の後部座席に座らなければならなかったホ・ジュノは撮影中「俺が運転しちゃだめか?」と切実に頼み続け、カーチェイスシーンの撮影では一人緊張しまくっていた。

・ラストシーンの左と右
ラストで北朝鮮外交官の乗車したバスは左回転、韓国側のバスは右回転で空港から出ていく。各体制の方向性を象徴しているのかも

・もしも再会したら
事件のモデルとなった韓国側のカン・シンソン大使は、南北統一がもしなされたら、当時生死の境を共にさまよった北朝鮮の子供たち(今はすでに30代になっている)に会い、お小遣いとプレゼントをあげたいという希望を番組で語った。

引用元

https://namu.wiki/w/%EB%AA%A8%EA%B0%80%EB%94%94%EC%8A%88(%EC%98%81%ED%99%94)

私自身、映画見たら必ずトリビアとか撮影秘話を探し求めて検索しまくる人なので、韓国ウィキペディアにあるトリビアから個人的に興味深かったものを抜き出して翻訳しました。

エゴマの葉を取るシーンは忘れられない


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