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小学生の落語家②

【関係者以外立ち入り禁止】

 売店をすり抜けた通路の先、人気のない扉の前には張り紙でそう書いてあった。


「やっぱり、ここは入っちゃだめなんだよ」
「むむむっ。近くの公民館にお笑い芸人が来た時は打ち合わせしている所くらいは見れたんじゃがな」
「そりゃ、さすがにウチに来るような三流芸人とは違うじゃろう。厳重な 警戒は無いにしても、テレビで見るような落語家も来るようじゃし。一般人が勝手に入ってきて、サインしてくれなんて集まられちゃ収集つかなくなるじゃろ」
「むむーっ……しょうがないかのぉ」
「しょうがないね。戻ろうか」


 まだ、未練がましく扉を眺めている一郎の上着の裾を風音が掴み、引っ張るようにして来た道を戻ろうと振り返った瞬間。


「あ、すいません」


 通路を歩いてきた子供とぶつかりそうになる。


「いえ、こちらこそすいません」


 あわてて謝ると、ぶつかりそうになった梓と風音と同い年くらいの子供もお辞儀をする。
 両手に売店で買ったと思われる御菓子や飲み物が入った袋を両手に持っていた。もしかしたら、この子供は口演側の関係者なのだろうか。
 よく見れば、目の前の子供は、一般の家庭なら出歩くのにまず着ないような立派な羽織を着ていた。

 一瞬見ただけでは、女の子と見間違えそうな可愛らしい感じの少年だ。
 中学生では、アルバイトとも思えないし……。と、風音が少し首をかしげると、一郎も同じことを思ったらしい。その子供に声をかけた。


「もし、ここから先は関係者以外立ち入り禁止じゃぞ?通り抜けするなら 反対側から行ったほうがいい」
「あ、大丈夫です。僕も関係者ですから」


 そう言って、胸元に吊るしている証明書を見せる。


「ええっ? あんたが?」
「そうです。まだまだ若輩ですが、それなりの稽古は積んでますよ。一応、今日の前座に出させていただいてます。滝川左近といいます」
「滝川って……あの、四代目滝川伸介のお孫さんかい?」


 その名前を聞いて、一郎も昭雄も目を見開き、興奮したように子供の顔をまじまじと見つめる。


「ええ。そうです。祖父は来ませんが、父と来ました」


 二人の反応に、左近と名乗った子供は得意がるわけでも、自慢するわけでもない、純粋な笑顔を向ける。


「…………?」


 梓と風音はお互いに見合わせ、なにひとつ理解できない状況に、同時に首をひねる。


「伸介さんは知っているよ。四代目は『王子の狐』が実に秀逸だった」
「それでしたら、今日、僕は『王子の狐』をやるつもりなので、祖父と比べられてしまいますね」
「何の話してるの?」


 風音が一郎にこそっと囁いた。


「ああ、落語の演目の話さ。それぞれ、落語家には得意な演目があってね。どうやら、彼は落語の世界で有名な所のお孫さんらしい」
「それで関係者なんだね」
「そうさ。お前たちと同じ年頃でもう落語の世界に入っている。子供の頃からずっと親が仕込んできたんだろう。お前たちも見習うといい……え?」


 風音と一郎がひしょひしょ話をしている間に、梓がズカズカと左近に歩み寄り、「ふーん」と値踏みをするような、無遠慮な視線を投げかける。
 身長は梓の方が高いので、見下ろす形となり、喧嘩を売っているようにも見える。


「お、おい……」
「君、いくつ?」
「え、十二になりましたが……」
「じゃあ、まだ小学生なんじゃん。もー、大人ぶっちゃって~」

 昭雄があわてて梓を止めようとしたが、すでに遅かった。からかうような笑みを浮かべて、左近の頭を子供をあやすように、さすりさすりと撫でる。


「ちょっ! 止めてくださいっ」
「こら、やめないか」


 昭雄は梓の腕を掴んで止めると、苦笑を浮かべながら、左近に頭を下げる。

「孫が失礼なことを言って申し訳ない。なにも、喧嘩を売ろうとかそういうことじゃない思うので、どうか許してやってくれないかな?」
「……いいですよ。叩かれたわけでもありませんし。僕が子供なのも事実ですから。それでは、僕はこれで」

 明らかに気を悪くしたというのに、左近は笑顔のまま昭雄に頭を下げ、重い扉を両手に荷物を持ったまま器用に開けて去っていった。

「ふう。こら、梓、初対面の人にあんなこと言っちゃだめだろう。だから、お前はもっとおしとやかにならないと……」
「だって、なんかすました顔がむかついたんだもん。生まれも育ちも違うんですっていう顔しちゃってさ。ごめんなさいー」

 ツンとした表情で、悪びれた様子もなく梓は謝ると、売店に向かって歩き出した。

「ほらほら、見物は無理だってわかったし、ジュース買ってよ。おじいちゃん」
「なにを言うとる。お前は反省しとるのか」
「まぁまぁ。あの子も怒っとらんかったし。いいじゃないか。わしが買ってやるでな」
「んむう……あまり甘やかしたくはないんじゃが……こんな所で怒鳴るわけにもいかぬしな……でも……むむむ」

 子育て、いや、孫育てで悩む昭雄の気持ちなどどこ吹く風。梓はいち早く売店に辿り着き、スポーツドリンクにするか、レモンウォーターにするか悩んでいた。

「私はこれ」

 悩んでいる梓の脇から風音が手を伸ばし、クーラーボックスから牛乳を取り出す。身長が低いことと、身体的一部分の発育が遅いことを気にしているようだ。

「じゃあ、それと、わしは温かいお茶にするかの。小早川さんもそれでいいかの?アズちゃんは決まったかい?」
「ありがとうございます。飲食は館内に持ち込まず、ロビー内でお願いしますね」

 店員のおばさんがお金を受け取りながらそう言ったので、四人は飲み物を持ちながら、備え付けのベンチに座ろうとしたが、すでに何人か座っていて二人分しか空いていなかった。

 仕方ないので少し離れたベンチに梓と風音、おじいちゃんズで別れて座ることにした。

「それにしてもさー」

 ごくり。結局スポーツドリンクでも、レモンウォーターでもない、『おいっ!お茶!』を一口飲んで、梓が口を開いた。

「さっきの、左近って言ったっけ。子供なのに、口演するなんてすごいねー。失敗すればいいのに」
「アズちゃんってさ」
「うん?」

 ごくり、ごくり。

「好きな人に意地悪するタイプだよね」
「ぶはーっ!」

 意表をつかれ、梓は勢いよく、口からお茶を噴き出した。

「なななな、なに言ってんのよっ。そんなことないわよ。ちょっと可愛くて、ちょっと礼儀正しくて、ちょっとアレなだけじゃない!」
「誰とは言ってないよ?」

 風音はからかうように、くすっ、と笑った。

「でも、羨ましいな。不器用だけど、自分の気持ちがすぐ態度に表せて。私なんか、きっと、ずっと心に閉まったままで終わっちゃう」
「ちょっとぉ、だからなんでもないってば。風音の気のせいだよ」
「はいはい。そういうことにしとくよ」
「まったく……」

 まるで保護者のような風音の微笑みに、困ったような表情で梓は再びお茶を口にふくむのだった。

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