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20. 万年筆と雑記帖

ものを書くマシンとして「iMac」、「MacBookAir」、「ポメラ」を横断して、仕事をしている。画面の大きなものは、眼にはやさしいが、自分の心とは少し遠い気がする。どちらかといえば書いたものを、客観的に視るほうが適するように思う。わたしの場合、小さなメモや雑記帳がそばにないと落ち着かないように、小さいものから順に、自然に書けていくようなのだ。

そんなわけで、昨年の誕生日に第4のマシンを手にいれた。プラチナ#3776センチュリーの万年筆である(学生の頃以来、数十年ぶりの万年筆であった)。


柔らかく繊細な書き味の極細のペン先。藍のインクを入れれば、金のニブからまるで水で文字を描くように、するすると手から言葉がこぼれ、いくらでも書けた。ペン先からインクが浸みだしてくる瞬間や、紙とこすれあう響き。キャップをまわして取り出し、終わるとキャップを反対に閉じる。脳とペンのボディがひとつの体でつながっているように、しっくりと相性の良さを感じた。

手始めに、それまでポメラで書いていた日記を手書きにしてみた。万年筆のかわいいところは、書かないと書き味が悪くなることだ。3日もほったらかしておくと、すねて擦れた文字になり、毎日愛用するにつれて文字の滑りも美しくなる文具なのである。

2020年は、コロナ禍で数百万人の命が一挙に失われていった歴史的な年だった。その一幕、わたしは何を思い、何と戦って、何に心慰められてきたのかを知る手がかりにしたいと思った。

急がしい日には、①「よかったこと」②「反省すべきこと」③「明日の抱負」。これだけを書いた。文字には心が出る。そういった変化も面白いものである。考えてみれば、つい昨日は誰かの言葉に感動したり、歩いている途中に出会った風景に心奪われたりしたはずなのに、一晩寝たらあっけなく忘れていた。人は日々の中に、大事なものをぽたぽた落としながら、歩いているのだ。 

絵が描きたくなれば道端に咲いている花のイラストでもいい。テレビをみて心に響くセリフでもいい。きっとスマートフォンの写真より、まざまざとその瞬間の記憶がインクの中に閉じ込められているはず。そう思って、きょうもまたペンを握っている。



「某企業の会員向け情報誌での連載エッセイ② 
2021AUTUMN」から一部を加筆修正。筆名で執筆。


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