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映画「母性」

湊かなえさんの本領発揮という作品でした。

「告白」を読んだときの濁流に飲み込まれる感じを思い出しました。

語り口が平易で淡々としていて、一見、理路整然としているためにあっという間に話に惹き込まれていくのですが、だんだん、小さな違和感を覚え始めます。
はっきりとはそれが間違いだとは言いづらい小さな論理の破綻に絡め取られて、物語の流れはどんどん早くなり、気づいたときには濁流に飲み込まれて自分の意志では身動きがとれなくなっているあの感じです。


女には二種類しかいない。
それは、母か娘かだ。

映画の終盤で登場するこのせりふに、とても違和感を覚えました。
だから映画の最初から最後まで、息苦しい感じが抜けなかったのかと合点がいきました。

息苦しいのは、
あまりにも母に依存して自分の人生を生きていないことに気づかない主人公の言動に閉塞感を覚えるから。
こうあるべきという信念で、自分で自分の首を絞めながら生きることを追体験させられるから。
あるいは、自分の母親との関係性を思い出させられるから。


女には二種類しかいないのではない。

母か娘であるまえに、自分というひとりの人間としての存在があるではないか。
それなのに、この二者択一に押し込められそうになる感じが、たまらなく逃げ出したくなります。


無償の愛などというものも存在しない。

現に、主人公の母親の言葉として登場するせりふ、
「私は愛能う限り、娘を大切に育ててきました」
の背後には、大きな思い込みがあります。
確かに、母は娘を愛してはいたのだと思います。
でも、その愛の原動力はすべて、娘をしっかり育ている自分を母親に褒められたいというところから始まっているのです。
物語の終盤まで、娘の名前すら登場しないことに、母親の目が娘には向いていないことを実感させられます。

そして、ある衝撃的な事件が起こります。

そのときの主人公のせりふが、ナイフのように胸に刺さったまま抜けなくなります。
そのせりふへの反応の仕方で、自分が母それとも娘のどちらの立場で映画を観ているのかに気づかされます。

私は娘の立場から観ていました。
足元から土台が崩れるような恐怖、絶望、孤独、怒り、無力感を覚えました。
でもこの感覚は、母の立場から観ていたとしても同じだったのではないかと思います。
なぜなら、母は母であると同時に娘でもあるからです。
母と娘は、合わせ鏡のような存在であることを突きつけられるのです。

怖い、この映画は怖いのだとここで悟りました。


誰かの評価に頼っている限り、自分の人生を生きることはできない。

その誰かの評価に依存して、自分で判断することができなくなるからです。
別のやり方があるのだということに気づけなくなり、自分で自分をがんじがらめにし、周りをもその息苦しさに閉じ込めてしまうことになります。
人並み以上に頑張っているのに、その頑張りは、無用な苦労を抱え込むことにはなっても、決して、自分や周りの人達の幸せにはつながらないのです。

そしてさらに怖いのは、そうとは気づかず自分以外の存在に操られる生き方が、娘に伝染する不幸の連鎖です。


母性は生まれながらに存在しているものではない。

母性は、こどもができて試行錯誤しながら、自分の中で育てていくものだと思うのです。
そして、母性がない女が女ではないこともないし、女を守りたいと思わない男が男ではないとも思いません。
両者とも、たまたま、女あるいは男という性別をもった人間として生まれてきただけなのです。

この映画では、男性の存在がとても希薄です。
それがまた、母娘関係の異常な濃密さを強調しています。
同時に、男性の存在のはかなさや切なさを浮き彫りにもしています。

社会は女と男のあるべき姿を押しつけがちです。
それがなければ、こんな息苦しい人生を生きる人たちが少しは減るかも知れないのにと感じずにはいられません。


ラストシーンで、妊娠したことを母に報告した娘が、最後にこうひとりごとを言います。

私は(母か娘か)どっち(のタイプの女)かなぁ

そこに、既に不幸の連鎖が透けて見えているようで、その重しを心に抱えたまま映画館をあとにしました。


登場人物の一部になったかのように、あっという間にストーリーに取り込まれるエンターテインメント性と、観終わってからも深い余韻が残る湊かなえ作品。

やっぱり、面白い。

そう思った映画でした。


余談ですが、
どうしてももっと深く内容を咀嚼したくて、映画を観終わったその足で本屋に立ち寄って原作を購入しました。

かなり原作に忠実に作られた映画であり、配役がぴったりだと感じました。
俳優さんが演じた映画のシーンを頭に思い浮かべながら読むと、まるで飛び出す絵本のように、物語が立体的にたちあがる読書を味わえました。

それと同時に、一部映画では描かれていない出来事を原作で読み加えることによって、より深く内容を理解できるように感じました。
映画を観終わってから原作を読む、あるいは、読み直すというのもおすすめの楽しみ方です。






こちらでは、飼い猫の小太郎について書いています。


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