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ぼくとおじさんと - 同窓会で

番外編③同窓会で  1923年9月1日の話 ep.1


8月の暑い最中、高校のクラス同窓会があった。

7月に高校の担任が亡くなり、その追悼を込めて急遽招集がかかったが、恩師の葬儀は家族葬で済ましたとの事で代表が数人でお悔みにお伺いし、併せてクラス会を追悼同窓会という形で開いたものだった。
場所は僕の行きつけの居酒屋で、先生のお写真と奥さんを交えて開かれた。
酒の好きな先生には似合いの場所だった事と、かつてのクラス委員で今回の幹事役だった僕にとって無理押しの効く場所だったことによる。
早い時間だったので奥座敷を貸し切り30人程集まった。生徒会長をしていた坂本が挨拶をし、それからは亡き先生の話で盛り上がって奥さんを励ます流れだったが、10年ぶりの同窓生にとっては、お互いの仕事や生活の事でもう一つの盛り上がりがあった。
2時間の予約が1時間オーバーして終わった。
最後の締めはクラス委員長だった文乃が挨拶をした。同窓会幹事の僕は文乃の横で立つだけだったが、途中僕と文乃の関係の妬きヤジが入ったのには参った。でも、嬉しかった。
終わった後は、同窓会であまり話も出来なかったやさぐれ仲間の6人で、店内の別の場所に変えて呑み改めた。
やさぐれと言っても小さい時からの近所づきあいで、小学、中学、高校とクラスが変わっても、じゃれ合ったりした相談仲間だった。
それでも高校を卒業してからは会う機会もなく、今日は久しぶりの再会という事だ。
挨拶をした坂本は長身のメガネ秀才で、生徒会長と新聞部の部長をしていた。
当時、生徒会長になった坂本に誘われて僕も文乃も生徒会に誘われ、その時にコーラスをやっていた横山と体育会系の岡村英恵、そして中川が誘われて生徒会に入ったのだが、仲間うちの野合の集まりだったが結構仕事は出来た生徒会で、今でも自慢に出来る仲間同士だ。気心が知れていたので、坂本もやりやすかったのかも知れない。
同じ居酒屋のテーブル席の端、壁に向き合ったテーブルに僕らは陣取って話が始まった。

ほとんど10年振りという顔合わせで、同窓会と同様で仕事と現状の挨拶から始まったが、そこはやさぐれ仲間、昨日までの同級生の感覚がよみがえる。
「先生は癌だったのね。」文乃が言うと、文乃と仲が良かった岡村が話を受けた。
「肝臓がんで、気が付いたら末期だったそうよ。この1月に余命3カ月と言われたと奥さんは話していたけど、それでも7月まで頑張ったのよ。57歳じゃ若いわよね。」
岡村はため息をついた。そして続ける。
「学校をお辞めになって、体育会の顧問をしていた関係で私と中川君に連絡があって6月の半ばに二人でお見舞いに行ったの。痩せていらして、死が目前にあることを知っていたようで気の毒だった。寝ていることが多いようで醒めると元気に振舞っていたと言うけど、奥さんが言うには、夜中目を開けると泣いていたと言うの。悔しいという事を言っていたそうよ。」
話を聞いていた文乃が涙ぐむ。
「57歳じゃまだまだ若いよ。悔しかっただろうな。
志の一つでも分かれば、俺たちにも何か手伝うことが出来たろうに。」
「先生のお見舞いに行った時、頭はしっかりしているのだけれど体がだめだというようなことを言いながら、私に日頃の危機管理をしっかりやれとおっしゃっていた。
その時は体の管理をしっかりやれという事だと思っていたけど、町会やコミュニティ活動も進んでなさっていた方だから、身の回りや地域の危機管理の事だったかもしれない。」
岡村はハンカチで涙を拭いながら皆の顔を見渡して話しをしている。
「私も介護関係や弱い立場の人と一緒にいるから、危機管理はそんな彼らの命につながるので他人事じゃないのよね。」
「気が付いたら癌だというのは、厳しいよな。
でも、あれだけ回りに気を配る先生だったけど、改めて危機管理と言われれば、確かに回りにはまさかという事が多すぎるよな。今回の台風での各地の大被害にしても、その前の空前の真夏日の連続や連続熱帯夜も予想外の事だったよな。エルニーニョ現象で予想されていたとはいえ、予想されて予想外の事態というのは、言葉としても矛盾しちゃうよな。」
坂本も同情なのか、同意なのか難しい顔をしている。
ちょっと湿気って来た。僕は盃をもって、声を張り上げて皆に伝えることにする。ここら辺で気分転換が必要なようだ。そのための酒だろう。
「まだ乾杯をしていない。ここは死者を弔うのではなく、皆のこれからの幸運を願って乾杯をしよう。それ、乾杯!」
皆が一斉にグラスを傾ける。
すると文乃が僕の耳元に口を近づけて言う。
「先生の追悼の場所で、乾杯はおかしいわよ。せめて献杯というべきよ。声も落としてね。」
文乃に叱られてしまった。
「先生の件はさっきで終わった。これは腐れ縁の仲間会の席だ。だから乾杯だ。」
文乃は諦めたようで、僕の頭をげんこつで軽く 叩いた。すると横山が
「よっ、お二人さん。熱いのはここでは毒だ。店の中が真夏日になってしまう。」
と言う。もともとコーラスをやっていたので声は透き通って高い。僕は一言だけ彼に伝えた。
「さっきヤジを飛ばしたの、横山だろう。声楽の横山しかあんな声は出ないからな。」
「分かったか。いい声だったろう。」
ふと横の文乃に目をやると、顔を真っ赤にして恥じていた。
ヤジが恥ずかしかったのか、僕を恥じたのか。これは帰ってから聞く事にする。

すると、坂本が口火を切った。
「危機管理というのは、個人も会社も国も必須の事だが、横山、お前商社だがどうなんだ。」
「商売には危機管理が前提ですよ。相手が信用できるかどうかという事から始まるからね。
ただ、予想できない事も含め危機管理は必須だ。特に東日本大震災は衝撃的なことだった。
地震の上に津波だろう。その上原発の問題。こんな災害、誰が予想したかね。
あの時、仙台支店と連絡が何日も取れず、送る荷物もストップ、海外からの問い合わせにも答えられないで相当混乱してしまった。
それからだ、危機管理に関しては東日本大震災を教訓にして本社も支社も海外支店もそれを出発点にしている。特に海外は危険が多すぎる。中東では政権に関わる人間がコロコロ変わる上に、テロが多いから自分の身の回りの安全から商売の相手探しから、その都度すべてゼロから始まるんだ。
もっとも、危機管理を商売にしている企業もあるから、この世の中もしたたかだね。」
商社マンの横山が感心している。
坂本が中川に同じ質問をした。
中川は警察官僚だから、危機管理は仕事だろう。
「確かに俺の仕事は、まさに危機管理だ。事件が起こる前に事件が起こらないようにするのが治安管理、いわゆる瀬戸際作戦だが、東日本大震災は想定外、予想外の事件で対応も何事も後手後手だった。
なんせ災害、例えば地震があって家の人が避難しているところに警察が行っても、すでに泥棒が先に仕事をしているという具合に、対策の柔軟性と人員がいつも問題になる。
特に自然災害は予想がつかない突発性が特色だが、それにどう対応するのがという事が絶えず課題になるものだ。」
「確かに地震や噴火、台風もそうだが、起こることを制御は出来ないが、被害を最小限にする事、防災とはそのように人間に出来る最低限の命を守る行動だろうと思う。
だからまず自助、自分をどう守るのか。そして共助、周りの人たちと助け合う事が大事だ。これは直接聞いた話だが、自衛隊の部隊が阪神大震災で現地に入って最初に目撃した光景が、マンションから逃げ出した人が近くの自治会の炊き出しに行って、自治会以外は炊き出しを受けられないという現実だった。マンションも一つの村社会だ。そこでの炊き出しを受けろと言われたそうだ。確かに炊き出しと言っても、誰でも食える量はないからな。
だからマンションも地域も、助け合う内容は日ごろから知って行うようにしなければ、いざという時には何も出来なくなることを覚悟しなければならない深刻な問題でもある訳だ。
ちなみにマンションでは管理組合があるが、あれはマンションの管理・保全が目的で自治会ではないので市への登録もなく、市からは見えない組織で災害支援は受けられない事は知っておかなければならない。
ところで公助だが、例えば災害があっても救急車や消防車は忙しくて出払っており、頼ることはまず無理だろう。その上災害で道路が塞がればどう仕様もなくなる。公助を考えるなら一週間から十日は自治体からの援助は期待しない方が良い。
自治体は災害対策を立てて、災害の危険地域として洪水や地震の災害予想マップを作っているが、基本は自助、共助に頼るというか、任せる事しかできないものになっている。だからマンション生活では自助ができるかが一番問われることになる。」
学生時代の生徒会の会長らしく滔々と話し、その上学生新聞部の部長らしく良く調べている。
なるほどと感心していると、岡村英恵が手を挙げて話し始めた。まるでクラス会だ。
「私の場合を言っていいかしら。
まずドア。私マンション住まいだから、地震が起きたらまずドアを開ける。地震で歪みが出来たら開かなくなるからね。そして、マンションの火事の場合はドアを閉める。煙が中に入らないようにね。マンションの場合、煙が廊下から入って来るから。その後、ラジオを聞いて、色々と情報はしっかり調べる事も大事よ。そして玄関では、いつも靴は前向きに揃えておく。いざとなって逃げる時、靴やサンダルを前向きにしておくと直ぐ履けて逃げ易いからね。私は、施設でも学校でもそうさせているのよ。
後は、ベットの傍には携帯ラジオと懐中電灯、それに底の厚いスリッパを置いておく。これは地震などで割れた物などから足を守るためよ。裸足で逃げて足を切って怪我した人が沢山いるのよ。それと、笛があればベター。何かあれば笛を吹く。皆気が付くからね。
日頃の注意は、テレビの固定やタンス、サイドボードの固定。これは必須よ。その場所も身の回りから 離して置く事。入口、出口からもね。
後、必要品として水の確保と、簡易の炊飯コンロと予備、トイレ用品、そして非常食。これも数日間使うもので、いつまで使うか分からないけれど、足りなくなったらそれこそ近所づきあいよ。聞いた話だけれど、昔は近所から食べ物の貸し借りがあったようだから。
近隣との付き合い、これは町会との関係で、水害の時、増水した水が低層の家を襲う事がこの地区ではあったそうなの。そんな時はマンションの中階以上に避難してもらうという助け合い、近所づきあいは必要ね。マンションでは、2、3階以上は水は上がらないからね。災害があった時、自助も共助も現実的な問題よね。」
岡村は女性だからか、介護関係をやっているからか、身近なことに心配りの出来る人だ。
昔から文乃とは仲が良く、高校を卒業しても良く会っているそうだ。気の良い優しい人だ。
「岡村の話で、自分の身の回りの擁護対策は普段からという意味では妥当で良いと思う。
ただ、俺たちには想定外と言う事も絶えず頭に入れておかなければならないので、出るだけ冷静でいられるようにしなければならないだろう。
いつ、何があってもおかしくないからな。
地震一つとってもそうだが、富士山の噴火も言われているが、俺たちには経験もないので情報収集は大事なことだよな。」
坂本が言うと、すかさず横山が注意を喚起する。
「災害で一番怖いのはデマ情報だ。SNSも発達して、デマも一瞬で広がるからな。この間のアメリカの選挙、トランプが選挙に不正があったという事や議員会館への侵入にしても誰が支持し、どこまでがデマで何が真実か未だに分からない。新聞も真実を検証して記事にすべきなのに、デマの案内に終わっている。むしろマスコミ自体がデマの垂れ流しに終始しているよね。
結局、司法がデマの判別をするという流れだよな。なんか変だよ。」
商売をやっている横山らしく、フェイクニュース対策も危機管理の一つのようだ。
文乃も不安なようだ。
「特に災害では、一刻を争う状況じゃないですか。以前あった動物園のトラが逃げたというフェイクニュース、避難しようとしている最中にそんなニュースが届いたら、逃げるに逃げられなくなってしまうわよ。一瞬の迷いが大惨事につながることもあり得るのよ。」
発言した文乃の顔を見ていた岡村も、不安なようで口を挟む。
「ウクライナの戦争も、ロシアとウクライナの大統領やお互いのマスコミは相手の発言をフェイクだと言い合っているわね。国民を鼓舞するつもりだろうけど、戦争をしている国民にとって、何が真実か分からないというのは怖いことよ。国や政府がうその付き合いを戦略にまで組み込んでいるようで、戦争も災害も人々にとっては災難なので、あくまでも真実に基づいて避難する私たちにとっては大変な問題なのよね。」
皆の話を聞いていた坂本が、学生時代の癖そのままでメガネをいじりながらしゃべり始めた。
「国営放送のNHKは、この間のでっかい台風では夜中を通してテレビでも災害情報を流していたよな。国としては最低限の情報開示のつもりだろうけど、気象庁の担当者が記者会見て言うように、自分の身を守るために行動してくださいと言うのが通り言葉になってしまっているようだ。」
「注意を喚起しているようだが、見方によっては自分の命は自分で守れと突き放しているようにも聞こえるよな。他に言い方はないのかな。
情報は流した。後はあんた方の、自分の責任だと言い切るのではなく、責任を共有とまでは行かなくても、市町村や近隣が住民の避難する手助けをする言葉はほしいよな。」
この間の台風情報をテレビで見ていた僕の率直な意見だ。情報の垂れ流しだけでなく、市や近隣の対策情報も同時にあるべきだと、テレビを見ていて思ったものだ。

「そういえば、今年はあの関東大震災から100年目だよな。
あの大震災でデマが流され、中国人や朝鮮人が何千人も殺された事件があった。デマは怖いが、なんでそれが広がり、なんでで多くの人か殺されたのかが、今だに解明されないのか不思議でしょうがないんだ。」
僕は、先ほどまでの災害と危機管理の話の流れで出てきたデマの怖さを、先日おじさんに聞いた関東大震災でデマにより多くの朝鮮人が殺された話を思い出していた。
すると、メガネをいじって隣の岡村と話をしていた坂本が、ここぞとばかり目を輝かせて話し出した。彼が執拗にメガネをいじりながら話す時は、必ず話が長くなる。
それを知っている全員が、一斉に酒なりおかずを口に頬張り始めた。長期戦に供えるためだ。

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