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人生は、先生だらけ。

24歳の頃、大阪で求人広告代理店の庶務と原稿アシスタントをしていた。「求人広告代理店」が何をしている会社をよく分かってなくて、一次面接で求人フリーペーパーを指さしながら後の上司が教えてくれた。自分が見て応募したそれが「求人広告」で、それを作って売るのが仕事なんだと。

おかげで腹落ちして、二次面接までの間に会社について調べ倒した。そのなかに採用サイトの先輩インタビューがあった。20人分の経験談を読んでいて「あぁ。こんな人になりたい。」と思ったのは女性の営業さんだった。

残念ながら細かくは覚えていないけど「自分が関わったことで、採用者の人生が変わるだけじゃなく、採用したお客様の人生も変わる。」ということが、お客様と出会う前のことから書かれていた。そんな深い世界があるんだと心が揺さぶられて、二次面接ではその話を爛々と話した。営業職ではない、バリバリの内勤職へ応募するのに。

結果は採用。営業所の、たった一人の内勤になった。

庶務の仕事と原稿アシスタントの仕事は、毛色が少し違う。私がやっていた庶務業務は、お客様の依頼内容とお支払いに関わる部分でミスなくこなすことが大切な仕事。受注が入るたびに猛烈なスピードで商品をシステムへ叩き打っていく。毎週締切があるなかで、ロック時間のこり1秒まで気が抜けなかった。

一方で原稿アシスタントは、外出の多い営業さんの代わりにお客様の原稿制作をサポートする仕事。キャッチコピーを変えたり、写真を差し替えたり、ときには電話口でお客様から原稿内容を相談されることもあった。柔軟な対応力と一歩先いく行動が必要とされた。

どちらの仕事も両輪で回していくうちに「原稿のクオリティが受注単価を上げることに繋がるんだ」と、突然気づいた。

例えば一番小さな広告枠で掲載する予定のお客様が「もっとうちの魅力が伝わるようにしたい」となると、キャッチコピーや文章の長さ、写真を追加するなどして創意工夫することができる。

ただそれでは、一番小さな枠では収まらないので枠の大きさが変わる。ということは値段も上がる。そこで「嫌だな」と思われるか「それでも出したい」と思われるかは、原稿のクオリティが違いを産むのが分かるようになった(もちろん営業さんとお客様との関係が良好であることも大きく関わります)。

それに気づいたのは、自分が「原稿アシスタントとして」営業さんと一緒に工夫して提案した原稿の注文が「庶務として」入力をする受注用紙のなかで見つけられるようになったとき。原稿の質を求めて工夫するにつれて段々サイズアップや提案後の受注が増えていくのが分かった。営業さんから直接感謝してもらえることもあった。

入社した時、採用サイトで見た女性営業さんにはなれないと分かっていた。営業職でない自分は受注を獲得することはできないから。でも、もしかしたら。原稿の質を私自身がもっと上げることができたら?

その時の私は営業所が大好きで、チームの営業さんが目標数字を追いかけているのをすぐ側で見ていたから「自分にも目標に貢献できることがあった」と嬉しく思った。採用サイトの女性営業さんは、最初に求人の醍醐味を教えてくれた先生だ。あの言葉がなかったら、なんとも思ってなかったかもしれない。

ほかにも先生がいる。求人広告代理店を知らなかった私に、面接で怒らずに教えてくれた上司。人タラシで、担当するお客さんは、きっとみんな上司のことが好きだったはず。内勤の私は急に仕事をお願いされたり、無茶を言われることもあったけどその裏には大体意図があって凄いと思わされた(ないときもあった)。そんな人が何度も言う言葉は、その通り守っていたら自分も同じようになれるかもと思ってしまう。

「その他大勢にならない。」

営業所のうち私を除いて全員が営業職だったから、恐らく私に言っていた言葉ではないんだけど、見事、確実に私にヒットした。そして制作を目指した。それは営業所ではできない仕事で、必然的に異動が伴った。この言葉は今も私のモットーになっている。

求人広告代理店で制作といえば、コピーライターがメイン。でも当時の会社の制作は、ひとりでコピーも書くしデザインもする。プランニングもするし、品質管理もする。外部内部問わず広告賞に入賞もするし、凄い人だらけだった。

外注さんも多く、わたしが庶務時代から一番懐いた先輩はフリーのグラフィックデザイナー。先輩がillustratorでデザインを作っていく過程を横に座って見るのが大好きだった。木曜と金曜は必ず飲みに行った。そのうち同じ町に住むようになった。家と家の中間にある電柱で待ち合わせて、よく一緒にコンビニへ行った。

その先輩から、また先輩を紹介してもらった。会社OGで、外注のコピーライターさん。この人は、私を弟子にしてくれた初めての「師匠」になる。制作へ希望異動を出していた頃、普段の業務を猛スピードでこなした後に制作への異動のための課題をする私に猛烈な愛情をかけてくれた。愛情なんて大袈裟な、と思われるかも知れないけど超長文のメールで私の疑問や課題を毎週見てくれていた、忙しい自分の仕事の合間に。自分の部下でもないのに。愛情以外にありえないでしょう。

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なんと、この頃のメールのやり取りはほとんど印刷してファイルしてある。私の愛情も凄い。いまも大好きな師匠です。元気かなぁ。

いよいよ私が制作へ異動できるとなった時は、一年越しで。お祝いもしてくれた。飲みにも行った。自宅で企画講座までしてくれた。素晴らしい資料を作ってミッチリ3時間やった。全部宝物だ。

異動したあとに直属の先輩になった人も、やはり私の先生だった。言葉やデザインの基礎から教わったのだけど、元々おなじ営業所出身で「営業さんのために」「お客様のために」「読者のために」を地で行っている。毎日のように飲みに連れて行ってもらった。仕事の話を嫌うけど会社が大好きで、口には出さないけど、行動で優しさが伝わってくる人。

このあと私は事情で会社を辞めることになってしまうんだけど、その時にも絶対に怒ったりせず、辞めるのに辞めたくないとゴネる私の話を聞きながら送り出してくれた。今も変わらず、人生の手本にしたい先生のひとり。

会社を辞めて約4年。開業して2年。32歳になった今、あらたに師匠へ志願して教わっている。その道20年以上のデザイナーさん。フリーランスとして仕事をすること、技術のhowtoだけでは到達できないデザイン思考、私の経験からは到底たどり着けない境地で、師匠にとっては簡単なことでも私には勉強になることばかりです。

そんな師匠の「これについては言いたいことがいっぱいある」と始まる話が大好きで、もう、ずっと聞いてたいんですよね。あと知らない人に広めたい。実になる話を届けられるよう、新しいワクワクを始める予定です。

人生は、いつだって先生だらけ。

「人生はいつも夢だらけ」、私の好きな広告の一つです。でも簡単に夢って見つけられないんですよね。難しい。その点、熱意や愛に溢れた先生には学校じゃなくてもたくさん出会えます。私なんか本当に何にも持ってなかったけど、人生の先生たちが導いてくれたおかげで、いつの間にかやりたいことができて、こんなにたくさんの思い出をもらえました。

今やりたいことがない人も、できたら。ただ人と出会うだけじゃなくて「その人の本当に思ってること、これだけは言っておきたいこと」に触れられる機会があると心揺さぶられるものがあるかもしれません。そうしたら、その人はもう先生のひとりになるなんじゃないかな。

いつでも誰かの本当に思ってること、知りたいなと思ってます。お話できたら嬉しいです。

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