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自己紹介と注釈

こんにちは。あねといもうとです。5歳としの違う姉妹です。私たちはこのnoteを、あねといもうとの「往復書簡」として使っています。短いメールでなく、文章としてのやりとりをしてみたいと思い、あねが提案して始めました。

私たちは雪国の生まれです。こたつの中で本を読み、うたた寝をするのが大好きでした。古い家の8畳間が私たちの部屋で、いもうとはあねの落書きする手元を眺め、夜は二段ベッドの上下に眠って過ごしました。いつしか感じる年齢差は縮まり、そういえば年、ちがうもんね、くらいの感覚になりました。

あねは高校を卒業して、家を出ました。そして東京の大学へ進学しました。

その5年後、いもうとはあねと同じ大学に進学することになり、上京しました。

いもうとは初めは学生寮に入りましたが、社会人となったあねの家に一緒に住むことになりました。これも、あねの働きかけによるものです。「ねぇ、また一緒に住まない?」(きっと、もうこれが最後のチャンス、とあねは思いました。)

その頃の2人の生活はこんなふうです。

宅配野菜を頼み、ごはんを作って食べました。ヨガを習いに行き、眠れぬ夜には梅酒を飲みました。服の貸し借りをして、喧嘩して、歩み寄ってを繰り返しました。それは3年半の月日でした。

いもうとは卒業後書店に就職して、あねとの共同生活は終わりました。

共同生活の終わりから10年以上たちました。

それぞれ結婚をしました。それぞれの家族ができました。
あねは三児の母になり、いもうとの家には猫が1匹います。


それから、あねといもうとの、家族のことです。

この往復書簡には、父のことがよく出てきます。父は豪快で、偏食で、大酒飲みでヘビースモーカーで、怒るとすぐ怒鳴り、世渡りが下手で、不器用で、真面目な人でした。私塾を開いて、子どもたちに勉強を教えながら、言語の研究をし、大学で講師をしていました。言語は、アイヌ語とロシア語です。
父の思い出や、父の遺した言葉も、そのうち書くことになると思います。
繊細で、寂しがりやで、妻と子どもたちを愛していたことは、父が亡くなってから気づきました。もう10年以上がたちます。

ほかの家族のことも少し。実は4人兄弟です。
兄、あね、いもうと、弟の順です。

弟は理系で、数学が大の苦手だったあねにもいもうとにも、全くわからないことを学んでいました。ときどき、あねといもうとにはない切り口で、ドキリとする言葉を発します。父に似ているかもしれません。

兄はマイペースでマイワールドを生きている人です。いもうとは兄の部屋で「美味しんぼ」と「中島みゆき」と「槇原敬之」に出会いました。一生分の感謝です。

母。あの父の妻と4人の子どもの母親という責務は、彼女の器にはおよそ大きすぎたであろうと思います。それを務めようと、小さな体で、頑張った人。天然ボケという言葉で片付けてしまっていいものか悩ましい言動をします。


これからも往復書簡を続けます。
よろしければ、ご覧くださいませ。

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