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食べること、生きること、そんな普通のことにも涙がこぼれそうになる(人もいる)

休日の昼下がり
ショッピングモールの
レストランは
多くの人で賑わっている

親から
ひとが食べているところを
じーっと見てはいけないと
しつけられて育ったし
大人の分別も一定水準は
備えているつもりなので
じーっと見つめたり
殊更に観察したりはしないの
だけれど
ひとが食べるさまを見ることが
とても好きだ

忙しさから作業のように食べる人も
いるのかもしれないが

どんな話題でも笑い転げる年代の
友達同士

家族につっけんどんな態度を
示してるのに一緒に食事する
思春期と家族

食事よりも会話に花が咲く
おばあちゃん達

マシンガンのように
撃ち放たれることばを
聞き流すでも受け流すでもなく
絶妙の対応をしながら
モソモソと食べるお父さん

ひたすらに食事と向き合って
大きな口を開けて食べる
カウンターのひと

誰もかれも
普通の営みで
そこに切り取るような
ストーリーはないのかも
しれない

生きるために食べるのだとしても
他の生きるための動作よりずっと
そこには幸せがある

承認欲求だとか
ひととくらべてどうだとかより
誰と食べたか
何を食べたか
どんな会話をしたか
ケンカしながら食べたとか
他の人では再現できない
ストーリーが
きちんとそこにはある

食事をしていると
笑顔がある
目に見えない笑顔もある

私の感受性のアンテナは
そんな沢山のストーリーを
勝手に垣間見て
涙がこぼれそうになる
こともある

外にいるだけで
生きているだけで
ひりりひりりと
感じて
苦しくなることもある
こういう感覚の積み重ねで
壊れたこともあるけれど

このアンテナがあるからこそ
私は人より
幸福を多く感じたり
気づかないようなことにも
気づけたりする

食べることは生きること
生きるために食べることも多いけれど
食事をしているひとの表情には
幸福や笑顔の方が多い

だから
私は食べることが好きだ

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