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まるめがねはまるで

まばらながら拍手が聴こえる
ありがとうございます
小さくお辞儀をしたら
眼鏡が少しだけずり落ちて
ピックを持ったまま甲で直した

あの日、出そうとした勇気
私から言おうと思った気持ちは
息を切らせながら先に好きだと
言われて受け止められた

駅から引き返してなかったら
私たちは付き合うこともなかったし
実は好きでいてくれたことを
知ることもなかった

気持ちを伝えておきたいと思ったけれど
付き合うだとか、その後のことは考えて
いなかったから余計に
あの日のことは特別な出来事として残っている

季節が変わるたび緑は巡る
同じ髪型で、あの日と同じ丸眼鏡だけど
私は少しだけ大人になったような
気持ちで風を受けている

私は大学2年生になった
学食の賑わいは未だに慣れない
空いてる席を探して鞄の中から
お弁当を取り出す

いただきます

小さく手を合わせて食べ始める
朝炊き上がったばかりのごはんは
まだつやつやとして美味しい
小学4年で母を亡くしてから
祖母に習った料理は今の生活を助けている
知らない人だらけの街、知らない人だらけの構内
自分で作ったお弁当の味は軸足を
小さな街のあの頃に置いていてくれる



夜、街が眠りにつき始めると
空気の振動は緩やかになる
時々、何かが弾けるような音が鳴る
次のタイミングに耳を澄ますけれど
待っていると何故か鳴るのをやめてしまう

バイト先でもらった売れ残りのミモザを眺めて
今日一日のことを思い出す
眠る前に便箋一枚分に一日のことをしたためる
ドラえもんが描かれたボールペンは
彼がプレゼントしてくれたものだ
私が持ち歩くドラえもんの単行本を見て
好きだと勘違いをしたようだ

風まかせのようにペンを走らせると
あっという間に便箋一枚を越えそうになる

父は言っていた
手紙は過去を未来に向けたものだけど
ずっと今に留まり続けるもの、だと
父の中にはずっと母がいる
私の中にもいるけれど、私の中にいる母は
少しずつ思い出という過去になっていくけれど
父の中ではそうではない

手紙の向こういる彼は言う
きみの小さな文字は世界中でひとりを探すみたいで
読むのが大変だけれど、それが良いんだ、と

離れて暮らす何日か後の彼に向けて
想いを巡らせる

バイト先でもらった売れ残りのミモザは
まだ明るく咲いている

明後日の彼に届くようにクリーニング屋さんの
前のポストに忘れずに投函しよう
もう少ししたらミモザを押し花にしよう
明日晴れたらまた駅前で歌うことにしよう


《つづく》



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