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嫌いな気持ち


何でわざわざそんなこと言うんだろう。


嫌いって感情が怖い。

「なぜ、こんなにも考えてしまうのだろうか?」


それは「嫌いだけ」で片付けたくないからだ。

嫌いな相手と関わらないようにすればいい。

でも、残りの人生はとっても長い。

このままでは、おばあちゃんになっても悩んでしまうと思った。


最近、人間関係について考えていた時

自分より相手の気持ちばかり考えていることに気がついた。


そして、自分の心が「不快な気持ち」になった時、

感じている「不快な気持ち」から「逃げたくなっているだけ」ということに気がついた。


さらに、好かれたい気持ちを集めて「私という人間」を作ろうとしていることに気がついた。


それでは逆に、自分の嫌いな部分を掘り下げてみた。


私は不器用な部分が嫌いだ。

そこを掘り下げ、どうして不器用な部分が嫌いなのか考えてみた。


それは、その部分を「指摘」されていた記憶があるからだった。

「不器用だから触らなくてもいいよ。」と言われて、悲しい気持ちになったから自分の嫌いな部分に認定をしていた。


しかし、「不器用」という言葉の意味は本当に存在するのだろうか?


相手が不器用だと感じればその人は不器用になるのか?

それは違う。


相手が考える不器用は

必ずしも私が考える不器用とは違う。


手先が不器用でも愛情表現が豊かな人なら、それは不器用にはならない。


言葉は時に「武器」に変わってしまう。


刺されっぱなしだと、心はいつか死んでしまう。

私は「言葉の武器」を受け止めないことにした。


そして、人を「自分の気持ち」で判断することをやめた。

目の前にいる人もこの地球に暮らしてる同じ仲間なんだ。


そう思って生きようと思う。









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