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カレーのちかれー、そんな気分。


たかがカレー、されどカレー

日本人の国民食とも言えるカレーだが、インド発祥からイギリスに伝わり、それなりにアレンジされたであろうレシピが、やがて江戸末期、横浜港が開港しイギリス船からもたらされたとするのが通説となっているそうだ。明治初頭の「西洋料理」の本には、日本で最も古いとされるレシピが登場した。

故・杉浦日向子氏(江戸風俗研究家、エッセイスト)によれば、カレーライスの普及の秘密は江戸庶民だという興味深い説を唱えられていた。

ここまで普及したのは、イギリスを介してであって、ご飯(米)とカレーが絶妙なバランスで日本人に受け入れられたからだろう。インドから直接伝わったのなら、ナン(小麦粉を練って焼いたモノ)とカレーでは、今ほどまでに国民食とはならなかったと考えられる。

国民食として普及したもう一つの理由は、軍隊で供され、後に家庭に持ち込まれたとされる。また、戦後の学校給食の普及で、子供たちの大好物となったことは間違いないだろう。

さて、明治後期、カレーうどんが登場し、その4,5年後にはカレー南蛮も、さらに大正7(1918)年には浅草の洋食店がカツカレーを出すことになった。何んと、深川の菓子店も負けじと昭和2(1927)年、カレーパンを売り出してしまった。これらはいずれも東京での発売である。

こうして驚くなかれ、昭和初期までには現代の我々にお馴染みの、カレーコラボが出そろっていたことになる。

便利な固形ルー

1950年に発売されたS◯食品の、いわゆる赤缶のカレー粉は現代でもスーパーで販売されている超ロングセラー商品だ。

若かりし頃の母親のカレーは嬉しかった。小学生の僕は・・。外で散々遊んでお腹を空かせて帰ってきた。あの、独特の香りが家に入る前から分かってしまう。

記憶は定かではないのだが、バターを溶かした鍋で小麦粉を香ばしくなるまで炒る。それにカレー粉を混ぜ、あらかじめ玉ねぎ・人参・じゃがいも・豚肉のスープにそのカレーの元、牛乳少々もそろそろと注ぎながら弱火でゆっくり混ぜながら「とろみ」となってくるまで優しく優し回しながら煮込んでいたようだ。やがて便利な固形ルーが発売され、昔風のカレーはもう作らなくても良くなった。

カレーのちかれー、そんな気分が愛しい。

昨夜は久し振りのカレーライスを愉しんだ。各家庭では、隠し味を工夫しているとは思うけれど、それはさて置き、カレーって、つい大目に出来上がってしまう。

一晩寝かしたカレーは美味しくなるとか言うけれど、一説によれば、細菌の繁殖も否定できないようなことも聞く。でもそんなことも一々気にしちゃいられない。

という訳で、今日の昼は「かれーうどん」と相成った次第。それなりに、うどんにかれーという相性も悪くはない。ご馳走様。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。

今日の一日に感謝

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