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ロバートが名刺:Anizine(無料記事)

『ロバート・ツルッパゲとの対話』を書いてから、知らない人との接点が増えた。発売の数ヶ月前からAmazonの予約を受け付けたことで助走期間を長くとれたし、アホみたいにインパクトのある表紙をソーシャルメディアに投下し続けたことで、「なんかもう読んだ気がする」「流行っているような印象」と言われたこともある。ある初対面の人に本を渡したとき、「ああ、これ皆がシェアしているから知ってるよ」とも言われた。

広告の仕事にたずさわってきたのに、「自分が出した本という商品が売れない」ようなことがあったら矛盾だし、屈辱だし、何しろ高額なギャラをもらってきた過去のクライアントにも申し訳が立たない。

そんな自分の本を題材にした人体実験をしていると、今までは関わりのなかった人からもメッセージが届くようになる。「本を読んで興味を持ったので番組に来て欲しい」と言われたりした。出演料をもらって番組に呼ばれて話すことは本の宣伝。そんな都合のいい話があるのか。

大沢伸一さん、岡田准一さんのラジオ番組のオンエア直後にはわかりやすくAmazonの売り上げランキングが大きく上がった。それを「売れた」とは表現したくなくて、俺が生活している中では決して出会うことのなかった領域の人に「伝わった」と解釈している。感謝しかない。

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小さな頃から本の虫であった俺はいつか本を出したいと思っていたけど、タイミングは必ず来ると思っていた。今はデジタル全盛の時代だからソーシャルメディアで好き勝手な自己主張を評論家っぽくすることはできるんだけど、旧世代の我々にとって紙の本には特別な思い入れがある。本を出版するには印刷をして運送して書店に並ぶという物理的な作業がある。そこにはTwitterに書くのとは違って、それぞれの仕事をしている人の生活と運命がかかっている。だから書く人の資格と責任を問われる。

そして、本を書く上で譲れなかったのは「役に立つ本」にはしないということだった。書店には、何かをうまくいかせる方法、という本のいかに多いことか。本を読んでうまくいくことなんて何もない。読書はいつか思い出すための筋肉の繊維を一本一本作っていくだけで、明日の競技で急に1位になれるという機能なんかないのだ。もしスタンフォード式投資術で資産が増やせるなら、読者全員が金持ちになっているはずだ。だからむしろ役に立つと書かれている本には近寄りたくない。

俺の本を書店に運送してくれたドライバーが、店頭に並んだ瞬間に買ってくれたという話を以前書いた。これほどうれしいことはないし、表紙だけで興味を持たれる仕上がりになったのは完全にインパクトの強いマーティのご尊顔のおかげだ。ありがたい。俺を取り巻くたくさんの人の真剣さが本のカタチになって人に届く。

「本を読んだので、写真を撮ってくれ」と言われることも増えた。これはあまり関係ないように思えるが、人となりを知ってもらったことで写真の善し悪しではない上質な判断をされたうれしさがある。ロバートが写真家としての自分の名刺にもなったということだろう。

ちなみに、俺が撮ったある女優の写真がポスターになったとき、ネットにこんなことを書かれた。

「あんな写真、素人でも簡単に撮れるよ」

俺もそれにまったく異論はない。誰だってカメラさえあればあんな写真が撮れることくらいわかっている。でも問題はそこじゃない。あれを俺が頼まれたことと、コメントを書いたその人には頼まれてない、って現実の違いがあるだけなんだ。

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Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。