見出し画像

老人の消えた街 #2 横浜島

前回までの老人
世界は滅亡の淵から50年かけて回復した。復興した町で、主人公の老人は子供の頃に食べた実をもう一度食べたいと願っていた。だが名前はおろか形も色も不明。おぼろげな記憶だけを頼りに、老人は家を出た。


 快晴。こんな清々しさはいつぶりだろう。何かを求めて、自分から足を踏み出すのは気持ちいいものだ。
 地方市の自宅を出た私は、横浜島に向かう船上にいた。なんといってもここはアジアの中枢島。情報があるに違いない。

 あの果実……自宅の情報アクセスレベルでは、答えにたどりつけなかった。まさか果物ひとつが、民間人に対して機密なんてことはないだろうに……
 私の頭の中には、島になる前の横浜が浮かんでいた。かつて世界がまだ滅亡の危機にあったとき、自分の所属部隊はそこで救助活動を展開したのだ。商工会議所にいけば、顔見知りに助けてもらえそうな期待だけがあった。


 島に上陸し、景色を楽しみながら会議所まで歩く。
 くたびれた雰囲気の建物に顔を出したものの、残念ながら知り合いは見つけられなかった。昔のことだ、無理もない。だがスーツ姿の女性が、船舶組合の施設を紹介してくれた。「そちらの方が高度情報にアクセスしやすいですし、宿泊もできますよ」彼女は初対面の私にも、ずっとにこにこと笑顔を絶やさなかった。

 船舶組合は真新しく、オフホワイト基調の清潔な雰囲気だ。丸みを帯びたデザインのロビーでしばらく様子を見ても、顔見知りには会えなかった。仕方なくフロントに向かうと完全に無人で、応対は電子機器のみ、案内された部屋のカギはパスコードが発行されただけだった。

 部屋の中はビジネス風で無機質、VR対応で広々としている。余計な調度品もなくてやや殺風景に見えるが、かつての首都圏だけあって高度情報化は格段に進んでいるはずだ。私の求める答えくらいスッと出てくるだろう?
 ヘッドセットとグラブを装備すると、私の知覚はデジタル漬けになっていく。地平線まで開けた明るいフィールドには、複雑な多面体が浮かんでいた。ゆったりと虹色の光を明滅させるワールドガイドに、私は問いかける。

「やあ、こんにちは。濃厚な甘みを持つ、日本の果実を教えてほしいんだが」
『承りました』

 合成音声とともに、鮮やかな果物が空中に溢れ出してくる。イチゴ、ブドウ、ナシ、マンゴー、ブルーベリー、モモ、メロン、サクランボ、キウイ、リンゴ……デジタルワールドが色とりどりの果物で埋まっていった。だが、どれもピンと来ない。

「すまないね、他にはないかな」
『残念ですが日本という枠組みは存在しません。過去にこだわらずご検索ください』

 端末からの冷ややかなメッセージに、私はかぶりを振った。老いのせいか、他に有効なキーワードが浮かんでこない。だが昨今は実店舗や書籍がなくなった以上、どうしてもネット検索が主体になるのだ。
 不意の焦燥感に駆られる。ひょっとして私は、皮をむいてもらい、切り身で食べたのだろうか。あるいは、果物でさえなかった?
 いや、そんなはずはない。自分は確かにこの手でその実をもいだ記憶がある。気だるさを払うような、つるっとした心地いい感触。

 考えにひたって我知らず腕を組む。そうだ、記憶の中のモヤモヤをもっと鮮明にして、景色とともにあの味を綴ってみようか。それをネットに流せば、誰かが教えてくれるかもしれない。よし。
 私はワールドガイドを離れ、デジタルキーボードを叩こうと意気込んだ。

 しかしメッセージサイトを前にして、文章にするのが思いのほか難しいと気づいた。手が動かない。言語化にこれほど難渋するなんて。それにVRグラブでの入力も不慣れで───ふぅ、出てくるのは弱音だけ。
 こんな事ばかりを書き連ねたところで、投げた小石が無限の空漠に吸い込まれていくかのようだ。音もなく反応もなく、ネットがまるで虚無に感じられる。見る人が見れば、私はすでに迷い老人なのかも知れなかった。

 気持ちが揺らぎ始める。多分、目指す果物を見つけられなかったとしても、誰も文句は言わないだろう? 晴れ渡ったオンラインの広場で、私はすでに旅を諦めつつあった。思い返せば私にはこんな記憶が多い。強い決意で動き出したつもりが、すぐにへこたれてしまうのだ。いわば三日坊主。誰かから否定されたり、手応えが感じられなかったりすると、しぼんでいく心を止められない。


 私は集中力を失い、ただ漫然とネットを検索していた。くるくると。くるくるくるくる。そんな時、どういうわけか、「なにか」に出会った感覚があった。疑心を乗り越え、突如として核心に至るような昂揚感。

記事を要約すれば───
『お前が諦めればすべて終わりで、望むものは手に入らない。だから心を強く保つために、自分を鼓舞する座右の銘を胸に温めて励ませ。お前の好きな奴の生き様をガーンとぶちかまして、壁だろうが何だろうが乗り越えて進みたくなるようなポリシーで全身を肯定して武装しろ』

 そ、それだッ! 思わず文字列に食い入った。なんと勇気づけられる言葉の群れ……
 私は冒険をナメていたのだ。簡単に見つかると思った物が不調に終わり、年甲斐もなくふてくされていた。いや、歳をとったからこそ、我慢弱くなっている。
 考えをあらためるのだ。自分の武装を点検しなければならない。さあ、頼るべき言葉はどこにある?

 

 そうして青ざめた。私の胸はまるで空洞だったのだ。


【続く】(2100字)

◇筆者後記◇
引用した記事の要約は、私の個人的な超圧縮感想です。実際にはもっと真摯かつ具体的で、心に迫る熱を有しています。未読の際は、お確かめいただければ幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?