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優しさとは何か?

私はよく「優しい」と言われる。

確かに自分でもそう思う。
まず「怒る」ということがなくて、イラッとした時も表に出すことはほぼほぼない。

怒ることがない背景はいくつかあるが、
自分自身が大きい声や、そういう雰囲気が苦手だから、ということが大きい。

怒鳴るような声自体が苦手で、いくら自分がイライラして怒りをぶちまけたくても、声を荒げるようなことはしない。
それ自体がさらにストレスになるから。

イラっとした時も、それを表情に出して不穏な空気になったり、相手に噛みつかれて争いが始まるのもまた疲れる。

だから、自分の中で抑えて平穏に済ませようとするか、その場から立ち去ることが多い。

優しさとは何か?
・気がきく
・相手のことを気遣う
・穏やか
・何を言っても怒らない
・何かした時に許してくれる
・攻撃的でない

人の優しさに漬け込んで利用する人や鼻から自分のことしか頭にない自分勝手なひとたちは好まないけど、
そういう人たちも、優しさや温かさで包んであげれば善人の面を引き出すことができるのではないかと信じている。

だから、嫌なことをされたり、言われたりする時も、同じように攻撃し返して自分を守るのではなく、
優しさやあたたかさで正しさの方に導いてあげたい。こちらから、相手の醜い世界に足を踏み入れることはしない。

でも、私だっていついかなる時も、そんな達観できるわけじゃない。辛い時、疲れた時、余裕がなくなれば自分の醜い一面を感じることがよくある。

私は共感力が高い自負があるので、相手の気持ちが、他の人より理解できるタイプだと思っている。

人の何気ない仕草からふとした時の表情や口癖や歩き方や、そういう小さなことからその人がどういう思考や価値観を持っているのかを推測して把握する癖がある。

ある程度一緒に過ごしていると、
この人はこれをされると嬉しそうだなとか、
これは好みじゃないんだなとか、自然と分類分けしている。

これはよくやってしまう私の癖なのだが、相手と関わる時、まず自分の同じタイプか否かを見極める癖がある。それでこの人は安全だ、と感じれば心を開くスピードが圧倒的に違う。

もちろん人はみんな違って当たり前なので簡単に分類できないが、自分と同じタイプというのは、
大まかにいうと繊細であまり人が得意じゃない、1人を好むタイプ。

でも本当に自分と似たタイプって出会ったことがない。それはそうなのだが。
繊細で、悲しくても怒ってても態度は変わらず、
すぐ傷ついて、でもお風呂場や1人の時しか泣けない、
めちゃくちゃ感受性が強いのに、強がり?なのか
感情がいつもフラットに見えるらしい。
大勢で集まる時は気を遣って楽しそうに振る舞ったり
色んな人と話すけど、本当はすぐ帰りたい。というか基本あまりいきたくない。でも断るのが申し訳なくて、という理由でそういう場に行くこともあるけど。
基本放っておいてくれる人が大好き。
何やってるの?あれどうだった?とか何でもかんでも聞いてくるのは本当に御免。
人見知りで、3人以上で遊ぶのは無理。
家族ですら、1日一緒にいるの疲れる時があるし、
本当にリラックスできるのは、鍵がかかった誰も来ない部屋でのんびりしてる時か、猫と寝てる時。
周りからは、強くて、基本ポジティブで、社交的であんま悩まずストレス溜まらなそうに見えるらしい。辛い。。
だからこそ悩んできた。
昔から変わっているとか、何考えてるか分からないと言われることが多くて、
だから、家族ですら自分のこと分かってないなと思うことがよくある。

だから、家族、友人、他人関係なく人をよく見ていて、少しでも自分と通じ合える人を無意識に探しているのかも。
話はそれたが、繊細で1人を好むタイプという人は、わかりやすく言うと、HSPの気質があったり、自由を愛する人だと思う。
繊細な人といると、話していると、あたたかさや、何より安心感があると 感じることが多い。
一緒にいて平和な空気感というか、この人といて傷つくことはまずない、と感じる落ち着きを感じる。

私はそういう人と出会えると幸せを感じて、
相手にとって自分も、一緒にいることで安心できて穏やかな気持ちでいられる、そういう存在でいたいと思うし、相手の繊細なところが素敵に生かせるといいなといつも思う。

だけど、現実にはその優しさを利用したり、繊細な心に漬け込むような人もいる。

今の世の中は、ズルした者勝ち、資本主義でお金がものを言う、物に溢れて何でも当たり前に手に入って常に何かを欲している、稼ぎや地位や名声を求めるものが上にのしあがる。

悲しいけど、これが今の社会だと思う。

繊細で正直で平和を愛する人たちにとって、この世の中は生きるのが難しいと思う。

いつまでも純粋な心を持って、どんな相手でも身を任せられるくらい信じられて、
無条件に相手を愛せて、悪事には立ち向かい、助け合って生きていきたい。

でも、今の時代における、いわゆる「普通に生きていく」ためにはこの感受性を鈍らせて、何も感じない方が楽に生きられる。
私は営業の仕事をしていた時、
本当に自分が心から魅力的だと思う商品しか売りたくなかった。
だって、「え、こんなん誰も欲しくないでしょ」って自分が思ってしまったものは、相手に薦められない。
営業をしていた時は内心そう思うことがよくあって、
誰が必要としてるのこれ?とか、そうでなくても、
いわゆる会社の利益のために売るようなものももちろんあった。
騙しているような、罪悪感を感じることもよくあった。
「そんなの仕事だから仕方ないでしょ」
はいはいはいと噛みつきたくなるくらい何十回といわれた言葉だが、そういうことだ。
自分の生き方から仕事から、真摯に向き合ってクソ真面目に生きていると、馬鹿馬鹿しいなと思うことがある。
人とのコミュニケーションにおいても、何で今これを言ったんだろうとか、ある一つの言葉に囚われて真実が分からなくなったり、時には疑ってしまったり、
深読みしすぎて相手を信じられない自分を恥ずかしく思うこともある。

昔は、優しいってふにゃふにゃして、すぐ壊れてしまいそうな脆さがあって、受け身で攻撃されたら潰れてしまいそうな、どちらかといえば弱いものをイメージしていた。

でも今は、優しさは強さだと思う。弱いのが悪いというわけではなく、それほど強力であるということ。
優しさとあたたかさほど強力なパワーを持つものはない。

昔は、自分を守るために、相手をわざと傷つけることもあった。

言葉で傷つけられたら、理不尽に意地悪されたら、
相手が一番突かれたら嫌なところを突いて、仕返しをして、してやったり顔でそれこそ相手と同じ土俵に立っていた。
「どうだ?私のこの辛い気持ち分かっただろ?」と言わんばかりに。一番はこれ以上近づくなと示したかったからだと思う。

私がそうなのだが、
相手に嫌なことされたら、あんまり近づかないでおこうとか、距離を取ったりする。
相手に距離を取らせるためには攻撃し返すのが一番手っ取り早い。
言われっぱなしやられっぱなしでは、相手がこちらにズケズケと入ってきて、こっちのストレスが溜まるばかりだ。

それこそ、自分の共感力をよくない方に生かしていた気がする。

そんな自分も経験して、そして学んだ。

やっぱり優しさと愛で溢れた世界で生きていたいと。
そして、みんなが心穏やかに暮らせる場所を作っていきたい。
誰もがそう願ってると思う。
でもなかなか上手くはいかなくて、空回りして誰かを傷つけたり、自分が生き残るために相手を落としてしまったり。

どんな相手であろうと、優しさと愛で包んで、いつも正直で、純粋な気持ちを持って素直に生きていたい。
本当に大切なものが何か分かれば、それを信じて手を取り合えば、平等に幸せを感じて生きていけると信じている。

本当はそんなことしたくなくても、余裕がなくて相手を傷つけちゃうこともある。
そんな時相手から意図せず優しさで包まれた時、ふと我に帰る。
優しくされたから優しくするんじゃない。
してもらったからお返しするんじゃない。

本当はもっとシンプルで純粋なもの。

もっと澄んだフィルターで、自分にも相手にも誠意を持って向き合っていれば、優しく穏やかな世界でずっと生きていられると思っている。

無条件に自分と相手を愛せること、想えること、これがもっとも強力で、本当の優しさだと思う。

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