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私と娘が初めて出会った瞬間のこと

今や育児に奔走する親たちもその昔、子供との出会いの瞬間があった。
小さな赤ちゃんがオンギャー!と産声を上げた、あの瞬間である。

育児の在り方は十人十色といえど、この「オンギャー!」の瞬間の迎え方も、十人十色である。

私の出産記録など公にしたところで誰の参考にもならないだろうが、唯一おそらく楽しんで読んでくれるだろう読者が、この世にたったひとり存在する。

我が娘である。

この記事は娘はが生まれた時のことを、我が娘に読んでもらうために記しておこうと思う。

娘よ。
あなたはこうして生まれたし、あなたと私の始まりは、こんな風だったの。

先に言っておくね。
あなたを産んでしまってごめんなさいね。

でも。でも。
あなたには全く関係ないことで申し訳ないけど。

私は私の人生の中、あなたに会えて本当によかった。


1、想定していた出産と違った私の出産について

私は幼い頃、自分の誕生日に母に、彼女の出産エピソードを話してほしいとねだっていた。

私の産声を聞いた時、感動で涙が止まらずに大変だったこと。
お腹にいた私とやっと会えた喜びを噛み締めたこと。
幸せで幸せでたまらなかったと。
その話を聞くたびに、私の心はほんわかあたたかくなり、この母のところに生まれてよかったと、思ったものである。

私の母は、娘の私から見ても「母親になるべくしてなった母親」の類である。
来世は輪廻から外れるのではないかと思うくらいに、佇まいそのものが、私のような小物とは別格のオーラを放っている。
常に慈愛の眼差しで、優しく世界を見つめている。

何が違うって、そもそもの基本思想だ。
「博愛主義者」とは私の母のことを言うのではないかとすら思える。
人間を、動物を、花を草木を、命そのものを、いつもいつも温かい愛で包む。

彼女がいるだけで、場があたたかくなる。
一見、まるで可憐で小さな花のように可愛らしいのだけれど、彼女と時を過ごした人は誰でもすぐに分かる。
そこには何かはかりしれない、大きな何かがある、ということを。

いくら仕事で嫌な人間に会ったとしても、真っ直ぐに迷いなく、自分の愛を貫く。

その姿は小物の私からすると、時にイラつきを感じさせ、時にうんざりし、時に弱く見え、時につまらなく感じられたが、今はしみじみわかる。

あれこそが本物の強さだ、ということを。

私はそんな聖母のような「本物の母」に育てられたのであるが、聖母は聖母を産まないのと同様に、残念ながら私は大変卑屈な人間嫌いで今まで来ている。
持てる者、持たざる者、とするならば、私の母は明らかに「光り輝く母性を持てる者」で私は「ノーマルな母性しか持たざる者」だ。

今思えば、そんな聖母の出産と私の出産が同じであるわけなどないのだ。
しかし妊娠当時の私は、この毎年聞いていた母の出産エピソードの印象が強く「出産はこういうもの」だと思っていた。
その感動の瞬間を待ち侘びながら、2019年の秋、私は腹を大きくしていた。

しかし、分娩台ならぬ帝王切開の手術台の上で、お腹をパカーンと切られ、内臓をあらわにした中での「私自身の出産」は、聞いていたものとは全然違う類だったのである。

おかしい。
この絶賛出産中の私のこの2つの目から、感動の涙が一滴も出てこない。

私はその時悟った。
なるほど、出産を通じて生まれる感情や母性というものは、ひとりひとり違うものなのだと。

そうか。ならば直視しなくては。
私の出産を今ここで定めろ。
子供に語って聞かせるのだ。
私にとっての出産は何だ。
私は今、出産の真っ只中で、一体何を感じているのか。

子宮を縫合され、
「あー気持ち悪いなあ。子宮を縫合されるのって、世の中にあるありとあらゆる種類の「不快感」をまとめました、みたいな、経験したことのない史上最悪な不快感だなあ」
と思いながら、とにかく考えた。

「大丈夫ですか?どうありますか?目を開けて」
と腕から血液製剤を入れられ、耳元で看護師さんの声を聞き「目を瞑っちゃいますぅ。眠いですぅ。気持ち悪いですぅ」と答えながら、とにかく考えた。

遠くに貴女の泣き声を聞きながら、手術台を降ろされようとしたその時、それは定まった。
定まった瞬間、私の目の端にも少し涙が流れた。

あの時の思いを、私のものとして、私は娘に語りたい。

聖母でも輝く母性を持つ者でもないこの私と、娘との出会いに、一体何が介在しているのかを。
正直に娘に語ろうと思う。

ただの愛しさと、ただの悦びに満ちて、命の誕生のその景色を見たいと思っていた。
でも私が自分の中に認めた感情は、まぎれもなく娘に対する「罪悪感」で間違いなかった。

娘の誕生のその時、私は罪人になったような気持ちで、真っ暗な絶望を感じていた。

「私がこの子を今産んでしまったばかりに、この子の死までのカウントダウンと死までの長い苦悩の道が始まってしまった」
そう、感じたのだ。

貴女は大きな声で泣いたね。
小さな怪獣みたいな泣き声だった。
貴女の泣き声を聞いて「まるで嘆きの咆哮みたいだ」と思った。
私はそんな貴女の大きな泣き声を聞き届け、心の中で「ごめんね、ごめんね、でもありがとうね」と無意識に唱えた。

そして、4年たった今も同じ言葉を唱え続けてる。
これからも同じ言葉を唱え続けるだろう。

私の今日に繋がる育児はの始まりの一点は、黒々と光るこの「罪悪感」である。

新生児の夜間授乳を終え裸の乳を晒しながら放心する私の側で
「少し寝なさい」と娘を腕に抱き寝かしつけをしながら
私の実母は子守唄を歌っていた。
それを遠くに聞きながら眠りに落ちる瞬間に
私はもう一度母の子供に戻って母の腕に抱かれているような
不思議な感覚を味わった

2、妊娠出産は親のエゴ由来の行為だと思う

「産んでくれって言ったわけじゃない」
思春期の子供が親に投げつける言葉の代表格みたいなフレーズだが、正直私はこの投げかけに関しては「その通りだよな」と思う。
なので「育ててやってんだから文句言うな」とか「子供の分際で親に楯突くな」とか「産んでくれてありがとうでしょ」とか、そういう返しは絶対にしないだろう。

生まれる子供は「産んでくれって頼んだ」わけじゃない。

我が家の娘は不妊治療で生まれている。
私は病院へ行き、卵管造影検査を受け、薬を飲み、注射をし、不妊治療の手順を1から順に踏み「子供を作る行為」を淡々と行った。
娘がお腹にやってくる空の子宮を持つ時から、娘がやってくるための準備を現代医学に法って着実に。

同じ時、自分と同じように「今回はダメだった」と肩を落とす夫婦、泣きながら診察室から出てくる女性も沢山見かけた。
彼らは強い強い願いの中、涙を流し歯を食いしばり日々を過ごしている。
あの風景を見た人ならば。
あの経験をした人ならば
「お母さんやお父さんを選んでやってきたのね」
「神様に選ばれて私はママになれた」
なんて口が裂けても言えないと思う。

何が神様だ。
神様に母が選ばれるのならば、虐待死させる親が何人もの親になれ、診察室から泣きながら出てきたあの女性が母になれないなど、あるわけがないのだ。
「子供は授かりものというし」という言葉も私は何処と無く苦手である。

(痛い注射をし、面倒な薬を毎日飲み、やれよもぎ蒸しだの、やれ温活だの、この食べ物は良くないこの食べ物は良いなどと、そこにお金と時間と神経をを払って必死に妊活している人に、気軽に「授かりものだし」って言葉をかけるのは、無神経というものだ。)

子供ができる行為は完全に親側のエゴ行為である。
自然妊娠にしろ、不妊治療にしろ「子供が欲しいから」起こす欲望の行為とその結果が、子供を作る。
(予定外の妊娠だった、というのはそれとは別の問題を孕んでいる。計画性の有無の問題で、エゴとかエゴじゃないとかのお話以前の事情だ)

親子の縁は素晴らしい確率の素晴らしい出会いであるが、全ては精子と卵子が結合しただけ、という偶然の産物であり、それを引き起こすのは親である。

妊娠期間が進み、どんどんお腹が大きくなると同時に、私は「子供を産み育てる」ことの重みを感じるようになった。
そして「お腹にいる間、命の向かう先はお腹の外の世界だけれど、産んでしまったらただ真っ直ぐに死への道のりを歩むのか」とお腹の中の命の行く末に思いを馳せた。

責任の在処はここにあるんだろうな、と思った。
親になるということは、どういうことか。
親がやるべき親の仕事とは、この見届けられない(それが幸せなことだと今は思う)小さな命の終焉まで、その幸せを祈り支え続けることなのではないか。

3.はじまりの罪悪感が生む「今日」

「ごめんなさい」から始まった私の育児の日々は「懺悔みたいなもの」だと思っている。
私たち親のエゴから生まれた娘が、少しでもこの世に生まれてよかったと、そう思ってもらえるように。
「ごめんなさい」の懺悔の気持ちを愛情に変えて、今できること、私ができることを全身全霊でぶつけていく日々が今日までの毎日だ。

いつか必ず訪れる娘との別れの日。
その時にはこの輝かしい子育ての日々の思い出を胸に抱き、娘をこの世に置き去りに私は旅立とう。
きっとその時も私は娘に「ごめんね、ありがとう」と囁くだろう。

その私の言葉に、大きくなった娘が笑顔で応えてくれたならば、その瞬間こそ、私の「今日」が報われる瞬間になる。
エゴを正当化したいわけじゃないけれど、私の娘への愛情は、「ごめんなさい」という罪滅ぼしと、ただただまっすぐな「ありがとう」なのである。

私の母と私の娘






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