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3月7日十歳の祝いの日

 今生きている、それだけで奇跡だ何だと言うけれど、生きている人は周りに当たり前のようにいる日常の中にいると、正直なかなかその奇跡を実感する事ができないでいる。

 でも、大人になる半分、つまり今の私と同じ10歳になれなかった人が昔は大勢いたのだと言われて急にその重みを実感した。


「来年は1/2成人式ですね、おめでとう」

 道徳の授業中に担任の先生がそう言うと、クラスはややざわついた。聞いたことがあると言う人や、兄や姉がやっていたと言う人もいて、ほとんどが知っているのだと分かった。

 一人っ子だからだろうか、私は初めて聞いた。10歳の年に『1/2成人式』と言うものがあると言うことも、それを『十歳(ととせ)の祝い』と言うことも。

「20歳が大人と言われています。そして、それは10歳の時から大人への階段が始まるのだと先生は考えます」

 先生はそう言って黒板に向かうと、階段の絵を書き始めた。

「明確に大人と子供が分かれているわけじゃないし、人によって成長のスピードも違うからきっと皆同じとは言えませんが、こういう考え方もあると言うことを覚えておいてくださいね」

 どこか寂しそうに笑って、彼女の持つチョークは黒板に書かれた階段を上り始める。

 そこから、先生は教えてくれた。

 9歳頃までは子供だとして、10歳になるとそこに大人への階段が現れる。それを一つずつ登っていくのが10歳になる私たちの課題であること。そんな大人への階段の目の前に立っている、今日、今ここにいる私たちに向けて少し大人の話しをします、先生はそうも言った。

「昔はね、今のように医療技術が優れていたわけでもないし、衛生管理がしっかり成されていたわけでもありません。だから、幼くして亡くなる子供も多く、大人の半分、つまり10歳まで生きられなかった子供も大勢います」

 クラス中はシーンと静まりかえる。それはそうだろう、皆真剣に聞いていた。もちろん、私もそう。10歳まで生きられないというのは、私が今もういないかもしれないと言うことにも思えたのだ。それは、未来や将来ではなく、今ここにいるこの私がいないということ。

「あなたたちに、その子たちの分まで生きてなどと言うつもりはありません」

 先生の言葉にわずかに教室の空気がピリリと張った。皆私と同じように感じたのかもしれない。先生は続ける。

「でも、皆一人一人が、これから迎える10歳を大切に生きてみようと思ってくれると、先生はとても嬉しいです。そして、これからは大人に向かうのだと感じてもらえるといいな。育ててくれているお父さんお母さんに感謝して、ここからの10年に向けて夢を具体的に考えるのもいいかもしれない」

 黒板には、丁寧に書かれた『感謝』と『夢』の文字が浮かんでいた。4月から他の学校へ行ってしまう先生の最後の授業だと思うと、その言葉がキラキラ光って見えるのだった。

 私たちはまもなく10歳になる。半分大人で半分子供なのだ。それはもしかしたら10歳になる今しか経験できないのかもしれない。そしてそのすべてが奇跡になるのかなと私は思う。

 だから大事に生きてみようと思った。

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【今日の記念日】

3月7日 十歳の祝いの日

10歳の節目を迎えるこどもたちの健全な成長を願い、未来像を描いてもらう日をと、京都市に事務局を置く「十歳(ととせ)の祝い普及促進協議会」が制定。七五三のようなこどもの成長を祝う行事である10歳の「二分の一成人式」「立志式」にならい、通過儀礼のひとつとして和装、洋装の晴れ着を着る機会の提供、親子の絆、地域でこどもを見守る風土の醸成などが目的。日付は3月は年度替わりの月で、対象のこどもの多くが10歳を迎え終わることと、3と7を足すと10になることから。十歳を「ととせ」と読むことで日本らしさ、祝いの日らしさを表現している。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。


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