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ふしん道楽 vol.16 照明

この連載をするきっかけとなったのは、アイムホーム前編集長、角田さんとの出会いであった。
角田さんは調光に熱心で、うちのリビングや寝室の照明の具合や、照明器具そのものなどについていろいろと教えてもらったのだが、こんなに細かく光というものを調整する人たちがいるんだ……と驚きだった。

それまで自分のなかに調光という概念があまりなかったというのもある。

もちろん商業施設やお店の中の照明を素敵だなと思ったり、東京ミッドタウンのライトアップなどを見て光の魔力に魅了されたり、照明のセンスというものを感じることはあったけど、それらはすべて人に見せるための場所でお客様ありきのものなので、家の照明についてはそんなに考えていなかった。

いや、思い返してみると確かに考えてはいなかったが感じてはいた。
そんなに明確なものじゃなくて光がもたらす気分とか、そういったぼんやりしたものではあったけど。

もともと蛍光灯の青いような光は苦手で、あれはつけるとむしろ暗くなってるような気がいつもしていた。
子どものころ、身のまわりの明かりはほとんどが蛍光灯だったように思う。
お正月などに泊まる親戚の家の照明も、旅先で泊まった民宿の照明も夜になって点灯し明るくなると、同時に部屋の中が黒ずんで見えた。

プラスチックでできた傘、丸い蛍光灯からぶら下がる紐。
紐の先の六角推のプラスチック。
唯一好きだったのは、全部消して真っ暗になるのを避けるために付けられた小さなオレンジ色の電球の光だったが、それも含めてすべてがどうにも侘しいものだとずっと思っていた。

なので最初に一人暮らしをした家では、絶対に素敵な傘の照明器具を付けようと意気込んでいた。
雑誌で見るようなオシャレなやつだ。

この時点で結局は傘タイプのものしか想像していないところが我ながら可愛らしい。
天井にソケットがついていれば何を買ってきて取り付けようと自由!
友人の家などにいくと裸電球に籐かごをかぶせたり、ワイヤーで布を傘のようにしてかけたり(全員貧乏なのがうかがい知れる)、それぞれ自分の部屋のテイストに合わせて照明を楽しんでいて、自分の部屋はどうしようか毎晩考えていた。

しかし最初に住んだ家の照明は、天井に貼り付いているようなタイプの蛍光灯だった。
電球が切れるとそのカバーをパカっと外して取り換えるのだが、毎回虫の死骸が溜まっている。
事務所みたいな照明でどうにも嫌だったけど仕方がない。
その時の経験が引き金となったのか、それ以降は引っ越すたびにやたらと照明器具にこだわっていろいろと買い替えた。

どこかのアーティストの作品ということで結構なお値段だった針金でできたシャンデリアとか、アメリカの通販サイト、ホーチャウ・コレクションで購入した枯れ枝でできたシャンデリア、わざわざロサンゼルスまで買いに行ったお花のたくさん付いたシャンデリアなど。

針金のシャンデリアは今はなき丸井のインテリア館で購入したのだが、不ぞろいにグネグネと放射状になった針金に、樹脂でできた蝋燭みたいなものがくっついている。
売り場で一目で気に入って買ったのだが、針金が不安定なので配送中に形状が変化してしまって、その後も引っ越すたびに変形した。

枯れ枝のシャンデリアはものすごい大きくて重く、しかも本物の枝でできていたので、配送してくれた業者さんも取り付けに来た業者さんも「これ、よく税関通りましたね」と不思議がっていた。

ロサンゼルスまで買いに行ったシャンデリアは、そのころ夢中になっていたシャビーシックスタイルのもので、アンティークとまでいかない中古品にさらに経年加工したようなものだ。
仕事のしすぎで頭がおかしかったので、付ける場所もないのに5個も6個もシャンデリアを買って帰ってきた。

そしてそれらを付けたいばっかりに事務所を移転したりしていたのだが、それだけ照明器具に夢中でお金をかけてきたにもかかわらず、照明のもたらす効果やちょっとした角度、明るさの違いが生み出す陰影についてはあまり考えてこなかったのだ。

蛍光灯よりはオレンジの光が良い、煌々と明るいよりはちょっと薄暗いくらいが良い。
光の基準はそんなもん。
もともとざっくりした性格なのか、自分の興味があること以外は大雑把な認識で通り過ぎてしまっていた。

でも冒頭で触れたように、角田さんに勧められて寝室に細かく調光できるスイッチを入れてみた。

面白いものでその日の気持ちや体調で「この照度」と思う段階がある。
昨日はちょうど良かった光量が次の日は暗く感じたりする。
ヨガの先生に来てもらってワークアウトするときも、音楽をかけてぼんやりするときも、それぞれ最適な明かりは変わる。
特にヨガの先生はやっぱり細かく調光する人で、最適な照度を毎回調整していた。
ちなみに先生はセンスよく身のまわりを整える達人だったので、やはりそういう人は照明にも敏感なのだなと思ったものだ。

そういった光に敏感な人との出会いによって、それまでの私が思っていた「照明」とは「電気の傘」のことで、光そのものについては大して考えていなかったということに、ここにきてやっと気が付いたのだ。遅え!!

照明とは「照明器具とその光がもたらす陰影まですべてを含んだもの」だと考えるようになってからは、意識してインテリアとして光というものを見るようになったのだった。

そうなってからはバスルームの照明なども、メイクをしたりなんらかの作業をする時にはバーンと明るくするけど、入浴する時にはアッパーライト、しかも暗めとかいろいろ調整することを覚えて楽しむようになった。

そうすると今度はいわゆるメインの照明を使わなくなって、間接照明とろうそくなどの明かりを楽しむことが増えた。

ろうそくの明かりというのは局地的に明るくて、それ以外の場所は暗くなる。
それだけでは足元が見えなかったりして若干危険なので、そんなときこそ調光器でぐっと光量を落としたダウンライトをつける。

すると部屋全体が満遍なく薄暗く、でも隅々まで光は届いているという状態になるので、ヨガマットにつまづいたりすることもない。
非常にバランスの良い照明の具合で気に入っている。

お天気の良い日中は太陽の光を存分に楽しんで、陽が落ちてからはほんのり薄暗い中で暮らしている。
それもこれからだんだん活動を抑えていって眠る方向にもっていくのだから、理にかなっている。

照明もそうだし人生も、何となくそんなような気がしている(急にどうした)。

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初出:「I'm home.」No.116(2022年1月15日発行)

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