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総本宮・伏見稲荷大社@京都

全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本宮、伏見稲荷大社です。
稲荷神社の投稿が続いているので、ここを書かないわけにはいかないだろうと思い、投稿!
なお記事の写真は、何度か訪れた際に撮り貯めた写真を流用しています。

伏見稲荷大社は、京都を代表する観光スポットです。
コロナウイルスの蔓延以前は、多くの外国人観光客が参道に溢れていて、ちょっと異様に感じたことを思い出します。
私の方が、国内旅行をしているのに海外旅行をしているような錯覚に陥りそうなくらい外国籍の方で埋め尽くされた境内。
「ここはどこ?」「私は誰?」って感じになりました。
また、多くの人が階段や石垣に座り込んでアイスや飲み物を飲んで休憩している中を避けながら進むのは、気分も萎えてしまいます。
特に千本鳥居では、参道を占拠してさまざまなポーズをとりながら写真撮影をする外国人に、イラっとしながら参拝してたことを思い出します。

緊急事態宣言が解除された直後に訪れた伏見稲荷大社は、少し閑散とした感じですが、落ち着いて参拝できたので、個人的には最高でした。


伏見稲荷大社へ向かうには、京都駅からJR奈良線で稲荷駅で下車するか、京阪本線で伏見稲荷駅で下車します。
JR奈良線で稲荷駅を出ると直ぐに朱色の大鳥居があり、真っ直ぐに境内へ向かうことができます。
京阪本線で伏見稲荷駅からだと、参道茶屋を両目に見ながら参道商店街を抜けて、本殿に向かうルートで境内へ向かうことができます。
いずれのルートも風情がありますが、個人的には行きは大鳥居から向かい、帰りに参道商店街を通るコースをお勧めします。

大鳥居(一の鳥居)

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大鳥居を抜けると、一直線に二の鳥居、楼門、外拝殿が見えます。

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一方で、参道商店街を抜けて向かう参道にも鳥居があります。

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参道商店街を抜けると石の鳥居が待ち構えます。

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大鳥居を抜けて参道を進むと、楼門があります。
まずは楼門手前にある手水舎で身を清めます。

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さて、楼門の両脇には、狛犬ならぬ白狐(狐の狛犬)が並んでいます。
伏見稲荷大社には、多くの狐が鎮座していて、稲穂、鍵、珠(玉)、巻物をくわえているそうです。
中には、何もくわえていない狐もいるそうです。
いろんな狐を探してみるのも参拝の楽しみかも知れませんね。
ちなみに楼門の前いにる狐は、鍵と珠をくわえています。

楼門
楼門ですが創建の年はわかりませんが、応仁の乱の際に焼失し、豊臣秀吉が大政所(母親)の病気治癒を祈願して寄進したとのことです。
その後、元禄時代に徳川綱吉が「元禄の大造営」を行い、楼門周辺の拡張と楼門修繕・改築がなされ現在に至るそうです。

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楼門を抜けると舞殿(外拝殿)がありました。

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舞殿を抜けると、拝殿があります。
ここでしっかりと参拝させていただきます。

頭上には見事な飾り細工が施され、その中に白狐のお姿がありました。

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御本殿
本殿は、「五間社流造」という建築様式だそうで、別名「稲荷造り」と言われます。

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本殿には、下社・中社・上社ならびに摂社である田中社・四大神の五社が一宇相殿に奉祀されています。

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(※本殿の写真撮影は禁止されています。)


伏見稲荷大社の境内案内図です。
稲荷山全体が稲荷神社であり、ここからが「THE伏見稲荷大社」と言われる千本鳥居を見に行きます。

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では、本殿裏手より千本鳥居へ向けて、Let's Go !!!!!
まずはこの鳥居を抜けて、奥宮へ。

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奥宮の参拝が終わって、いくつかの鳥居をくぐって、奥へと進みます。
実はここからが千本鳥居のスタート地点だそうです。

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千本鳥居
千本鳥居の入り口にやってきました。
千本鳥居の入り口付近に立つと、2か所の入り口があります。
原則的には、右側通行という決まりがあり、右側の鳥居から入り、左側の鳥居から出てくるってことになります。

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うひょ〜〜!
朱色の鳥居が延々と続いてます。
観光写真で見た風景が広がってます。
隙間無く鳥居が並んでます。

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圧巻の鳥居を抜けると、
御神体山である「稲荷山」そのものを奉拝する奥社奉拝所に至ります。

ここで参拝したのちに、登ってきた鳥居とは反対側の鳥居を下れば、ひとまず千本鳥居を制覇したことになります。

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奥社奉拝所の左手に、新たな鳥居が連なります。
ここから稲荷大神が鎮座する稲荷山の峰々を巡拝する「お山めぐり」のスタート地点となります。
お山参道には朱塗りの鳥居が建ち並び、参拝客を山頂へと誘います。
お山めぐりの総距離は約4km、所要時間は約2時間ほどだそうです。 
体力に自信のある方は、ぜひ挑戦してください。

今回は、私も行けるところまで挑戦したいと思います。

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ここからの鳥居は千本鳥居にあった鳥居とは大きさの違う鳥居が続きます。

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少し目線をずらして、鳥居の外からパチリ。
緑に朱色が映えてとても素敵でした。

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登ったり降ったりとしながら、延々に続く鳥居を通り抜けます。
場所場所において鳥居の大きさが変化しています。
途中で「この鳥居は、幾ら寄進すれば建つのかな?」などと考えながら歩いていました。(笑

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この石段を上り詰めれば御膳谷奉拝所です。
正直ここまでが限界でした。

この先、一ノ峰(上社神蹟)、二ノ峰(中社神蹟)、間ノ峰(荷田社神蹟)、三ノ峰(下社神蹟)といったところを全て回れば良いのでしょうが、体力の限界を感じました。

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下山します。

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鳥居の絵馬「願掛け鳥居」
伏見稲荷大社らしく鳥居の絵馬とは、すばらしいですね。
奥宮の絵馬は、キツネの絵馬でした。

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御祭神 
 稲荷大神
  ・宇迦之御魂大神(下社)
  ・佐田彦大神(中社)
  ・大宮能売大神(上社)
 相殿 
  ・田中大神
  ・四大神

御由緒
当社の起源については「山城国風土記」の逸文に《秦中家ノ忌寸等の遠祖、伊呂具秦公の的にして射た餅が白鳥と化して飛び翔けり、その留った山の峰に“稲”が生じた奇瑞によって、イナリという社名になった》とあり、また「神祗官勘文」や「年中行事秘抄」などに引く「稲荷社禰宜祝等甲状」には《この神は、和銅年中、初めて伊奈利三ヶ峰の平処に顕坐してより、秦氏人等が禰宜・祝として春秋の祭りに仕えた》とあります。

さらに社記(十五箇條口授伝之和解)には《元明天皇の和銅4年2月壬午の日に、深草の長者“伊呂具秦ノ公”が勅命をこうむって、三柱の神を伊奈利山の三ヶ峰に祀ったのにはじまり、その年は五穀が大いにみのり、蚕織なって天下の百姓は豊かな福を得た》と伝えています。

このように、ここ深草の里は秦氏とは極めて深いかかわりをもち、御鎮座は和銅4年(711)2月初午の日と伝承されてきました。しかし、信仰の起源は、これよりも更に古くさかのぼると考えられています。

出所:伏見稲荷大社HPより引用

御朱印

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今回は伏見稲荷大社でした。

稲荷神社の総本山だけあって、壮大で、絢爛豪華で、荘厳で、雅でした。
千本鳥居は圧巻で、フォトジェニックな場所でした。
ついつい何枚も写真を撮ってしまいました。
ところで、千本鳥居っていうけど、本当は何本あるかご存知ですか?
千本鳥居の鳥居は、約850基だそうです。
その他に伏見稲荷大社全体では約3380基あるとか、ないとか。
千本鳥居を奉納することも可能で、5号(直径15cm)から10号(直径30cm)までの6種類の鳥居を一般の人でも申し込めるようです。
ちなみに、5号で175,000円〜 10号で1,302,000円〜 だそうです。
奉納する場所によって値段が変わるそうです。
どうですか? 奉納してみませんか?

でもここ千本鳥居は、京都でも指折りのパワースポットと言われますが、心霊スポットとしても有名らしいです。
千本鳥居の写真に不思議なものが写ったという話は多く聞かれるそうです。
また、興味本位で夜にここを訪れていけないと言われているそうです。
そのように言われると確かに、鳥居とは、俗世から神様のいる世界へである「幽界」「神界」への関門であり、結界であるのだから、邪心でここに訪れてはいけない場所だということに気付かさせられます。
ちょっと怖くなってきました。
鳥居を含め神社仏閣を訪れた際に、そこが神聖な場所だから身が引き締まる思いがするのかも知れません。

さて最後に、
楼門のところで豊臣秀吉の名前が出てきましたが、秀吉は稲荷信仰がとても強かったようです。
聚楽第を造営し、秀吉自身の立身出世が叶ったことで「出世稲荷神社」を造ったり、伏見稲荷大社に大政所(母親)の大病平癒を祈願したり、稲荷神に戦勝祈願を行い大勝することができたことに大満足したため「満足稲荷神社」を建てるなどの話が残っています。
そんな中で、秀吉が伏見稲荷大社を参詣した際に立ち寄ったと言われる店があります。
参道商店街の一角にある「食事処 祢ざめ家」という店で、その屋号は秀吉から授かったそうです。
そんな話を聞くとついつい行ってみなくなるのが・・・・

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いなり寿し、うなぎ焼き、うずら焼きが有名なお店で、参拝の後に一服するにはちょうど良い店です。
ミーハー(昭和な言葉ですが)な方は、是非行かれてみては?


神社 : 伏見稲荷大社
住所 : 京都府京都市伏見区深草薮之内町68番地
HP : http://inari.jp/


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