生きる意味 人生の正解について


こんにちは、イナモトです。

ふと昼間に外にさっき出て、
気づいてしまった、
といいますか
もう少しで腑に落ちそうなことが
感覚的にあったので書きます。


生きる意味について

生きる意味なんて無い。
悲観的な捉え方(しにたいとか)ではなく
意味という到達点すら
元々無かったのだ、とふと思った。

平日の昼間に当てもなく外を歩く。

同じ時間帯に
色んな人が歩いているが、
私も含めみんなが何者かは分からない。

今、何をしようとしているのか、
今、この時間を誰として生きているのか。

ただ、昼間の時間が流れているだけで
正直、周りの人間たちが
誰が何者として存在しているかなんて
分かりようが無い。

そして、それは誰一人同じでは無い。

比べようが無い時間が
ただ無数にあるだけなんだ、と。


そうすると自然に

人生に正解がある

なんていう基準があること自体
おかしなことであると気づく。

だって、比べようがないことを
比べようとしていることが
どうも可笑しい。

私たちが何者として今の時間を生きてるか
分かりようも知りようもないから。

人生の中でこれが出来たら、
正解!合格!
さあ、次の待遇へ!おめでとう!
みたいな漫画の中にありそうな
国の制度や社会のテストなんて
実際にないでしょう?

何をもって
人生の正解なのだ?

人生の正解
・いい会社で、名誉ある仕事をすること
・結婚し、家族を作ること
・いい大学に入ること
・いい場所に住むこと
・お金を沢山手に入れ裕福であること
・美しい容姿を手に入れること
・夢に向かって努力し、叶えること

人生の失敗
・その日暮らしの仕事を適当にすること
・独身で1人でいること
・学校へ行かないこと
・治安の悪い場所や家を持たず暮らすこと
・貧乏であること
・身なりに興味を持たないこと
・惰性でなんとなく生きること

人間だから、社会性や感情を
持ってしまってくるから、
そう優劣や対比を好むのも分かる。

だが、私たちがただその日
生きている
ということには変わりない。

ただ、生きている。
それだけのことに対して、
沢山のお飾りがついている。

それだけだよ、と。


時々、自己中心的な発言や言動を
する人間に遭遇して
凄く不快になる。

噂話やいじめが好きな人間もいる。

パワハラセクハラモラハラ

何がそんなに偉いのか分からないが
力を振るう人間もいる。

波動が低い、民度が低い、
教養や配慮がない、

それだけのことと思っても

なぜこうも人間は愚かになるのか?

本当に心底不思議である。


生きる意味
人生の正解

私もそのトラップに落ちていた。

ここから抜け出せることができたら
いつまでも今日の昼間のように
穏やかであたたかに
生きられるような気がする。

人間ほど愚かな生き物
あっていいんだろうか。
綺麗な世の中に変わっていきたい。

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