結婚生活2.0-結婚をしなくても幸せになれるこの時代に、結婚し、そして続けるということ:序

専業主婦の母に父、兄と私の4人の核家族の元に生まれ、特に波風もなく成長し大学へ進学。卒業後実家に戻り、数年働くも実家暮らしに疲れ、そろそろ家をでるかとなったとき、当時の彼とじゃあ結婚するかとなった。結婚適齢期がクリスマスケーキの販売に例えられた時代、まさに売り時の24歳だった。その後、数年もたたないうちにおあつらえのようにセックスレスになるもホルモンの影響か、日々に退屈しはじめたのか、要らないと思っていた子どもを突如作ってみたくなり、しっかり1回で懐妊。29歳という平均的な初産年齢で出産した。元々仕事にはそんなにこだわりもなく、気づいたら専業主婦となっていた。その後周りに流されるようにトライした小学校受験を運よくパスし手に入れた、可愛い制服、充実した教育環境、一様に感じがいい子どもの友達や保護者達。何のトラブルもなく気づいたら40歳になっていた。

そこで、ドンときたのである。

こどもは順調に育っている。自分のお腹から出てきたことを忘れるくらい、眩しい若者に成長した娘を見てふと、それで私はこれからどうしよう?と怖くなった。

家族のために自分のお腹がすいていようがなかろうが毎日料理を作り、寛容というよりは軽薄な宗教観でその意味も深く考えずそんなものかと季節の行事ごとに家をしつらえる。そもそも、アウトドア好きでもなくスポーツも全く興味がなかったのに休日といえば公園へピクニック、ときにはキャンプや海水浴、スキーと “らしい”休日を過ごす数年。
子どもが楽しむ姿を見るのは間違いなく幸せであり、決して無理をしていたわけでもない。しかし成長する娘とは裏腹に鏡の中で確実に老いの色を見せる自分の姿を見て、はたとこのまま私はどうなるのだろうと思うと怖くなった。

夫は、休日は私がおぜん立てした“家族”の舞台役者のごとくすっかり父親となりその役割を楽しみ、様々な事情で転職を余儀なくされるなど、仕事上はかなりストレスもあったようだが、しかし、努力も運もあったのだろう、マンションも購入し、学費にも困らないくらいは稼いでくる。
自分の専門にも自信をつけ、将来はさらにこんな仕事がしたいと夢もあるようだ。

夫の仕事、夫名義の家、そして子どもはじきに巣立っていく。
私には何があるのだろう?

そう思うと無性に腹が立ち、そしてなぜか妊娠以来まったくしていなかった性交をしたいという感情が急激に湧き上がってきたのである。
正直に言うとしばらく前から性欲自体はあった。しかし、あまりにもスムーズにレールの上を走る列車に乗っているかのような毎日がそれなりに美しい景色を車窓から見せてくれ、そこにセクシャルな話題を持ち出すには場違いに思えた。一方でテレビを一旦つけたら、たいして面白くもないのに消せなくなったような時のように、その風景に飽きた自分をうすうす感じながら、腰が上がらない。誰かが手を取ってくれるのを待っている。誰と言っても夫しかいないわけだが、今の生活に不満のない夫がなぜ手をとるのだろうか?いったい私は何を待っているのだろう。

ぼんやりしていても、わかりやすい美しさを見せてくれる毎日。外から見ても、絵に描いたような、平凡だが幸せそうな一家にしか見えないだろう。

毎日少しずつ、しかし確実に変化と成長を見せてくれるかわいい娘。そんな娘も膝の上で、すやすやと気持ちよさそうに昼寝をしていたと思ったら、前触れなく起き上がり、振り向きもせず、社交辞令的感謝も示さず去っていく猫のように、いつか親の庇護の元をさらりと去っていくだろう。そして、そのころには私の性欲もすっかり枯れているのだろうか?

思い切って夫に私の漠然と感じる不安と不満を話してみるが、最初は核心までは、言葉にできなかった。虫の良い話だが察して欲しかった。言葉にせずとも感じて欲しかったのが本音だった。夫も二人の時間を持とうとおしゃれなレストランを予約してくれるなど彼なりの努力をしてくれた。しかし、会社の女性社員に教えてもらったと聞くと、十年東京で暮らしてこんな店一つしらない私がつまらない存在のように思え、心から楽しめない。夫はこんな店に妻を連れてこられるようになった自分が嬉しいだけのようにも見える。そして、そもそも私の欲していたのはこれではない。もっとダイレクトなセクシャルな行為である。核心を避けるようにも見える夫の対応に業を煮やし、かなり婉曲で遠回しだった私の行動と言葉は、玉ねぎの皮を剥ぐように少しずつ遠慮がなくなり、ようやく「私は性欲を持て余している。セックスがしたい。」とはっきりとダイレクトに口にできるころには数年が過ぎていた。さすがにこれだけ直接言われれば、何か答えをだすだろうと返事を待つと、彼の答えは悲しそうな顔で「ごめん」。その一言で終わってしまった。

私の性欲について向きうつもりはないのだなと確信した時、それまで考えたこともなかった離婚という選択肢が頭をよぎったが、しかしなぜか不倫という選択肢は微塵も思い浮かばなかった。結婚とはそういうものだ、私の体は私のものだけど、ことセックスに関しては“基本的に”お互い法で使用権を縛られているのだと信じていた。

セックスがしたいから離婚したいなどばかばかしい、そして本当に離婚するつもりなら生活のこと特にお金と娘のことなどクリアにしなければならない問題は山積みである。
しかも、ネット検索すれば文字通り星の数ほど同じような悩みをかかえている夫婦がいて笑ってしまう。本当に私は普通だな、三文オペラを演じているみたいと自分にあきれながらも、よくあることとどんなに頭ではわかっていても、苦しいのは事実で、どうにかして夫にしか私の苦しみを解く“権利”がないということの重大さを理解してほしかった。そのころ普段の暮らしにおいては、周りの風景は同じく美しかったけれど、鎖で縛られて牢獄の窓から覗いているようで、その先の風景をどんなに疲れてもいいから自分の足で歩いて見てみたいと懇願するような気持ちになっていた。

離婚をしたいと言うわたしに夫は「そう言うが君はこれからどうやって食べていくんだ、子どものにはどう伝えるんだ」といった余計なことは一切言わなかった。ただ、解決策も提示してくれず「僕は君と暮らしてきてずっと幸せだった。離婚はしたくない。」と言うだけだった。

私は彼にどんな反応を求めていたのか。
離婚したいというナイフのような言葉を相手に突き付けながら、どこか離婚したくないという言葉にほっとしている自分がいる。なんと幼稚でずるいのだろう。夫は夫で幸せを追求する権利があり、大切にしてきたものがあるだろう。そして希望をはっきり述べているのだから、私も正しいとか誰のせいだとかうだうだ言わず、ストレートに自分の希望をはっきり言えばよい。自由にセックスがしたいのだ。そしてその頃、私はいつのまにかセックスをしようとしない夫を責めるというよりは、どこか性行為を伴う恋愛的な感情の交流も欲している自分を、あまりにありがちな考えに辟易しながらもながらも認めざるをえなかった。それこそ馬鹿みたいだが結局は誰かから女性として魅力的だと思われたうえで発情してもらいたいし、発情したいのだ、と。

はっきりとわかった。これが私の欲望だ。

母として生きてきて10年。母として母らしく正しく生きるだけなのが辛くなっていた。一人の欲深い人間に戻る時間も欲しくなったのだ。

「あなたは離婚したくないという。そして、あなたは私の要求には答えられないといこともわかった。だったら、外でしてきてもいいですか?」

それに対する夫の答えは
「悲しいけれど、離婚を避けるにはそれしかないというのであればノーとは言えない。」

そもそも法といえども民法の話で、お互いの了承がとれれば結婚のしばりは解ける。

あとでわかったことだが(共通の友人である男友達が夫から聞いた話を伝えてくれた)、夫は身体的にも精神的にもセックスができない事情があった。その時すべて話していてくれていたらと思う気持ちもあるが、聞いたところで私に何かできたとも思えず、何より彼の、私に告白したうえで悩みを共有するより、隠しておきたかった気持ちもわかる気がする。何も夫婦だからと言って全てをさらけ出すのが絶対の正解なわけでなく、心地よいと感じる開示ぐあい距離感は人それぞれだろう。自分にとって家庭が大切な空間だからこそ、多少演じていてもできるだけ陽の面だけで過ごしたいという、彼の気持ちが今ではわかる気がする。

そして夫とは改めて、娘の父として、母として娘を育てるためのチームとして協力し合うことを確認し、家族の形態は壊さずも、夫婦としてのパートナーシップは実質解消するという私たちの“普通とはちょっと違う”婚姻関係がスタートした。

続く。

#もぐら会 #結婚 #生活 #40代



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