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思い出がつみ木のように、、、ならない認知症|『つみきのいえ』を読んで

『つみきのいえ』(白泉社)加藤 久仁生・絵 平田 研也・文

思い出が積み重なるように、家も積み重なる

 つみ木と思い出は似ている。どちらも積み上げていくもので、積み上がった分だけ喜びやその苦労が報われた達成感があります。また、作ったつみ木が崩れて泣いた。そんな経験も子供の頃に誰でもありますよね。つみ木は作っている時は楽しいですが崩れると、頑張って作った時間がゼロになるようで子供心にも悲しいものでした。
 今回の本はそんなつみ木と思い出がモチーフの『つみきのいえ』 
 2009年にアカデミー短編アニメ賞を受賞したアニメ作品が元でそれを絵本にしたもの。建物が氷山の一角のようにほとんどが海に水没している世界に住むおじいさん。ある日、落とし物をしたのでそれを取りに、海中の家に潜ります。底へ行けば行くほど、亡くなったおばあさんとの過去の暮らしや、子育てや結婚の思い出をさかのぼることに。
 2009年当時に読んだ時はほろっと泣けていい絵本だなと思いました。人生には嬉しいことも、悲しいこともある。振り返ればそれもみんないい思い出だなと、、、昔を懐かしむのはある意味では楽しいものですよね。きっと誰にでも自分だけのつみきのいえがあるのだと思いました。
 しかし現在、私の母は認知症になってしまいました。それを経験して改めて読むとまた違う気持ちになったのです。認知症は思い出に浸るどころか、積み上げてきた記憶がすべて崩れ落ちている状態なのですから、、、
 この絵本では、思い出が積み重なるのことを家が積み重なることに象徴させています。そして歳をとるということは、思い出を重ねて生きることも表現しています。だから、重なった記憶の中に潜るように、海中の家の底へ思い出に浸って潜っていくのです。おじいさんは今は孤独かもしれませんが、大切な思い出があるから生きていけるのだと思います。さらに家の底の方が大きくなっていることも意味があります。つまり思い出の土台が重要ということ。自分が誰なのか、どこで生まれたのか、誰と一緒に生きてきたのか、それが生きる土台になるからです。でも、その思い出が全てなくなってしまったら、、、ちょっと怖くなりませんか。

おじいさんは家に潜りながら、昔の思い出に出会う

思い出のつみきがだるま落としのように

 認知症は、非情なことにその思い出を残してくれない病気なのです。このお話ではおじいさんは結婚した喜びや、子供達との楽しい思い出もある。孫たちとパレードを見た記憶もあります。でも私の母は、孫を忘れ、お嫁さんを忘れ、夫も忘れてしまいました。もちろん、息子の僕の名前も出てこないですし、息子かどうかもおそらくわかっていない。優しくしてくれるデイサービスの人くらいに思っているようです。さらに、過去で一番鮮明に記憶に残るはずであろう、つらい戦争体験さえわからないのです。ましてや、昔に家族で過ごした楽しい記憶なんか思い出すはずもありません。思い出のつみ木がだるま落としのように、はじかれてバラバラになってしまったような感じです。
 母は昭和の女性としては主張がある方でした。1960~80年代の専業主婦が多い時代に、珍しく女性として仕事をもち看護師として働いていました。結婚後も共働きで、車の免許も取っていた(これも今では当たり前ですが、女性が免許も珍しかった)そして、常に男女平等ということを子供の私にも言っていたのです。「年賀状の宛名に夫の名前の横に“奥様”と書かれているのはおかしい、ちゃんと名前で書いてほしい」「夫のことを召使いじゃないんだから“主人”とは言いたくない」「女性も仕事をして、夫に頼って生きたくない」等々。当時はその言葉は知りませんでしたが、フェミニストと言っても過言ではなかったと思います。
 そんな主張の強い母だったからこそ、記憶の全てを忘れてしまう事に私は愕然としました。どういう生き方だったのか、母のアイデンティティ見えなくなってしまったから。『つみきのいえ』は海中の家に潜ったら思い出があるだけましなんですよ。絵本が羨ましいと思ったのは初めてです。だって潜っても、潜っても思い出が無いというのはあまりにも悲しい。しかし時間が経つにつれ、もしかしたら本人にとってはそれはそれで、ハッピーなのかもしれないと思うようになったのです。

思い出のつみきをジェンガにする

 それは過去の辛かったこと悲しいことも忘れているんだったら、楽なのかと思ったからです。人間は過去にとらわれる生き物です。挫折や恨みや憎しみから離れることはできません。また嫉妬やマウンティングで、自分の人生が色あせて見えることもある。でもそういったことは忘れて解放されるなら、幸せかもしれない。
 究極は今その時を生きる。過去も未来もない今この時を生きているだけで、幸せなのかもと思いました。認知症は悲しいですが母は全てを超越した場所にいるとも考えられるのです。
 『つみきのいえ』はとても心が優しくなれる素敵な絵本です。ぜひ読み継がれて欲しい作品です。しかし読者の環境次第では、それを素直に受け取れない時もあるのですね。絵本に嫉妬する気持ちが生まれるとは自分でも思いませんでした。それくらい現実は『つみきのいえ』のようには、うまく老いを迎えられないと思ったのです。
 認知症は積み上がった思い出がどんどんなくなるので、だるま落とし見たいだと最初は考えました。しかし、それは子供にとってはジェンガかもしれないと思い直しました。母が忘れてしまった主張や考え方生き方を、私の上に積み上げていけばいいのです。母が忘れたら一つまた一つと、私の上に乗っけていく。そうやって母から教わったことを積み上げていけば、いびつで不安定かもしれませんが、でっかいジェンガの家がいつか建つと思うです。

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